バイエラー財団美術館のサイトを開けたら光のなかをひらひらと蝶がたくさん飛んでいて、久しぶりにルドンに会いに行った。
オディロン・ルドン(1840-1916)。子どものころから物静かで、いつも瞑想にふけていた人だったという。
奇怪な化け物や蜘蛛、巨大な目玉。そして、首の載った台座へと系譜を追い、黒のパレットのノクターンを聞きながら、鮮やかな色彩を解き放つ次の部屋へと移動する。
パンドラの箱から飛び出したようなアポロンの馬車、仏陀の佇む草の聖地。花々に浮かぶオフェーリア、ベアトリックス。消えたと思ったらまた現れる、ひとつめ小僧のキュプクロス。鈍い空色に蝶が舞い、アネモネやガーベラの大きなブーケの大作が並ぶ。
同世代のフランス印象派の画家たちとは異なる作風から、あるいはまた、マラルメやボードレールなど文学者や批評家からの称賛によっても、ルドンは象徴主義の画家とカテゴライズされることが多いが、バイエラー財団美術館のキュレーター、ラファエル・ブ―ビエールRaphaël Bouvierもその位置づけをもとに、時代に提示したアイデアと革新性、主題とテクニックの重要性を解き明かしていく。
黒の世界と往復しながら色を混ぜ合わせたであろう色彩の魔術師は、すぐれた詩人でもあり、後の抽象絵画やモダニズムの出現に大きな影響を与えた。作品群は、ようやく名を知られる晩年へ、画家の亡くなる20世紀初頭へと向かっていく。
エントランスを入るとき、そして一巡して出てきたとき。目の前に広がるのは、ルドン・ ルージュと呼びたい花々の赤が、ぽつりぽつりと浮かぶ幻想の森のデコレーション・シリーズ。
チャコールを捨て、パステルであり、油彩であり、次第に色を使った作品のみを描くこのあたりの時代、ルドンはパリ、ロンドン、アムステルダムのコレクターの屋敷に飾るタピストリーや屏風を制作。ここに展示されている作品は、かつてのパトロン、ドメーシー男爵のブルゴーニュの城のダイニングルームの壁一面を飾っていた。
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今回作成された年譜を見て知ったのだが、ベルリン、デュッセルドルフ、チューリッヒ、これらヨーロッパのドイツ語圏の街で初めてルドンの個展が開かれたのが、1914年だった。亡くなる2年前のことだ。
トリスタン・ツァラによるチューリッヒ・ダダ宣言が1916年だったことを思い出し、なるほど、そういう人々の影響下でチューリッヒでも紹介されたのかと合点が行った。
5月18日まで
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オペラよりも一足早く、アートシーンは動き始めた。
アート、ビジネス、住宅の複合コンプレックス、旧ビール工場一帯、ローヴェンブロイLowenbrau Arealの大規模な再開発地域でアートのブロックをリードするミグロ美術館現代アートは、昨秋センセーショナルな企画展でリオープンした。
開発以前から連動していたクンストハレ現代美術館 Kunsthalle Zürich、ハウザー&ヴィルスHauser & Wirth、エヴァ・プレゼンフーバーEva Presenhuber 、ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouwも同じ場所に戻り、新たにルマ・ウェストボウ/プール Luma Westbau/POOL etc.、JPR リンジャー JRP Ringier, contemporary art publishing company 、フレイモンド・グスFreymond-Guth Fine Arts Galleryが加わった。まさに、ヨーロッパにおける現代アートの重要拠点としてパワフルに活動している。
インヴィテーションが届いた。
ロンドンを活動の拠点にする、キャリー・ヤング Carey Youngの企画展。ビデオ、写真、パフォーマンスやインスタレーションなど多様な手法をミックスするヴィジュアル・アーティストだ。
2003年あたりから、彼女はアートで「法律」を検証する表現にフォーカスしている。
洗濯物干しのロープに下げた、裁判官のガウンとカツラの巨大なフォトグラフィックワーク、We the People。
契約書をメッセージの道具に用いた、Uncertain contract。
「法の権威」は、その形態とメソッドを分裂させたり、ギャップや多義性、曖昧さにハイライトを当て、諧謔によって疑問やズレを意図的に生み出して見せる。
精神分析医とのセッションを折り込んだビデオ、The Body Techniquesシリーズでは、キャリー・ヤング自身がビジネススーツを着て荒涼としたビル群をステージに、企業組織の風土や法律が人々の生活のあらゆる領域をどのように作り替えていくのか、実験する。
作品に通底する穏やかなユーモアと肉体が持つ脆弱性は、彼女の主題のシリアスな外観に小気味良い刺激を加えている。
キャリー・ヤングの初期の作品の文脈から新作までを展覧。すでに、ロンドン、ミュンヘン、ニューヨークなど欧米で大きな成功をおさめているが、今回のミグロ美術館現代アートの企画展 Legal Fictionsが、スイスで初の大規模なショウとなる。
11月10日まで。
https://migrosmuseum.ch/
過去の記事「ミグロ美術館現代アート 反射するユートピア 」もご覧ください。
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チューリッヒ中央駅からかつての工業地帯の方向へ電車をひと駅乗ると、ハードブリュッケHardbrückeに着く。空気感が変わる。
トラックの幌を再生してカバンや財布を作っているフライターグFreitagは、銀座に旗艦店をオープンしたが、本店の最寄り駅はここ。段ボールを積み上げたようなそのビルに向かって歩いていくと途中に「ヘルシンキクラブ HELSINKIKLUB」がある。チューリッヒで一番おいしいくて尖ったピザレストランRossoの隣り。
もとよりクリエイティブな仕事をする人々が多い地域。駅の反対側には、高層のプライムタワーが建ったが、こちら側は工場や倉庫を改造したものがあり、渋く錆びた感じがなかなかいい。
ヘルシンキクラブには、地元のパーティピープルやトレンドセッターたちが集まる。 夜10時を過ぎると人通りがなくなるチューリッヒの中心街とはまったく異なるキャラクターを持ち、年齢、国籍、職業、ジェンダーを超えた混沌と開放感がある面白い場所だ。
初めて友達に連れて行ってもらったのは、もうずいぶん前になる。 それが、「ふちがみとふなと(vo. 小道具 渕上純子、ba.コーラス 船戸博史)」のコンサートだった。
1年目。まったく違う世界のコードのなかで私は混乱した。2年目。率先して、ノッテいた。3年目。「ふちがみとふなと」ワールドにすっかりはまりこんでいた。
記憶のどこかで聴いたことがありそうでなかったかもしれない音楽。渕上さんのハスキーな声、ノスタルジックな歌詞のひとことひとこと。おもちゃのラッパや自転車のベル、古道具屋さんにありそうなタンバリン。
しみじみほんのりしたり、じ~んとしたり。コンサートが盛りあがってくると、一緒に歌詞を口ずさみながらほとんど踊りだしそう状態だ。
何度お会いしても、不思議で素敵な人たちだ。
その不思議の断片は、こちらから。
http://www.youtube.com/watch?v=_CqkqMxJAp0
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「ふちがみとふなと」は、毎年チューリッヒでコンサートを開き、「社員旅行」というヨーロッパ凱旋ツアーも年ごとに拡大している。今年は、アムステルダムから始まり、今週木曜、金曜は、チューリッヒ。 コンサートは21時から。バーは20時から開いている。
6月20日(木)21日(金)チューリッヒ HELSINKIKLUB https://www.helsinkiklub.ch/
6月22日(土) パリ le Limonarie http://limonaire.free.fr/
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間もなく、チューリッヒとジュネーブで、毎年恒例のファッションショー「モード・スイス Mode Suisse」が開催される。スイスでヨーロッパで多くのファンを持つブランド「KAZU」のカズ・フグラーKazu Hugglerさんから、「モード・スイス」での新作発表の後、すぐに東京の成山画廊で展覧会を開くと伺った。
成山画廊とカズさんと言えば、幻想の森から脱け出してきたような脚のついた銀のハンドバッグを連想するが、今回は、日本画家の松井冬子さんとコラボレーションした作品と昨年根津美術館で発表した作品を含めた近作を紹介する。
日本のDNAと西洋がフュージョンされた「KAZU」のファッション。それと前述の幻想美術館の闇のなかで息をひそめている、シュールで超自然的な立体作品との間は、いったいどのようにつながっているのだろうかと、前々から興味があり、いつかお聞きしてみたいと思っていた。
「私はファッションデザイナーとして、自然の美しさと恐ろしさとその対照を追求し、畏怖の念を表現する事や、自然をリスペクトし、人間がいかに自然の持つ力と、そのはかなさと共存出来るか、考えています」
「恐怖」「狂気」「ナルシシスム」などをテーマに、「痛み」を伴う松井冬子の作品からプリントを起こした、ドレスやスカーフ。
「日本の美学と美術史を根元にコレクションを造っている私にとって、日本絵画を美術の中で最強と思う松井さんと共感するものがあります。例えば、松井さんの作品にある、鑑賞者にダイレクトにコンフロント(対審)する、女性のあり方、人体への興味、生と死、というテーマです」
40代になってから、女性としていかに年を取っていくか、服を作りながら強く考えるようになった、とカズさんは語る。
「生命を宿らせる事が出来る女性の体は、男性と違って、時の流れと体の老化をもっと身近に感じると思います。この変化をリスペクトし、服を通していかに讃えるかを考えています」
2013年春夏。世界のファッションで、「ジャパン」がパワフルに展開されている。その流行が花開くエポックに、敢えて美学という本質を提示するコラボレーションは、二人のアーティストが自然界から紡ぎ出した共生の証しであるのかもしれない。
期日:3月13日(水)
http://www.gallery-naruyama.com/
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スイスの首都ベルンBern 。アーレ川に沿って12世紀に創られた都市国家の美しい姿は、ユネスコの世界遺産に登録されている。小高い丘に登って街を見渡すと、赤茶けた屋根が規則を持って並び、地形が大変起伏に富んでいることがわかる。
ベルン北西の近郊の村で、パウル・クレー Paul Kleeは生まれた。
ドイツ、ミュンヘンで美術を学び画家として活動し、バウハウスで教鞭を執ったことは良く知られるが、やがて、ナチス政権による前衛芸術家への弾圧から逃れて、彼は、故郷のベルンに戻ってくる。この地で、亡くなるまで創作活動をつづけた。
ベルン中央駅からバスに乗って、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeへ向かう。終点で降りて少し歩くと、野原に忽然と出現したかのように、レンゾ・ピアノ Renzo Pianoが設計した建物が、巨大な3つの波型の屋根を、ゆったりと大地にうねらせる。
ここは、いわゆる美術館の域を大きく超え、「パウル・クレーの人生と作品についての情報研究センター」と定義される。クレーが制作した作品のうち4,000点以上もが収集され、毎回斬新な切り口で挑戦的な企画展を展開し、内外からの高い評価を確立してきた。
今年1月から、ユニークな展覧会が開催されている。
「ジャポニスムから禅まで パウル・クレーと東アジア」展。
19世紀後半、ヨーロッパに現れたジャポニスムは、フランスから20年以上遅れてドイツにも届き、それは、クレーが芸術家としてミュンヘンで活動を始めた時期と重なる。彼は、ここで日本的なるものの原点に出会うことになる。
この企画展では、いわゆる狭義なジャポニスムの文脈を大きく超え、クレーの作品のそれぞれを、日本・中国の美術と対比しながら提示している。
クレーが東アジアの美学からどのように刺激され、魅了され、それを作品に投影してきたのか。ヨーロッパから遥か遠い東アジアの美学とクレーの芸術が響き合う構成を仕掛けた。
関係というのが相互にして成り立つように。この展覧会では、クレーの東アジアからの影響に照射するにとどまらず、さらに、では、日本ではどうなのかと、「日本におけるクレーの受容」を大きなテーマとして取り上げている。
実際、ドイツ語圏以外では、日本ほどクレーの展覧会が開催され、クレーを研究し、受け入れている国は他にないのだそうだ。
武満徹の音楽、谷川俊太郎の詩、池澤夏樹の文学、高橋一哉の漫画、イケムラレイコの美術、伊藤豊雄の建築など。私たちの周辺に生まれている、実に多様な領域の文化を会場に招き入れ、クレーへの逆照射の地平を広げて見せる。
東アジアの美学とクレー、というコンセプトの発見は、クレーの知られざるディメンションに光を当てた、ヨーロッパで初めての試みだ。
チューリッヒ大学美術史研究所の柿沼万里江さんは、パウル・クレーの研究者として日本でも著名でいらっしゃる。今回の企画の特徴についてコメントをいただいた。
「本展は、クレー研究の第一人者であられる奥田修さんの長年に亘るご研究の成果によります。奥田さんは、クレーがどのように東アジア美術に取り組んだか(仏画、水墨画、書、屏風、浮世絵、北斎漫画、和紙、仏像、工芸品など、展覧会会場でご覧いただけます)、そして、わたしは、視点を逆にして、日本人のクリエーターたちがどのようにクレーに取り組んだか(音楽、詩、文学、漫画、美術、建築と各メディアを横断します)、をそれぞれ担当し、相互補完的な内容となっています。このように東西の対話の接点に、また、メディアの橋渡しに、クレーという作家がいることを、どうかみなさんの目で見て楽しんでください」
2013年5月12日まで
Photo: © Zentrum Paul Klee, Bern