よりスイス的であること。 文化の多様性をアイデンティファイする SRF スイス ラジオ テレビ

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© SRF Schweizer Radio und Fernsehen

スイスドイツ語圏最大の放送局、SRF スイス ラジオ テレビ。2011年にスイス ラジオとスイステレビの合併以後、文化部を率いているのがナタリー・ヴァップラ―さんだ。

スイスの文化を発信するメディアの最先端で従来にない角度から着実にヒットを飛ばす、辣腕の戦略家。現在のポジションに就いてから、番組でその姿を見ることはなくなったが、世界を変革してきた21世紀の分野を超えた先鋭達に向けて切り込むシャープなインタビューは、今でもネットで配信されている。

SRFの本社は、バーゼル。チューリッヒのオフィスは、市の中心部から空港方面へトラムで20分ほど。一帯に、各部署のビルやスタジオが集約されている。

大学時代の専攻がその後の職業に直結しないことは少なくないが、イギリスのブリストル大学で英文学を、ドイツ、コンスタンツ大学院で中世史と国家社会主義、ドイツ文学を研究していた彼女がメディアの世界に入ったのは、かなり偶然。テレビ局の友人の仕事場を見に行き、「これこそ、私がやりたいことだ」と、閃いたのだそうだ。

現ドイツ大統領、ヨアヒム・ガウクと番組の編集を通じて出会ったのは、それからそう遠いことではない。

ベルリンで、カルチャー番組「アスペクテAspekte」や政治番組として知られる「マイブリット・イルナーMaybrit Iiner」の編集に携わり、その後、SRFの前身スイス テレビでカルチャー番組「クルトゥールプラッツKulturplatz」の編集、プロデューサーとなる。当時は、ベルリン、チューリッヒと2つの都市を行き来していた。

ベルリンと比べれば、チューリッヒは静かで仕事のテンポも緩やか。それならば、Ph.D.の論文を書こうと、学問と仕事の両立を考えていた。スイスの有名な精神科医ルートヴィヒ・ビンスワンガーの研究。ドイツ語圏で文化的な興味を追求していくと、恐らく外せない分野であるとも言える。

ヴァップラ―さんの存在がスイスで頭角を現してくるのは、現在も継続している番組「シュテルンシュトゥンデン Sternstunden」。この番組の特異さといえば、毎週日曜日の午前中、1時間のトーク番組「宗教」、「哲学」、「芸術」を3時間連続して流していることだろう。彼女がインタビューを担当していた「哲学 Sternstunden Philosophie」は、ラジオでも放送している。

ちなみに、ヴァップラ―さんのMCで高い評価を博したものに、前出のヨアヒム・ガウク、ダライ・ラマ、2006年にノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクなどのインタビューがある。

日曜日の午前中。教会に行かない視聴者は、どんなシーンでこの番組を観ていると想定されますか?

一瞬間をおき、そういう質問をした人は今までいなかった、と笑いだした。例えば、スポーツと比べれば、文化番組は、ニッチ。そもそもマスは狙っていない、という彼女の答えは、すでに多くの媒体で伝えられている。

1時間の番組を3時間。トーン&マナーは、シンプルでクリア。それを、ヴァップラ―さんは、「とてもスイスらしい」と言う。らしさ、とは、多分に言葉を超えたものであるため、この国に暮らさなければ、あるいは、中央ヨーロッパの国々と比較できる体験を持たないとピンとこない表現であるかもしれないが、街や村の印象がそうであるだけでなく、これはいかにもスイスのインテリジェンスのテーストなのだ。

3年前、ヴァップラ―さんは、「ニッチな番組」をまたもや仕掛けた。

今やミステリーの名作として知られる、「葬儀屋 Der Bestatter」。ドイツ、フランス、カナダなど海外でも買いつけられ、幅広い層から支持され高視聴率を継続している人気番組だ。

マスコミの多くは、ついに彼女はインターナショナル・マーケットを狙いだしたのではないか、と質問を放った。

違うのだ、と言う。「私は、よりスイス的な作品を作りたいのです」

「例えば、アメリカのシリーズと言った時に、イメージするアメリカ的なものがありますね。アメリカっぽいわけです。その意味で、私は、スイスでなければ作れない、スイスの名作と言えるシリーズ作品を作りたいと思っていたのです。『葬儀屋Der Bestatter』は、とてもスイス的なのです。スイスタッチなのです」

スイスと言えば、アルプス、チーズ、時計、と思っている人々に、スイスの伝統、固有の価値観、生活など文化の多様性を見せ、興味深い国であること知ってもらえるように企画する。元刑事だった葬儀屋を巡って、番組の中には、実に多くの文化的な要素が組み込まれている。

文化的なコンテンツ、知識をミステリーに持ち込み、それがエンターテイメントの基盤になっている。そこが面白い。

「私たちは、この作品を売りました。私たちが好きなスイスタッチが、海外でも興味を持たれています。つまり、スイス的なるもの、我々のアイデンティティを表現しながら、スイス国内で人気を獲得しただけでなく、他の国にも受け入れられるのだということを証明した、ユニークなサクセスストーリーが生まれたわけです。圧倒的な成功です」

                  ■

2015年。ヴァップラ―さんは、スイスの経済紙「「ハンデルスツァイトゥングHandelszeitung」で、スイスの経済界100人の重要な女性に選ばれた。

写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。「プレシャス」12月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載。

https://www.srf.ch/

「葬儀屋 Der Bestatter」  はこちらからご覧になれます。

https://www.srf.ch/play/tv/sendung/der-bestatter?id=c5868792-f180-0001-7d9a-53801d5e10b8

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ワークライフバランスを目指して、 子育て中の母親のためのコーチングを開発

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コーチ、という職業は、日本でどのぐらい認知されているだろうか。
羽生選手のコーチが何をする人かイメージできても、ビジネスの世界のコーチやメンターとなると、経営コンサルタントの仕事の一部のように捉えられているかもしれない。
最近舞い込んできたメールのなかに、アロマセラピーと並んで、「コーチングもいたします」というお誘いがあったが、こうなると自己啓発系の心理カウンセラーなどともごっちゃになって歪曲されているような気もしてくる。

電力機器、重工業の世界的リーディングカンパニーABBで長年ビジネスコンサルタントとして活躍してきたシモン・ペスタロッチさん。彼女は二人目のお子さんを出産後、自身の経験を生かして子育て中の母親をターゲットに「ママ・コーチング」というプログラムを開発し、ここ数年、その成果が話題を呼び、スイスで注目されている。

コンサルティングが、企業のなかで効率化を図り結果を出す経済活動であることに対して、人材開発に取り入れるコーチングは、ゴールに向けて最短の時間で成果があがるように、1対1の双方向のコミュニケーションを積み上げながら進んでいく。それは、クライアントのよりプライベートな領域に関わることになる。
コーチは、対等な立場からクライアントが質問に対して答えを見つけ自分で整理できるように導き、行動を継続して、一緒に目標達成へ向かっていく。

一人目のお子さんを出産した当時、グローバルマネージャーとして頻繁に海外出張をこなしていた彼女は、それでも、家事育児をこなし、パーティには夫婦そろって出席するなど、ソーシャルライフも出産前と変わらずに楽しんでいた。

ちょうど会社の同僚や友人たちが初めての子どもを持った時期でもあり、どうしたらそんなに何もかもできるのか、そのコツを教えて欲しいと頼まれたことが「ママ・コーチング」を開発するきっかけだった。

ただし、スイスには、日本のワーキングウーマンと大きく違う働き方がある。週のうち、何日、何時間働くか、選ぶことができる。「100%働いているの?」「いいえ、今は60%よ」という会話をよく聞く。

「ママ・コーチング」の基本は、ビジネスの世界のコーチングと同様、タイム・マネージメントにある。それを母親のワークライフバランスを目指すベースとして応用した。

一日にしなければいけないことをシンプルにオーガナイズし、効率よくこなせるようになれば、自分のために使えるスペアタイムが生まれる。そんな余裕が出てきたら、自分の外観を見直す。ヘアスタイルも、爪の手入れも、もちろんファッションも。
この段階で、どのクライアントにも、セクシーな下着を買うことを勧める。ランジェリーは、見せたい自分を意識するきっかけになる。

体型も、出産前に戻す。ジムへ行く時間がないなら、家でできるワークアウトのリンクを送る。心のバッテリーチャージのために、子どもを寝かしつけている間に、自分を高めることをする。例えば、もう一度本を読む習慣をつける、音楽を聞く・・・

自分の見え方にも、気持の持ちようにも少し自信を取り戻したら、次のステップとして夫との関係を見直す。
二人だけで過ごす時間を、最低週に2時間は作る。

「夢、恐れていること、心配事、何を相手にして欲しいのか・・・・たわいのないことでもいいのです。もう一度二人だけで過ごす時間が必要なのです」

スイスの離婚率がほぼ50%に達するという現状。学校で問題を持つ子どもの多くは、家庭環境にしばしば原因があること。カップルの数ほどバリエーションはあるものの、パートナーとの関係がうまくいっていなければ、子どもを健全に育てるのは難しい、その危機感を認識するべきだと説く。

母親自身がよりバランスの取れた女性へと成長していく。結局は、夫との関係をより良いものへと変えていくイニシアティブを持ち、家族のあり方を方向付けリードしていくのは女性なのだというのが、シモンさんの考え方の基盤にある。それによって、母親はキャリアを含めバランスのとれた生き方を楽しめるようになる。コーチングのゴールは、そこにある。

「ママ・コーチング」は、5つのテーマから構成され、1テーマは、90分×5回でゴールを目指す。
クライアントの理解度、達成度、心の動きによって、必要であれば休みを入れながら進めていくため、全テーマを終了するまで、最短でも半年かかる。直接会う時間が取れない女性のためには、スカイプでのセッションを積極的に取り入れ、クライアントは、近隣諸国ドイツ語圏にも広がっている。

写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。「プレシャス」11月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載。

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文化活動を生涯の仕事にする。 ミグロ カルチャーパーセンテージ

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スイスの街を歩いていると、いたるところでオレンジ色のMのマークのスーパーに出会う。M、MM、MMMと店の規模によってMの数が違うが、これらはスイス全土を網羅する生協、ミグロだ。

1925年。ミグロの創業者ゴットリーブ・ドットワイラーは、T型フォードを改造した移動販売車にコーヒー、砂糖、パスタなど生活必需品を積んで、路上販売を始めた。ドットワイラーは、旧来の商習慣に堂々と対抗し、生産者と消費者を直接結びつけて価格を大幅に引き下げるという、全く新しいビジネスで庶民の生活に奉仕する姿勢を明確にした。

当時としては、非常に斬新な社会企業的な経営哲学を持ち、消費者との協同、利益還元を目指し、やがて協同組合方式をとることとなる。

現在、ミグログループは、スイス全土に国内最大規模でスーパーを展開。デパート、金融・保険、旅行、語学や成人教育など多岐に渡る異業種を持つコングロマリットに発展し、スイスにおける暮らしのあらゆるシーンに関わっている。

Giving something back to society.
1957年。ドットワイラーは、スイスにおける文化活動を推進していく、「ミグロ カルチャー パーセンテージ」を設立した。

企業の利潤や経済的力以上に、文化的、社会的貢献を継続することによって、企業もまた持続可能である、という思想は、創業時から現在まで貫かれている。

収益ではなく、売り上げの一定割合で運営されるこの団体は、早くから前衛芸術の作家を支援してきた布石を現代アートの美術館へと発展させ、いち早くモダンダンスを紹介してきた実績が、今日では名高いモダン・ダンスフェスティバルに成長するなど、まだ光の当たっていない美しさ、可能性を卓越した先見性で見出し、育て、新しい時代にその存在価値を高めてきた。

例えば、戦後間もなく企画された「クラブハウス・コンサート」。まだまだ貧しかった時代に、クラシックを聴きに出かけるなど、庶民には叶わなかったわけだが、上流階級や一部の愛好家のものだったクラシック音楽を万人へと、誰もが楽しめる場と機会を創出した。
ヨーロッパ諸国から、ニューヨークから、第一線の音楽家たちを招いてコンサートを開催し、演奏会へ行くための洋服がなくても、手頃な値段のチケットを買えば聴きに行くことができるようになった。

社会的に意義があり、役に立つ活動をする。それを継続的に発展させるためには、スイス人が潜在的に何を求めているのか、常にそれを見つけ出さなければならない。

60年を超える伝統あるこのコンサートは老齢化していたが、近年若い人々へ、より幅広い人々へとマーケットデザインし再ロンチした、「「ミグロ カルチャーパーセンテージ クラシック」として生まれ変わり人気を高めている。

「ミグロ カルチャーパーセンテージ」の仕事は実に多岐であり、多面的であるが、文化的活動を担う分野は、音楽、パフォーミングアート、美術館、ソーシャルプロジェクト、ポップ&ニューメディアなど私たちの周辺にあるすべての「文化」が対象となり得る。

その活動として特筆すべきことのひとつに、コンペティションと才能の育成がある。公募のコンペで発掘された有望な音楽家、俳優、歌手、美術家など、若い芸術家たちを、「ミグロ カルチャーパーセンテージ」が支援し育てていく活動だ。彼らが生活していけるようになるまで、世に名前が出るまでの間サポートするというミッションは、一人ひとりのアーティストに対して大きな責任を負うことになる。

国際的にも極めて高く評価されるミグロ生活協同組合連合会。その文化・社会局局長のへディ・グレーバーさんに、インタビューする機会を得た。バーゼルの教育委員会から現職へ移り、10年。スイスの文化事業を牽引する敏腕のリーダーは、さばさばと明るく、よく笑う方だ。

写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。現在発売中の「プレシャス」8月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載されている。

お手に取っていただければ幸いです。

https://engagement.migros.ch/de/engagement

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美術館を運営するという仕事。リートベルク美術館 チューリッヒ

008チューリッヒ湖シルバーコースト側にあるリートベルク美術館 Museum Rietberg は、アジア、南米、オセアニア、アフリカなど「汎ヨーロッパ」の美術に特化した、世界でも珍しい美術館として知られる。

トラムを降り、鉄の門から森の小道を登って行く途中、左手に古いヴィラが点在している。
視界が開ける。一面緑の小高い丘の上に佇む舘が、ヴェーゼンドンク邸。
19世紀半ば、絹貿易商として成功したオットー・ヴェーゼンドンクが建てた優雅なヴィラだ。今は1階がカフェになっている。2階の美術館は、美術館新館、エメラルド色のガラスの現代建築からつながり、最奥の部屋にはスイス各地の仮面のコレクションが並んでいる。

かつて華やかに文化サロンが開かれていたヴェーゼンドンク邸には、多くの芸術家や作家が集まっていた。ヴェーゼンドンクは、とりわけドイツから亡命していたリヒャルト・ワーグナーに親愛を寄せ、彼とその妻に隣りのショーンベルグ邸を住まいとして提供していた。

リートベルク美術館副館長、カタリーナ・エプレヒトKatarina Epprechtさん。
ある日、私は彼女を訪ねるために、この館の扉を押した。

ワーグナーの部屋は、現在、カタリーナさんのオフィスになっている。バルコニーから、ちょうど隣りのお屋敷の窓が見える。

「ここからワ―グナーは、いつも彼女を眺めていたはずよ」、とカタリーナさんが微笑む。
結局は、妻とも恋人とも別れることになったのだが、スイス時代のワ―グナーとヴェーゼンドンクの妻がサロンで出会い恋に落ちたことは、つとに有名な話だ。

インタビューの録音を聞いていたら、森の野鳥のさえずりがずっとBGMになって流れていた。

カタリーナさんは、地域の開業医の家庭に育ち、高校時代までは、医学の道に進もうと思っていたという。しかし、大学進学を前にして、何か違う、と思う。その疑問が、後に彼女の好奇心を拡大増殖させていく、ほんの始まりであったとわかるが、医学ではなく、人間の身体を超越したものを学びたいと考え、西洋美術史を専攻する。

やがて、「西洋は狭すぎる」と、アジア、とりわけ日本に興味を持つようになる。
文部省のスカラシップで来日。京都大学で日本美術を学ぶ。あまりにも多くの分野に興味が広がり、博士論文のテーマを絞り切れなかった時、夢と現の間に、長谷川等伯の「松林図」があらわれ導かれたのだと語る。博士論文に等伯を選んだ。

その後、チューリッヒ大学の准教授として、十分に成功しているように周囲から見えたであろうが、しかし、その世界もまた彼女には、狭かった。

キュレーターとしてリートベルク美術館へ移る。まさに適所を得た好奇心は、ますます翼を広げ、数多くの企画展を手がける。同時に大学でビジネス・マネージメントを学ぶ。

2001年、念願であった、長谷川等伯展を実現。かつて彼女を導いた国宝「松林図」を東京国立博物館から迎え、当時、日本でもこれほどの集大成した規模とアイデアはなかった、斬新な等伯展を成功させた。

リートベルク美術館の新館がオープンした2007年、副館長に就任。オープニング企画の「観音展」で、再度一大センセーションを巻き起こす。

あらゆる学問と芸術に触発されつづけ、自身の内なる世界と外界での活動を連鎖させている、美術館での仕事。スイスを代表する知識人のひとりでもあるカタリーナさんにとって、「ここは狭すぎる」とは、もう思わないのか。

「美術館というのは、人間が有する最高の施設機関だと思います。アートワークとは、我々人間のなしうる最高の仕事です。テクノロジーが時として世界を破壊するのとは、まったくの対極にあるクリエイションです」

人間は、アートによって世界を創造することができる。その展覧の現場である美術館で、ありとあらゆるセクションを統括統合している。企画運営のすべてに関わるこの仕事は、天職。カタリーナさんにとって、美術館というのはパーフェクトな場所なのだ。

次の大きなプロジェクトは、神道。2016年に神道に宿る思想と芸術の展覧会を企画する。日本から現代アートの作家を招き、このリートベルクの森と美術館をつないで欲しいと考えている。

「Hidden Art 神々は、木にいます。神道の芸術は、自然そのものなのです」

アニミズムへ向かう、好奇心。そのような未来へのひとつの指針は、私自身大いに共感するものがある。

写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。現在発売中の「プレシャス」8月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載されている。

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乳腺外科医という仕事

「小さくて大きな街」。これは、チューリッヒの人々がその国際性を強調するときにしばしば使う表現だ。
住んでみれば、小回りの利くこれぐらいのサイズがちょうどいいのかもしれない、と思ってくるものだが、この街は、今、急速に拡大している。

かつて、工場地帯だった地区の再開発によって、住宅、ショッピング、ビジネス、アートのエリアが、クライス5(5区)方面、西へ西へと広がっているのだ。

リマト川が流れるそのエリアの一角に建設されたビルに、昨秋、2つ目の「ブレスト・センター チューリッヒ」が開設された。

チューリッヒ歌劇場からほど近い湖沿いにある方の「ブレスト・センター チューリッヒ」は、2001年に設立され、名門病院ヒルスランデンと提携。国の内外から高い評価を確立してきた乳腺専門の病院だ。

スイスの医療保険制度は日本と大きく違う。国民は保険会社と契約して、ジェネラル、セミプライベート、プライベートと、異なる条件のなかからこれでよし、とするものを選ぶが、そのどこに属するかによって、病院や医師が異なってくる。

「ブレスト・センター チューリッヒ」は、2つ目を作ることによって組織も規模も大きくなったが、高額な保険料を払っている人々のみを対象にしてきた従来の仕組みから、リーズナブルな「ジェネラル」の保険加入者でも利用することができるよう、より大きくドアを開いた。

もしも、乳がんに罹っている、と医師から伝えられたら。
「落ち込み、絶望し、怒りを覚える人もいれば、泣きだす人もいます。こういう深刻な病を得ている人ときちんと向き合って話し合うためには、リラックスできるプライベートな環境が必要です。十分なスペースが取れるこのビルにオープンできて、しかも、『ジェネラル』の患者さんも訪ねてくることができるようになって、本当にうれしいのです」

そう切り出したのは、乳腺外科医として広くその名を知られる、テエルケ・ベックTeelke Beck 先生。現在、この2つの病院を担当しながら、コンプリメンタリー・メディスン(代替医療)をドイツの大学院で学んでいらっしゃる。

世代にもよるが、風邪ぐらいでは病院に行かない人、薬を飲まない主義の人がスイスには少なくない。薬草だけを扱う昔ながらの薬局も、市内だけでも何軒かある。

スイスの医療レベルの高さは、世界でトップクラスだが、伝統的医学、自然療法などを信じる人々がいるように、様々な療法が存在することもまた事実。
山々に囲まれ、森と湖がすぐ近くにある暮らしには、この国独特の知恵が今でも生きている。

コンプリメンタリー・メディスンは、医師の治療の範疇ではない。いわゆる科学的な療法とは対極にあるものだ。日本人は、東洋医学や漢方の経験があるので、欧米人と感覚が違うかもしれない。

「ケモセラピー(化学療法)がうまく働かないからハーブを使って見たい、と言われたら、誰がそれをナンセンスだといえるでしょうか。患者さんによっては、極端に言えば、祈祷師のところへ行ったりするわけですね」

訪れる女性達と納得がいくまで話をしたい、ひとつの病気を取り上げるのではなく、女性の身体をトータルに診ていきたい、というベック先生の姿勢は、鍼灸を学ぶことへ、やがてコンプリメンタりー・メディスンを追求することへと向かっていった。

乳がんの治療法に取り入れていくのは、女性が自分の人生を積極的に選択できるようにサポートしたいと考えるから。

「とりわけ癌という病は、たちまちにして人生を極端に変えることがあります。その人の人生を、短い時間で失ってしまうこともあるわけです。それだけに、もっと治療の可能性を探りたいのです」

女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが乳がん予防のための乳房切除手術を受けたことは、勇気ある決断と報じられ、女性の生き方への提案にもなっている。

一方、乳がんのリスクを回避する彼女の選択肢が多くの人のものになるには、現実的にはまだまだ予算とも相談しなければならないだろう。

「私は、乳がんのサバイバーをたくさん見ていますし、現在は、多くの場合サバイバルすることが可能になりました。そうは言っても、癌に罹るということ自体、辛く深刻です。女性がこれを乗り越えて、人生を積極的にマネージするために、できるだけストレスが少ない方法を見つけたいのです」

バカンスでこんがり焼いた肌。美しい金色の髪に澄んだ青い瞳。
「私には、夢があります」と、顔を輝かせる。

将来、先端医学と伝統医学、自然療法などを複合して、コンプリメンタリー・メディスンの治療に関わっていき、さらにその先にあるものを目指したいと考える。女性にとって辛い治療であっても、今よりもリラックスして続けることができるようになれば、もっといい結果を得るに違いない、と信じる。

「私の理想は、すべての専門家がひとつのテーブルにつくこと。そして、その女性の疾患の特性について、皆が一緒に話し合うことです。あらゆる問題を検討し、あらゆる可能性を探る。ケモセラピーやアンチホルモンセラピーが、その人にほんとうに必要なのかどうか。
例えば、放射線療法に併用して鍼灸やハーブ、ヨガを組みあわせてリラックスするなど、ここに取り入れられていいでしょう。患者さんがより快適に治療を受けることができるのであれば、それは両立していいはずなのです。そのように組み合わせることによって、私たちは治療による副作用をかなり避けることができます」

ちょうど、この日。私たちの取材の前に、ご友人の乳房を切除されたとうかがった。

ドクター・ベック。乳房を再建したことはおありですか?

「ありますよ。私のチームで。世界で最高に美しい乳房をね!」

https://brust-zentrum.ch/

アーカイブになってしまいました。「プレシャス」20013年1月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載。撮影、ピルミン・ロスリー Pirmin Rösli 。

https://precious.jp/category/precious-magazine

 

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