ワインシフ 56th

ワイン通の方は、ご存知なのだろうか。スイスには、実は、おいしいワインがたくさんある。それも、言語圏によってブドウの品種や性格が違うため、大変バラエティに富んでいる。

モントルーのジャズフェスへ行ったときに、ラヴォーLaveauxの白をいただいたが、これが素晴らしかった。シャスラーを使った白ワインで知られるのが、このレマン湖畔ヴォーVaud。その南のヴァレーValais、フランスとの国境近くヌーシャテルNeuchâtel湖岸。
メルロの赤、白、ロゼといえば、イタリア語圏ティチーノTicino。そして、ピノ・ノワーやピノ・グリといったフランスのアルザスAlsaceやドイツのバーデンBadenなどと共通するようなワインがあるのが、チューリッヒ湖周辺と東スイス。ちなみに、チューリッヒのワインというものもある。

ローマ時代に植えられたブドウも栽培され続けているそうで、この九州ほどの面積の国のワインエリアに何十種類ものブドウがあるというのには、ちょっと驚く。

世界中からおいしいものを取寄せている日本に、ではなぜあまりスイスワインがないのか。
それは、スイス人が、とってもワイン好きだから。輸出していないわけではないが、人々が国内生産の3倍のワインを飲むので、この足りない分はどんどん輸入をしているという事情がある。おいしいいものを他国に譲りたくないのかと長いこと思っていたが、訳を聞いてみれば、そもそも、急斜面など機械を入れることのできない土地で栽培されているブドウは、手仕事でしか摘み取ることができず、作り方もまた古来の手作業が多いため、生産量が圧倒的に不足しているのだそうだ。

これらの条件がバックグラウンドになっているのだろう。チューリッヒでは、毎年クリスマスの準備に間に合うようにと、11月の半ばまでの2週間に渡って、大規模なワインの博覧会が開かれる。

旧市街と金融街がぶつかるビュルクリ・プラッツBürkliplatzからは、遊覧船だけでなく、通勤に使うための船も各方面に出ている。このチューリッヒ湖の古い桟橋に、ずらり12隻の客船を停泊させて毎年開催されるEXPOVINA、通称ワインシフWeinshiff は、一般にも公開される世界最大のワイン博。1953年に始まり、今年で56回を数えた。
ワイン生産者、インポーターなど120以上のブースがこの12隻の船に設置され、ワインの種類で言えばざっと4000種。

フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパの伝統あるワイン産地からのボトルは、もちろんおよそすべて出揃い、かなりディープなテースティングが可能。また、南ア、南米、オーストラリアといった新大陸ワインもなかなか興味深いセレクションだ。

エントランスで受け取るカタログを持って、お目当てのブースを周ってテースティングし、ブースナンバーと照らし合わせながら、この辺りが好みか、という名前にチェックを入れ、ポイントを書き込んでいく。

何年か訪ねているうちに、少しずつコツをつかんできたのだが、何しろ数が多いので、スイス料理のレストランになっている1隻を含め、一日で端から12隻を制覇しようと考えるのは、あまりにも無謀なことだ。舌も、鼻も、口の中も、判断力が鈍くなる、というか、私の場合は、かなりいい加減になって来る。

今年は、一番左端の船にスペインのリオハRiojaの珍しいものがあったが、船が小さいせいか揺れていたので、ささっと移動。他の船はしっかり固定されているので船酔いはないのだが、フルーティな白あたりから進み、ディーラーの説明を聞きながら、「じゃあ、次は、赤で重みがあるものをいくつか」なんていうことをやっていると、10件を超えるあたりから、かなりいい気分になってテンションが上がる。

まずは、ワインのプロの友達と一緒に周った。しかし、そこでは決め込まず、別の日に時間帯を変えて出直し、普段飲まないもので面白そうなものと、思い切って方向を絞り込んでみた。

私たちが狙ったのは、ドイツの白。バーデンBaden、ファルツPfalz、ザールSaar、ラインヘッセンRheinhessen、ヘッセンHessen、ラインガウRheingau、モーゼルMoselとライン川に沿ってテースティングして行った。

ドイツワインは甘い、と思い込んでいたが、それがまったくの認識不足だったとわかった。すっきりとして奥行きのある、優雅で上品なボトルがいくつもあった。

結局求めたのは、モーゼールのショイレベSheurebeとリースリングRiesling、そして、クリスマスで食後にいただくのに良さそうな、やはりショイレベのスィートワイン。

ミニマム6本ずつオーダーするのが一般的だが、今回は何種類か選んで6本にしてもいいですよ、というブースも出てきていた。

金曜の夜。何となくのんびりとしたカップルに加え、次第に仕事帰りの人々が増えて来た。
まだ20代の前半と思しき、とびきりの美女二人連れが、ビシバシとディーラーに質問を飛ばしている。その向こうでは、リュックサックの青年がメモを取り、老齢のご夫婦か、ゆったりとカウンターで会話を楽しみながらリストと見合わせている。

スイスのワインも周ってはみたが、人気ワイン周辺は、すっかり社交場と化しあまりにも人が多くて身動きもとれないほどの混雑。イタリア方面へと向きを変える。

順番がまったく逆ではあったが、チューリッヒのレストランへ行けば、気軽に食前酒として注文する、イタリアのスパークリングワイン、冷えたプロセッコでひと息ついた。

地下のセラーを片付けて到着を待っているのだが、注文したワインはまだ届かない。

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冬色のレース

友達のスイス人の女性たちは、スカーフの使い方がとてもうまい。
白いブラウスやカシミアのセーターの襟元に、簡単に結びつけるのは定番として。いつだったか、エルメスのピンク色の大判スカーフを、焦げ茶のジャケットの上に、さらっと流しているのを見て、面白い色の合わせ方をすると感心したことがある。ブロンドの髪と良く合っていた。

曇り空の日に、ビビッドなものを選べば、もっと気分が上がるとはわかっていながら。ついつい黒っぽい服を手に取ってしまう。

これから冬が長いので、何か差し色を探そうとクローゼットを見渡した。

昨年から同じ場所にいるスカーフ。特別扱いしてきたせいもあるが、タイミングをはずすとなかなか使うのが難しく、まだ一度も外に出していない。

湖沿いに、いい織物を扱うお店がある。ちょっと変わったものを選んだり、作ったりしているので、季節ごとにぶらっと立ち寄る。

あれは、確か初冬の午後。150年ほどは経つだろう、アンティークな部屋の一角でデザイナーと話していたとき、ふわっと、窓辺にこのスカーフが置かれていることに気がついた。

光を透して、何色もの色が現れる不思議なレース。近づいて見たら、まるで風のような布だ。

これは、と手に取り振り向くと、彼女がうれしそうに微笑んでいた。

「ザンクト・ガレンのレースです。私が見つけたの。本当に、見事な仕事。これをどう使いこなすか、それは、ジュエリーと同じだと思っています」。

ザンクト・ガレンSt. Gallen。この地名を聞けば、たちまち中世の街並みが目の前に広がる。

チューリッヒから東へ。列車なら1時間ぐらい。バロック建築の傑作といわれる修道院周辺まで、世界遺産に指定される壮麗な風景。伝統ある学問の街として知られているが、ここはまた、織物やレース、刺繍で栄えた長い歴史を持つ街でもある。

そこから届いた、冬色のレース。

買うには、十分な理由があった。

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トラッキング・ハピネス ミルチャ・カントル展

ほうきを持ってゆっくり動き続ける女性の映像が、頭のどこかに引っかかったままになっていた。そのモチーフが、時々顔を出したり、消えてしまったり。
どうやら、このアーティストのトリックにはまっていたようだ。

ミルチャ・カントル Mircea Cantor。

私たちの日々の何気ないシーンにいつの間にか潜入してきて、無意識にパターン化している当たり前のことに、ふと、疑問や不安を持たせる。

日常的なありふれた光景が、日常を乱す。

トラッキング・ハピネス Tracking Happinessは、カントルがこの展覧会のために制作したフィルムのタイトルでもある。

真っ白な服を着て、彼女たちは、柔らかな砂の上を裸足で踊るように移動して行く。
目的は何だかよくわからない。夢の中を彷徨うように果てしなく歩き、足跡はほうきでさらさらと消されて行く。

妙に明るく、ざらついた光が空虚な空間を曝し出し、ここではない別の時限で、彼女たちは天使のイメージへとリンクする。

どこかに置き去りにされたり、消し去られたりしたものを追跡する。あるいは、その足跡を別の方法でなぞって行く。

コンピューターによるコミュニケーションや電気仕掛けの監視下にある、私たちの時代、と念を押し。彼自身の困惑でもあるという、電脳化してプライベートな情報が蓄積され、増殖、拡散していく世界に対して、違うリアリティを設置しようと試みる。

作品は、ビデオ、写真、オブジェ、インスタレーションなど、様々なメディアが使われている。また、新聞広告などのより社会に組み込まれた媒体も、カントルは表現手段のひとつにしている。

’77年、ルーマニア生まれ。現在はパリに在住。
ロンドンのカムデン・アーツ・センターとパリのポンピドーでのセンセーショナルな個展で、すっかりヨーロッパの話題をさらい、今回、スイスでは初めてのワンマンショーが企画された。

11月8日まで

Photo: チューリヒ美術館 Kunsthaus Zürich

https://www.kunsthaus.ch/

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シュテフィ・タルマンのスイス・デザイン

Photos: Rita Palanikumar, Abdruck honorarfrei bei Vermerk Stefi Talman

大聖堂のほど近く。旧市街ニーダードルフ Niederdorfの石畳をぶらぶら歩くと、時々のぞくお店がある。
シュテフィ・タルマン Stefi Talmam。

建築からタイポグラフィ、インダストリアル・デザインまで。かなり幅広く、スイス・デザインという概念があるが、彼女は、ファッションの系列でその先端を走っている一人として知られる。

コレクションは、靴とバッグを中心に、ウィンドーに並ぶ小物やアクセサリーのカラーバリエーションに意外性があって面白い。特に、ベースに使う皮とカラフルなハラコの組み合わせ。ユーモアと知性、機能性の配合具合がうまいのだと思う。

20世紀半ば以降、この国のデザインを革新してきた多くは、海外からスイスへと移って来た人々だった。シュテフィもまた、ヨーロッパとアジアの血を引く、コスモポリタン。

シャープでシンプルであったスイス・デザインの源流を汲み取りながら、ボーダレスな感性で時代を斬ってワーキング・ウーマンにフォーカスしているあたりが、多分とってもチューリッヒらしいのだろう。
主張の強いスイスの女性の間で人気を確立しているが、アメリカやアジアにもファンが多い。

https://stefitalman.ch/

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サムシング ホワイト

晴れた日。雪に覆われた遠くのアルプスが、くっきりと稜線を光らせている。
夜がすっかり長くなり、5時頃には、もう日が暮れる。

焼き栗屋さんを横目に見ながら街を急ぎ足で歩いていたら、ちょうどクリスマスのイルミネーションに灯がともされた。小さな光があふれているのは、石畳の路地のなか。トラムが走る駅前の通りは、4年ほど前に、モダンアート系の青っぽい光に変わってしまった。

巨大銀行の前の巨大ツリーに梯子が掛けられ、赤や金のボールを持った影がいくつも動いていた。

ドレスアップする機会が増えてくるせいか、最近、夕方のジムは、だんだん混んできた。ヘビーな食事が続くフェスティブ・シーズンは、もうすぐそこ。

着るはずだったものが、着てみたら何か違ったという、予定直前の失敗を繰り返すので、ちょっと焦る。

通っているのは、普通のジムだが、街の真ん中にあるというのがとにかく便利で、しかも、チューリッヒを凝縮したように多国籍な環境が、外国人の私にはイージーだ。
地球上のあらゆるところからやって来た人々が集まるので、色々ななまりの英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、そして、スイスドイツ語などなど。実にさまざまな言語が聞こえる。

地味で質素だと思っていた、チューリッヒ。しかし、ここのロッカー・ルームに出入りするようになってから、結構ドラマチックに印象が変わった。
特にこの時間帯は、昼間とは全く違う。年齢層がぐっと若くなり、なんとなく華やかさがある。

お洒落なマダムが、時計を見ながら帰り支度をしている。モデルのような女性が、ツンと顔を上げて、鏡の前で立ち姿を見ている。
金融街を控えているので、そこで働く人も多いのだろう。もう少し寒くなると毛皮のコートがハンガーにずらっと並ぶのは、圧巻。

日本から訪れる誰もが、洗練された街、と言うが、なるほど、富裕な街だと、こんな断片を見ても納得するものがある。

小さな買い物があって、飲みかけのエビアンを抱えたまま、閉店間際のデパートに飛び込んだ。
大げさにならないプレゼントを、友達に。

もう今年のカラーやデザインを考えている人が多いので、どうしようか迷ったが、クリスマスのオーナメントのなかから、テーブルに置くキュービックのキャンドルをひとつ。オフ・ホワイトで選んでみた。

冬の雨が降って来た。

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