乳腺外科医という仕事

「小さくて大きな街」。これは、チューリッヒの人々がその国際性を強調するときにしばしば使う表現だ。
住んでみれば、小回りの利くこれぐらいのサイズがちょうどいいのかもしれない、と思ってくるものだが、この街は、今、急速に拡大している。

かつて、工場地帯だった地区の再開発によって、住宅、ショッピング、ビジネス、アートのエリアが、クライス5(5区)方面、西へ西へと広がっているのだ。

リマト川が流れるそのエリアの一角に建設されたビルに、昨秋、2つ目の「ブレスト・センター チューリッヒ」が開設された。

チューリッヒ歌劇場からほど近い湖沿いにある方の「ブレスト・センター チューリッヒ」は、2001年に設立され、名門病院ヒルスランデンと提携。国の内外から高い評価を確立してきた乳腺専門の病院だ。

スイスの医療保険制度は日本と大きく違う。国民は保険会社と契約して、ジェネラル、セミプライベート、プライベートと、異なる条件のなかからこれでよし、とするものを選ぶが、そのどこに属するかによって、病院や医師が異なってくる。

「ブレスト・センター チューリッヒ」は、2つ目を作ることによって組織も規模も大きくなったが、高額な保険料を払っている人々のみを対象にしてきた従来の仕組みから、リーズナブルな「ジェネラル」の保険加入者でも利用することができるよう、より大きくドアを開いた。

もしも、乳がんに罹っている、と医師から伝えられたら。
「落ち込み、絶望し、怒りを覚える人もいれば、泣きだす人もいます。こういう深刻な病を得ている人ときちんと向き合って話し合うためには、リラックスできるプライベートな環境が必要です。十分なスペースが取れるこのビルにオープンできて、しかも、『ジェネラル』の患者さんも訪ねてくることができるようになって、本当にうれしいのです」

そう切り出したのは、乳腺外科医として広くその名を知られる、テエルケ・ベックTeelke Beck 先生。現在、この2つの病院を担当しながら、コンプリメンタリー・メディスン(代替医療)をドイツの大学院で学んでいらっしゃる。

世代にもよるが、風邪ぐらいでは病院に行かない人、薬を飲まない主義の人がスイスには少なくない。薬草だけを扱う昔ながらの薬局も、市内だけでも何軒かある。

スイスの医療レベルの高さは、世界でトップクラスだが、伝統的医学、自然療法などを信じる人々がいるように、様々な療法が存在することもまた事実。
山々に囲まれ、森と湖がすぐ近くにある暮らしには、この国独特の知恵が今でも生きている。

コンプリメンタリー・メディスンは、医師の治療の範疇ではない。いわゆる科学的な療法とは対極にあるものだ。日本人は、東洋医学や漢方の経験があるので、欧米人と感覚が違うかもしれない。

「ケモセラピー(化学療法)がうまく働かないからハーブを使って見たい、と言われたら、誰がそれをナンセンスだといえるでしょうか。患者さんによっては、極端に言えば、祈祷師のところへ行ったりするわけですね」

訪れる女性達と納得がいくまで話をしたい、ひとつの病気を取り上げるのではなく、女性の身体をトータルに診ていきたい、というベック先生の姿勢は、鍼灸を学ぶことへ、やがてコンプリメンタりー・メディスンを追求することへと向かっていった。

乳がんの治療法に取り入れていくのは、女性が自分の人生を積極的に選択できるようにサポートしたいと考えるから。

「とりわけ癌という病は、たちまちにして人生を極端に変えることがあります。その人の人生を、短い時間で失ってしまうこともあるわけです。それだけに、もっと治療の可能性を探りたいのです」

女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが乳がん予防のための乳房切除手術を受けたことは、勇気ある決断と報じられ、女性の生き方への提案にもなっている。

一方、乳がんのリスクを回避する彼女の選択肢が多くの人のものになるには、現実的にはまだまだ予算とも相談しなければならないだろう。

「私は、乳がんのサバイバーをたくさん見ていますし、現在は、多くの場合サバイバルすることが可能になりました。そうは言っても、癌に罹るということ自体、辛く深刻です。女性がこれを乗り越えて、人生を積極的にマネージするために、できるだけストレスが少ない方法を見つけたいのです」

バカンスでこんがり焼いた肌。美しい金色の髪に澄んだ青い瞳。
「私には、夢があります」と、顔を輝かせる。

将来、先端医学と伝統医学、自然療法などを複合して、コンプリメンタリー・メディスンの治療に関わっていき、さらにその先にあるものを目指したいと考える。女性にとって辛い治療であっても、今よりもリラックスして続けることができるようになれば、もっといい結果を得るに違いない、と信じる。

「私の理想は、すべての専門家がひとつのテーブルにつくこと。そして、その女性の疾患の特性について、皆が一緒に話し合うことです。あらゆる問題を検討し、あらゆる可能性を探る。ケモセラピーやアンチホルモンセラピーが、その人にほんとうに必要なのかどうか。
例えば、放射線療法に併用して鍼灸やハーブ、ヨガを組みあわせてリラックスするなど、ここに取り入れられていいでしょう。患者さんがより快適に治療を受けることができるのであれば、それは両立していいはずなのです。そのように組み合わせることによって、私たちは治療による副作用をかなり避けることができます」

ちょうど、この日。私たちの取材の前に、ご友人の乳房を切除されたとうかがった。

ドクター・ベック。乳房を再建したことはおありですか?

「ありますよ。私のチームで。世界で最高に美しい乳房をね!」

https://brust-zentrum.ch/

アーカイブになってしまいました。「プレシャス」20013年1月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載。撮影、ピルミン・ロスリー Pirmin Rösli 。

https://precious.jp/category/precious-magazine

 

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スポーツ・サイコロジストという仕事

チューリッヒ、バンクーバーの時差は、―10時間。ここのところ、テレビのプログラムを眺めては、ディナーの時間が微妙に動くという変則的な事態が発生していた。

ところで、、ジャンプで突然才能が目覚め、「スキー界のハリーポッター」と呼ばれたスイスのシモン・アマンSimon Amannが、ダブル・ゴールドメダルを獲得した時、スイスのテレビ局は、彼のスポーツ・サイコロジストである、スイス・スポーツ・サイコロジー協会 Swiss Association for Sport Psychology (SASP)の会長 ハンスピーター・グベルマンHanspeter Gubelmannへ1時間のロングインタビューを特別枠で組んだ。

学問として、スポーツ心理学は、比較的まだ若い。

その黎明期は、19世紀後半のアメリカ。子どもたちを見ていて、グル―プで自転車をこいだ方がひとりの時よりも速いことに気づき、子どもを対象に研究を進めた人がいた。

20世紀に入ると、コールマン・グリフィス Coleman Grifithがイリノイ大学で、フットボールやバスケットボールの選手を研究し始め、知覚の変化、筋肉の緊張、リラクゼーションなど、彼らの反応に興味を持ち始めた。

その後も研究は続いたが、アカデミックな分野で学問として認められるようになったのは、1960年代から。まず、ローマに ザ・インターナショナル・ソサエティ・オブ・スポーツ・サイコロジー が設立され、この活動が徐々にヨーロッパへ広まって行く。ほぼ同じ時期にアメリカにも、いくつかのファウンデーションが誕生し、心理学のなかの新分野としての地位を確立していった。

やがて、近代スポーツの時代になると、1984年に国際オリンピックチームがスポーツ・サイコロジストを迎え入れたことに始まり、今では、あらゆるプロフェッショナルなスポーツ・チームでは、専任の心理学者であるスポーツ・サイコロジストがメンタル面をサポート。それが、世界の常識となっている。

スポーツ・サイコロジストの仕事とは何か。
ちょっと勘違いしそうだが、スポーツのテクニックが心理学によってアップするということではない。そして、「根性」とか「やる気」といった分かりやすいが化石化している精神論とは、全くの対極にあるということを、まずイメージしていただきたい。

生活環境、性格、人間関係、ストレスの種類、不安とその立ち向かい方。アスリートがかかえる様々に個人的なディメンションの問題を分析して、さらなる可能性を引き出すために問題を解決していこうとする、心理学の新しいフィールド。大きなコンペティションでも、自信を持ち、冷静に自己コントロールできるように、サポートしていく。

継続的に、アスリートのプライバシーと深く関わる仕事であるため、信頼関係の上に成立するパートナーシップがキーとなる。

そのスポーツ・サイコロジーの分野に、スイスで大きなプロジェクトが動いている。ここ3年でチューリッヒ近郊に大規模なスポーツセンターが建設されるという計画。3つのアイス・リンクやプール、サッカー・スタジアムなどの施設を備え、医師、フィジオセラピー、バイオメカニック、スポーツ・サイコロジーなどを併合した複合施設。ここにスポーツ・サイコロジー・センターが開設され、今後スイスにおける中核として活動していく。

上記、スイス・スポーツ・サイコロジー協会の副会長クリスティーナ・バルダサール・アケルマン Cristina Baldssarre Ackermann 氏にインタビューする機会を得た。撮影は、スイスのドイツ語新聞 NZZ (Neue Züricher Zeitung) や多くの雑誌で活躍する、なかなかイケメンのピルミン・ロスーリ Pirmin Rösli。

現在発売中の「プレシャス」3月号。巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場する Life is so Preciousに掲載されている。

https://precious.jp/category/precious-magazine

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