「眠れる森の美女」 チューリッヒ・バレエ団 with マッツ・エック

今、ヨーロッパで、もっともエッジーな振付家をあげるようにと言われたら、まず、この人ではないだろうか。スウェーデンのマッツ・エックMats Ek。

1993年にフリーランスとして独立して以来、ハンブルグ・バレエ団 Hamburg Ballet、オランダ・ダンスシアター The Nederland Dans Theater、パリ・オペラ座バレエ団 Opéra National de Paris、ゲーテボルグ・バレエ団The Göteborg Balletなどから、マッツのショッキングな作品が次々と発表されている。

例えば、「ジゼルGiselle」では、第2幕で精神病院を舞台に展開。ユーチューブでご覧になった方も多いかもしれないが、パリ・オペラ座で上演された「アパルトマン Apartment」では、オーブンから黒焦げになった赤ちゃんを取り出すというシーンがある。目をそむけた人たちがもちろんいるが、彼の手法を絶賛する評価の方が圧倒的で、マッツの作品への期待がますます高まった。

彼の作品の多くは、古典を「現代的な解釈」で創作する。それが、世界に対する風刺や諧謔であるか、未来への予言であるか。観客ひとりひとりに提案される問題意識の強い物語に仕立てられている。

チャイコフスキー Pjotr Tjajkovskij の「眠れる森の美女 Sleeping Beauty/ Dornröschen」は、1996年にハンブルグ・バレエ団によって初演され、以来、これもまた、マッツのマジックでバレエファンに大きな衝撃を与え続けてきた。
今年度は、ハインツ・シュペリHeinz Spoerli が芸術総監督を務めるチューリッヒ・バレエ団に振り付けられ、前評判はもちろん高く、私の周辺の席にはメンバーと思われる白髪の紳士とマダムが多くいらした。

マッツのバレエは、常に世界中のトップのバレエ団に振り付けられるが、彼の表現する不条理の極めて詩的な物語は、見たこともないアングルを求める。それだけに、クラシックの基礎がよほどしっかりしたダンサーでなければ、これを踊ることはできないだろう。宙を舞い、壁を走り。とにかく、すごいダンスだ。

お城ではなく、どこかの街。もし、それがチューリッヒならば、石畳の細い路地の一角にありそうな、古びた質素なアパートメント。王妃シルビアにメラーニ・ボーレルMélanie Borel、王フローレスタンは、フィリップ ポルチュガル Filipe Portugal 。

照明を落とした壁、床。設定は、遠すぎず近すぎず、1950年代あたりという。
スマートのおもちゃのような小さな車は、時間と空間の移動に。数少ない舞台道具のなかでシンプルな木のテーブルは、家族や結婚など、物語の展開でしばしば象徴的な記号となる。
妊娠する月日の流れも、陣痛も、大きな卵を孕みながらこのテーブルで演じられる。

出産を迎えるシルビアを病院へ運ぶときに、妖精たちが登場する。
グリム版では、12人の妖精が王女の誕生を祝う宴に招待され、ペロー版では8人の妖精が登場するが、マッツは、ひとりひとりに明快なキャラクターを与えるために、4人のフェアリーを選んだ。それが、ゴールド、シルバー、サファイア、ルビー。

彼女たちは、たちまちに看護婦に変身。医者として現れたのは、エキゾチックなマスクのヴァーへ・マルティロシャンVahe Martirosyan。彼の注射器がキラっと光る。

マッツはインタビューのなかで明かしているが、この注射器こそが偉大な発見であり、物語をリードする鍵だということが次第に分かる。糸車の錘ではなく、王女を眠らせるのは、注射器の針であると、やがて美しいオーロラ姫に起こる事件をここで伏線として暗示していた。

オーロラ姫に、ヤン・ハンYan Han。多くの舞台で主役を演じているが、「眠れる森の美女」のオーロラに彼女以外のキャストは考えにくい。この天才バレリーナは、どうしようもない退廃や切なさ、鳥肌が立つほどの狂気を、ほぼ3時間間断なく踊り通した。観客はしばしば息を呑み、フリーズしたかのように舞台に釘づけられていた。

16歳になったオーロラ姫は、両親、特に美しい母親と折り合いが悪そうだ。
家族のもとを飛び出して、街をふらつく彼女に3人の男性が言い寄ってくる。オーロラは、この日から男から男へと流れていく。
やがて登場した4人目の男。彼は、オーロラの出産に登場した医者、つまりは、注射器を光らせた悪の精カラボス Carabosse の再来だった。

カラボスに心を奪われ、愛し、麻薬の世界へ誘い込まれて一緒におぼれていく。

魂を抜かれた彼女は、怒り、泣き喚き、それでも愛し合い、眠りながら現代の都市物語を彷徨うことになる。

100年の眠りをどう解釈するか。オーロラ姫を麻薬中毒の女にして構成するというコードは、マッツがかつてチューリッヒ・バレエ団に仕事で訪れている頃に街で見た、その時代の早朝の風景から突然啓示を得たと語っている。

オーロラを救う王子様は、どこにいるのか。

背広姿の彼は、舞台の外から叫んで現れる。「一体君たちは何をしているんだ!!」

デジレ王子に、ダニエル・ゴールドスミス Daniel Goldsmith。

ボロボロになったオーロラを助けるために、彼は、カラボスをピストルで射殺する。

反社会的な存在、悪の精はここまで負のパワーを全開してきたが、今や空間は虚無と静けさに支配され、王子は苦しみ慄き、彼自身に打ちのめされる。

ペロー版、バジレ版で、この後王女が生む子どもがスープにされる話があるが、マッツの舞台ではコックが登場し、生の魚を叩いてぶつ切りにして、スープを作る。
その語り部となったコックは、チューリッヒ歌劇場のパトリック・フォーゲルPatrick Vogel。短い劇中劇が、眠りの世界と生きている世界を巧妙にブリッジする。

オーロラ姫は、デジレ王子のキスで目を覚ます。

やがて結婚し、二人の間に子どもが生まれる。ところが、それは王子の子どもではなかった。

子どもは、青い大きな卵で表現される。カラボスの服の青だ。

ハンブルグ版では、カラボスは大柄な黒人の青年で、生まれる卵は黒だったが、それを青にすることは、いかにもチューリッヒらしい表現であるように思う。

脅え、驚くオーロラから子どもを取り上げた王子は、その卵を客席に向かって投げ捨てようとするが、できない。

卵をだき抱え、王子は泣きながら頬ずりキスをする。

そのハッピーエンドは、観ている者をようやく安堵させる。しかし同時に、カラボスと愛し合っていたオーロラは、本当に不幸だったのだろうかと考えてしまう。

なお、オーケストラの演奏と組まずに録音した音楽で踊ることもあると聞いたが、チューリッヒ歌劇場においては、それはあり得ないことだろう。ここの管弦楽団は、古典であってもアグレッシブなオペラやバレエのプロダクションを実に数多く演奏している。マッツと作り上げる作品は、かなりエキサイティングであるはずだ。

美しいバイオリンソロが第1幕、第3幕で聴こえる。この夜は、コンサートマスターのハンナ・ヴァインマイスターHanna Weinmeister の演奏だった。

Photo: Opernhaus Zürich / ©Peter Ismael Lorenzo,

https://www.opernhaus.ch/en/

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「真夏の夜の夢」 チューリッヒ・バレエ団

ヨーロッパの伝承で、夏至は神秘的な意味を持つ。森の妖精の力が強まり、何か不思議なことが起こる日だと言われる。

「ヨーロッパで最も美しいバレエ」と評されるチューリッヒ・バレエ団。その作品のなかでも、とりわけ人気の高いロングランのプロダクションのひとつに「真夏の夜の夢 A Midsummer Night’s Dream」がある。夏至の夜、森の小さな妖精たちが跳びまわる。

メンデルスゾーンが17歳のときに、シェークスピアのこの物語を読んで触発され、瞬く間にめくるめく幻想の森の序曲を書きあげた。

後に序曲の演奏を聴いて深く感動したプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世Friedrich Wilhelm IV.から、「真夏の夜の夢」を上演するための劇付属音楽の作曲を依頼される。
メンデルスゾーン、30代半ばのこと。これに続く全曲を作ったわけだが、10代の天才が生み出した序曲の完成度はあまりに高く、成熟期の12曲とまったくレベルが揃うと言われる。

フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン・・・。これから起こる不思議を暗示するような森の声に誘われて、夢の世界へ入ってゆく。

ステージデザインは、世界的な活躍を続けるハンス・シャフェルノックHans Schavernoch、照明の魔術は、ユルゲン・ホフマンJürgen Hoffman。そのセンスの良さや理解の深さ、技術の高さはずば抜けている。

何よりも感心したのは、舞台一面に張りだした巨大な鏡に、歌劇場の客席をそっくり映し込ませたアイデアだ。私たちを席に迎える時、すでにそこに森があり、客席の動く人々のシルエットは、鏡の中でまるで獣がゆっくり移動しているかのようにも見える。

チューリッヒ歌劇場の客席は、金とブルーの天井画と大きなシャンデリアの美しい、重厚なバロック様式。天使の柱の彫刻と神々の像が3層のバルコニーをぐるりと巡る、馬蹄型だ。
美術監督のシャフェルノックは、この装飾性の高いでこぼことした空間を、真逆から、奥行きの深さをそのまま黒いガラスに映し出して、幻想の森を作った。

客席は、すっぽり遠近法のトリックに覆い尽くされる。
鬱蒼とした森の奥へ、あるいは、妖精や獣たちが眠る薄暗い岩の洞窟の中へ、私たちは連れて行かれる。

突然跳び出してきた妖精パック Puckは、俊敏なソリスト、アルマン・グリゴリアンArman Grigoryan。その跳躍力も静止力も、人間離れしているとさえ思えるが、妖精のグレゴリアンは、常に何かを企んでいる緊迫感が動きに伴い、不気味な存在に惹きつけられる。
クラシックとモダン、そして、豊かな演劇的要素が自在に織りなす迫力で、観客も魔法をかけられパックの虜になってしまう。

彼は、恋人たちに媚薬を塗って別人格にした時、大きな瞳で客席を凝視しながら、実は、あのキラキラ輝く無数の粉を、こちら側にも振り撒いていたのだろう。

妖精の王、オーベロン Oberonに、スタニスラフ・イェルマコフ Stanislav Jermakov。その妻、妖精の女王 タイターニア Titaniaに、サラ – ジェンヌ・ブロドベックSarah-Jane Brodbeck。バレエのために生まれてきたに違いない長い手足が、優雅なアティチュードで、ひときわ伸びやかな垂直を描き、森の妖精たちを従える。

ハーミア Hermiaに、中国のイェン・ハンYen Han。チューリッヒ・バレエ団のなかでもトップの人気で、熱烈なファンを多く持つ。むしろ小柄に見えるが、はかなげで繊細なダンスが素晴らしいソリストだ。

その恋人ライサンダーLysanderは、ヴァーへ・マルティロシャンVahe Martirosyan。ハーミアの友人ヘレナHelenaに、ガリナ・ミハイロヴァGalina Mihaylova。最後はヘレナと結ばれるが、ハーミアの父が決めた結婚相手ディミートリアス Demetriusに、アルセン・メーラビャンArsen Mehrabyan。

「真夏の夜の夢」のストーリーはあまりにも有名で、誰もがハッピーになる結末。パックのかけた魔法でパートナーを取り違える事件の諧謔を、2幕で見せる。

演出・振り付けのハインツ・シュペルリHeinz Sperliは、人間の関係性や巡り合わせ、恋人を交換する面白さに惹かれると語る。

「作品のなかで、具体的な人物描写、それぞれのキャラクターの変化に大変興味を持っています。特に魅力的なのは、愛の様々なテーマを見せるという構成です。『真夏の夜の夢』の現代性は、私の視点から見ると、ごく小さな世界に起こる出来事であって、恋人同士が交換可能であるということ、そのようなパートナー・チェンジのバリエーションの面白さにあります」。

それは、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」で表現した、出会いや別離のテーマにも通じる。
もしパートナーを交換したら、何が起こるのか。シュペリエにとって、それは、現代に投げかけるシェークスピアの愛の描写なのだと言う。

無分別、錯乱、倒錯、愛の幻想。シュペリエのマジックで、人間同士の対立や矛盾が、バレエの内面から外界へと発散され、問いかけてくる。

休憩をはさんで、3時間近く森にいる。
フィナーレで最初の序曲が循環し妖精の歌声を聞きながら、やがて私たちも夢から覚める。

Photo: Opernhaus Zürich / Peter Schnetz

 

 

 

 

 

 

 

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バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」チューリッヒ・バレエ団

チューリッヒ歌劇場といえば、もちろんオペラで有名であるが、実は、ここに所属するチューリッヒ・バレエ団の舞台は、「ヨーロッパで最も美しいバレエ」と呼ばれている。

オペラの素晴らしい歌手がこの小さな街に集約されるように、バレエもまた、しかり。世界中からエリート中のエリート・ダンサーが集まって来て、プログラムごとに綺羅星のようなスターが登場する。

振付家として有名なハインツ・シュペルリ Heinz Spoerliは、彼自身、ダンサーだった。
96年にチューリッヒ・バレエ団の芸術監督に就任し、以来、斬新でユニークなプロダクションを発表し続けている。

バッハの「ゴールドベルグ変奏曲Goldberg-Variationen」、全てを踊る。
この曲は、グレン・グールドの演奏で最も知られているが、リピートを含めて、2つのアリアと30の変奏曲を弾くと、演奏時間は優に1時間を超える。ダンスとダンスの間に僅かな間があるので、ざっと90分。
それを、まったく休憩を入れずに弾き続けたピアニストは、アレクシー・ボトビノフ Alexy Botvinov。ウクライナ、オデッサ生まれ。
19歳でモスクワのラフマニノフ・ピアノコンクールで優勝して以来、バッハ国際コンクール、クララ・シューマン・コンクールと世界的な評価を不動のものにしてきた。

今回のように、ソロならばなおさら。バレエであっても、彼の演奏を聴くことを楽しみに訪れる人々が多くいる。
シュペリエとは、90年代半ば、バレエ「スツェーネンSzenen」でシューマンを演奏して以降、卓越したハーモニーを生み出すパートナーとなっている。

チューリッヒ・バレエ団のダンサーは、誰もがソリストとして踊る実力を持っている、という精鋭をすぐるレベルの高さを自負する。

圧倒的にファンの多い、イェン・ハン Yen Hanは、繊細な感情表現が深く、美しい。溜息をつくほどのプロポーションから生まれる気品にうっとりとする、アリヤ・タニクパイェヴァ Aliya Tanykpayeva は、インペリアル・ロシア・バレエから移籍。サラ‐ジャンヌ・ブロドベックSarah-Jane Brodbeckは、快活で自由な空気が愛らしい、。

男性では、アルチュール・ババイャンヤン Artur Babajanyan、ブライアン・チャン Bryan Chan、アルマン・グリゴリヤン Arman Grigoryanなど。いずれも、超人的な跳躍力、目を瞠る静止力、天性の敏捷を兼ね備えた俊英たちだ。

最初のアリアが始まると、ゆっくりといくつもの影が動き出す。照明をぐっと落としたステージでは、それぞれのダンサーがそれぞれの音となって、記号を発信しているかのようだ。

舞台装置は、何もない。オーケストラピットにアレクシー・ボトビノフと1台のピアノ。照明、ダンサーの動き、次々と色を変えるレオタード。
足すのではなく、引く。ぎりぎりに削ぎ落とし、この舞台に関わる人間ひとりひとりの内面を引き出していくかのような作品。光と陰が交差する。

「私にとって、ゴールドベルグ変奏曲とは、通り過ぎていく人生そのものなのです」、とシュペルリは語る。男と女が出会い、惹かれあい、結びつく。別離がある。年齢を重ね、だんだんと成熟し、変化していく。そのように、互いに接しながら離れながら、時は過ぎゆく。

30の人生のバリエーションを踊るダンサーたちは、ときには、優雅にせつなく、気高く。また、ときには、アクロバットや体操競技を観ているかのような、「ダンス」で意表を突かれる。計算し尽くされた多様でエキサイティングなシーンが、目眩く目の前に現れては消えてゆく。

途中でソロが入るが、後半3曲、パ・ド・トュが踊られる。それらが何とも上品でしなやかで、夢のようなダンスだった。

ゴールドベルグ変奏曲は、第16変奏の「序曲」で、前半、後半が対比されるが、これをシュペルリは、「まるで孤を描くように」振り付けた。最初のアリアが繰り返されてゆっくりと終息するシーンで、舞台に再び静けさが運び込まれて来る。

不眠症のために演奏されたという逸話さえある長い曲。寝てしまうのではないかと心配だったが、驚かされ通しで、ずっと覚醒してい た。

長年高い評価を得ているプロダクションだと聞いた反面、「レオタードの色とライトがどんどん変わって、ダン サーが出て来て踊って、また次っていう感じ。それだけよ」とは、オペラ座常連の方。面白い。

あれだけのことを、それだけにも見せてしまう、省略。そのクラシックの基本の確かさと昇華。紡ぎだされる宇宙観のようなものが、やはり尋常ではないバレエ団なのだと思う。

Photo: Opernhaus Zürich / ©Peter Schnetz

https://www.opernhaus.ch/en/

“バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」チューリッヒ・バレエ団” への2件のフィードバック

  1. roberto より:

    バレーの2枚目3枚目の画像が斬新で素晴らしいです。
    これをみると是非本物の公演を見たいと思ってしまいます。
    傑作を見せていただいてありがとう。

  2. Mieko Yagi より:

    roberto sama
    いくつか観ていると、ハインツ・シュペルリは、ほんとうに才能あふれる特異な演出家だと思います。あの2枚の写真は、絞り込むまでしばらく考えましたが、最も印象に残っているシーンから選んでみました。
    気に入っていただけて、とてもうれしいです。ありがとうございます。

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