毎年、桜の時期に合わせて一時帰国していたが、あの3.11の後は、どうにもならなかった。スイスから日本へ、飛行機が飛ばない。1本しかない直行便もドイツ経由便も成田には行かず、チケットは宙に浮いた。
スイスのニュースだけを見ていると、日本列島がそっくり崩壊してしまい、もうどこにも帰るところがなくなったような脅迫感に襲われた。日本人の友人の誰もが家に閉じこもり、パソコンの前にくぎ付けになっていた。
3月27日。隣国ドイツで緑の党が圧勝し、原発への批判が日増しに高まり、日常的に、かなりアグレッシブな質問をつきつけられることがしばしばあった。
夕闇のなか、中央駅から伸びる大通りバンホフシュトラッセBahnhofstrasseを歩いていたら、ぺスタロッチの像が立つ芝生の広場一面に、キャンドルを灯す人々がいた。グリーンピースGreenpeaceの女性が私に近づき、抱き寄せようとするかのように、ビラを持った手が私の肩に乗った。
不意をつかれて、一瞬身体を引いた。泣きたいのか笑いたいのか、分からない顔になっていたと思う。
こんな時期に日本へ行くの?
どうしても帰るの?
スイスに戻ってこれるの?
周囲のスイス人たちのいぶかる声を背に、私は5月に成田に降りた。
空港は、ゴーストタウンのように空っぽ。誰も乗っていないリムジンを送り出す度に、係りの方たちは、バスが見えなくなるまで深く深く頭を下げていた。私のバスも例外でなく、乗っていたのは私ひとり。都心までの貸し切りだった。
「悲観的な報道があまりにも長期間にわたり、あまりにも集中して続き過ぎた。これでは日本の助けにならない。報道どおりではないことを示したかった」(swiss info 2012年10月17日)と、チューリッヒの隣り街、ヴィンタートュールWinterthurの旅行代理店で日本を担当していたトーマス・コーラーThomas Köhlerさん。日本へのツアーは、次々とキャンセルされた。
客足は遠のくばかりで、ついには職を失ったコーラーさんは、毎日流れてくる悲惨な映像とヨーロッパで過熱する報道や風評に心を痛める。やがて、彼は、大好きな日本へ「恩返しをする」ために、日本を徒歩で旅する決意をした。
日本には、まだ安全な場所があるのだと、世界中の人々にアピールするために。寝袋とテントを背負って、日本列島を北から南まで、自分の足で歩いて縦断する旅。2011年8月1日に北海道宗谷岬を出発し、12月31日に鹿児島県佐多岬に辿り着く、5カ月に及ぶ2,700キロの旅になった。
コーラーさんは、この間、各地の風景や出会った人々とのエピソードを、英語、ドイツ語、日本語でブログに紹介しつづけた。旅の途中から交流が始まったスイスのウェブ編集者ヤン・クルーセルJan Knüselさん。映像制作者の兄、シュテファンStephanさん。二人は、カメラを抱えて日本へ飛び、コーラーさんを追いかけることにする。
「Negative:Nothing 全てはその一歩から」は、こうしてドキュメンタリー映画として自主制作された。ブログの最後に毎回良かったこと、悪かったことを書いたが、悪かったことはほとんどなかったと言う。タイトルは、ここから得た。
コーラーさんの旅は、決して「被災地ツーリズム」ではない。映画には、純粋にコーラーさんの見た日本が描かれている。
たった一人で、歩き始める。
誰でも小さな行動を起こすことによって、何かを変えることができる、とコーラーさんは言う。実際、映画が生まれ、何かが確実に動いている。
誰にでもできることかもしれない。しかし、誰もがその勇気を持っているだろうか。孤独に耐え、信念を貫くことができるだろうか。
自分の五感すべてで体験した日本を、5か月間、世界に向かって発信しつづけた、しなやかなで強靭な意志。その視線のやさしさに、真っすぐで誠実な愛が見えた時、私たちの心に熱い想いが込みあげてくる。
ヴィンタートュール、ベルン、チューリッヒに続き、昨年、大阪、東京で上映され、静かな感動が広がっている。
来週、3月9日(土)より4回、東京赤坂のドイツ文化センターで再上映される。
photo:© negativenothing.com
チケットの予約は、こちらから。
https://negativenothing.com/ja/
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1916年。トリスタン・ツァラは、チューリッヒでダダイズムを宣言した。美術史上、その後いくつかの大きな影響を受けてきているが、現在、この街は、世界の現代アートの重要な拠点のひとつとして確立されている。
その中でも、リーダーの役割を担っているのが、ミグロ美術館現代アートMigros Museum für Gegenwartskunst。
実際、現代アートだけを専門に扱う美術館は、ヨーロッパでも意外に少ないが、ミグロ美術館現代アートは、例えばパリのパレ・ド・トーキョーやロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーと並ぶ世界のアートシーンで常にユニークで質の高い企画展を発表する存在として知られている。
オープンは、1996年。ちょうど、この90年代半ばから現在に至るまで、世界中からアーティストがこの街に集まって来るという傾向が見られる。
ミグロ美術館現代アートは、ライオンのブランドマークでおなじみのスイスの古いビール工場をそっくり改造した建物のなかにある。また、このビルには、クンストハレ現代美術館 Kunsthalle Zürich を始め、 エヴァ・プレゼンフーバー Eva Presenhuber, ハウザー&ヴィルスHauser & Wirth, ピーター・キルシュマンPeter Kilchmann, ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouw といった、世界の名立たる現代アートのギャラリーが共存している。ミグロ美術館現代アートは、時として、これらのギャラリーと連動した活動を展開することもある。
ローヴェンブロイ・エリアと呼ばれるLöwenbrau-Areaこの周辺一帯には、ギャラリーが多く、またクリエイティブな仕事が集中している、チューリッヒでも最先端の情報を発信するエリアである。ミグロ美術館現代アートは、この地域においては、美術を学ぶ学生が卒業後もチューリッヒで制作活動を続けられるよう環境整備をしていると同時に、世界のアーティストと密接な関係を結びながら、よりスケールの大きな作品に取り組み、人々と交感していくプロセスを通じて、現代アートの歴史を作り続けることを目的としている。
パトロネージュするのは、スイス最大のリテイラー、ミグロ。スーパー、デパート、銀行、学校など、傘下には異業種が多様にある。創業者ゴットリープ・ドゥットワイラーGottlieb Duttweilerの波乱に満ちた、実にチャレンジングな生涯は有名であるが、彼自身がアバンギャルドな絵画を収集していたことは、系譜として記憶しておきたい。
ミグロ美術館現代アートでは、現在、20世紀思想を総ざらいして再構築したかのような実にパワフルな展覧会が開催されている。
世界的な現代作家13人が、ダンス、彫刻、ビデオ、インスタレーションなど、象徴言語の脈絡の中で、まったく異なる展開と多様なコンテンツの働きを煌めかせたグループ展 While bodies get mirrored- An Exhibition about Movement, Formalism and Space。
動きと空間の間に生じる緊張関係を大きなテーマとし、現代アートにおけるポスト・モダン・ダンスやその振り付けの影響に焦点を当てている。
また、もうひとつの中心テーマは、「演じること」の再プレゼンテーション。動きの記号、ダンサーの表現を様々な媒体を通じて展覧している。
初期のポスト・モダン・ダンスは、次のモダニズムへとブリッジする時期に「あらゆる動きはダンスであり、全ての人間はダンサーである」と解釈していた。
ポスト・モダン・ダンスにおける動きの形式表現の遺産は、現代アートに応用され、反映し、さらに発展している。とりわけ、ここ数年、若いアーティストの間で、この20世紀初めのアバンギャルドなムーブメントが再度取り上げられ、再発見され、興味が高まっているという大変面白い動きが起きている。
キュレーターのラファエル・ギガックスRaphael Gygaxのインタビューを聞いた。
「タイトルWhile bodies get mirroredは、一見、複雑な様相を示しているかもしれません。しかし、これは、なによりも大変詩的で、私たちが追求してみたかった3つの瞬間を映し出しているのです。フォーマリズム、ムーブメント、そして空間。作品は、それを映し出す、あるいは反射させる空間が必要とされます。ポスト・モダンアートにおいて、反射させることは、しばしば身体の細分化と密接な関係を持っています」。
館長ハイケ・ムンダー Heike Munderは、2001年に就任して以来、次々と斬新で挑戦的な企画を成功させてきた。
「パフォーマティブな活動を、長年に渡って提示してきました。ムーブメント、劇場的な表現形式。私たちは、今回グループ展として、それらすべてをこの空間に集合させました」。
会場一番奥、真っ赤な絨毯の上に70枚を超える鏡を杭のように構築した、ウィリアム・フォーサイスWilliam ForsytheのThe Defenders Part2が展示されている。この作品と絡む文脈が、展覧全体の作品から作品へと、まったく異質でありながらもget Mirroedというというコンセプトで符合している。
会場に入って、まず私たちを出迎えるのは、このフォーサイスのDNAを汲み、その暗示とも受け取れるメキシコのマルティン・ソート・クリメントMrtin Soto Climentの、白鳥 The Swan Swoons in the Still of Swirl。スチールの彫刻と、それを踊らせる作家がスクリーンに流れる。
この導線を辿っていくと、アニミズムを連想させるアメリカのアバンギャルドのパイオニア、May Derenのダンス。
その先には、ヘンリー・ミラーの作品のパッサージュをベースに、彼の親密な女性のイメージを引用した、デリア・ゴンツァレツDelia Gonzalezのフィルム。シェークスピアの「真夏の夜の夢」に登場する妖精の王オベロンの黒い翼を身につけて、闇の奥から現れたようなダンサーが、ある種呪術的にさえ見える舞踏を踊る。
ハイケ・ムンダーの話を続けよう。
「現代の精神性は、リ・フォーマリズムとファンタジーの間で生きています。2つの重要なムーブメントは、形式が幾何学に対抗するものでありながら、しかし、同時に常にオーバーラップしているということなのです。ユートピアは、失われました。しかし、多くのアーティストが、ユートピアと交流しています。彼らは、非常に強い芸術の力でそれを取り戻しているのです」。
パウラ・オロヴスカPaulina OlowskaによるAlphabet Letters。
彫刻的なフィールドを拡大拡張しつつも、さらにムーブメントを凝固させようとロープを張り巡らす、ジュリアン・ゲーテJulian Goethe。
社会的、政治的アプローチをも意図する、アンナ・モルスカAnna Molska。
「彼らのアートの原点が、ユートピアのアイデアと手を取り合っていることがわかります」。
「20世紀初頭、文化人類学者、心理学者、社会学者は、身体やムーブメントの刻印は、精神文化によって与えられていると想定しました。この展覧会は、それらの影響と遺産のひとつの理想的な表現方法である。私は、そう考えています」。
数年前、ハイケ・ムンダーにインタビューする機会があったが、彼女はこの美術館の戦略でありミッションである オン ゴーイング アート プロセス on going art prosess について、以下のように解説した。
「アートは、常に社会とつながっています。世界にリンクして、外に向かって開かれたものです。ですから、政治にも、経済にも、歴史にもつながっているといえます。アートを人々や社会に問いかける。人々が考える、感じる、刺激される。あるいは、幸福な気分になる。それが、美術館に反映され、私たちは、また問いかける。その繰り返しは永遠に続きます」。
「美術館の活動が、地下に根を張っていくとイメージしてください。やがて、木になる。花が咲くかもしれない。広大な森ができるかもしれません。素敵だと思いませんか。それが、私の考える オン ゴーイング アート プロセスon going art prosessです」。
While bodies get mirroredは、オン ゴーイング アート プロセスの地下鉱脈に根を張り巡らして煌めいている、現時点での集大成のグループ展であると解釈できる。
この展覧会の提示するユートピアのなかで、私自身が反射を感じる奇妙な幸福感があった。
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While bodies get mirroredを構成するアーティスト
アネタ・モナ・チシャ Anetta Mona Chisa 1975 ルーマニア/ マヤ・デレンMaya Deren  1917 – 1961 ウクライナ/ウィリアム・フォーサイス William Forsythe 1949 アメリカ / ジュリアン・ゲーテJulianGoethe 1966 ドイツ/デリア・ゴンツァレツDelia Gonzalez 1972 アメリカ/ バベット マンゴルト Babette Mangolte 1941 フランス /アンナ・モルスカAnna Molska 1983 ポーランド/ ケリー・ニッパー Kelly Nipper 1971 アメリカstyle/ポウリナ・オロウスカPaulina Olowska1976 ポーランド/ シルク・オットー・クナップ Silke Otto-Knapp 1970 ドイツ/マイ- テュ・ペレ Mai-Thu Perret 1976 スイス/ ハンナ・シュヴァルツ Hanna Schwarz 1975 ドイツ/ マルティン・ソトー・クリメント Martin Soto Climent 1977 メキシコ/ルチア・テュカソファLucia Tkácová 1977 スロバキア
5月30日まで
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ヨーロッパのフィルム・フェスティバルとして、年々注目度を高めているチューリッヒ映画祭 Zurich Film Festivalが、5回目を迎えた。映画史上に残る大作を含め、60を超えるスイス及び海外の作品が上映されている。
インターナショナル・フューチャー、インターナショナル・ドキュメンタリー、ドイツ語フィルムの3部門がコンぺティション。これとは別に、デジタル映像やショート・フィルムなど幅広いジャンルの作品を観ることができる。
ヨーロッパ諸国はもちろん、アメリカ、メキシコ、イスラエル、ロシア、韓国などから参加。今回は、アルゼンチンのフィルムを数本シリーズで上映していることも話題になっている。
独自の表現と優れた才能を世界中から見つけ出し、その活動を奨励していこうという主旨があるが、若く、意欲的な映画人が集中しやすいチューリッヒの持つ斬新さと地の利にかなった映画祭であるとも言える。
関連イベントや若手のプロデューサーたちによるワークショップが各所で開催。さらに、モーガン・フリーマンMorgan Freeman、マイケル・キートン Michael Keaton、ピーター・フォンダ Peter Fondaなどのスピーチもプログラムされている。
「黄金の目 Golden Eye」は、優れた映画人たちへ授与される賞。
ロマン・ポランスキー Roman Polanski拘束の報道で、この映画祭の知名度も一挙に上がったようだが、ポランスキー氏に与えられたのが「功労賞 A TRIBUTE TO …」。業績への評価は揺るぎないものであると、氏不在のまま授賞式が行われることが、瞬時に発表されていた。回顧上映は、予定通り進行している。
生涯業績賞とも言える「黄金のアイコン Golden Icon」は、「ミリオンダラー・べイビー」「ショーシャンクの空に」「ドライビング Missデイジー」など多くの作品で知られる、モーガン・フリーマン Morgan Freemanに授与される。
10月4日まで
Photo: Zurich Film Festival
私のパートナー氏も震災後1ヶ月で所用で日本へ飛びました。同僚たちは・・・勇気がある・・・と言いました。でも私は、日本人たちはみんなそこに住んでいるのですよ・・と。
確かに・・・と彼らは言いましたが、予定していた旅行をキャンセルしたあと、再び旅行計画を立てている人はまだいません。
「プレシャス」でインタビューさせていただいた、チューリッヒ大学日本文学の研究者、ダニエラ・タン先生も、震災後すぐに日本へ飛ばれました。「こういうときこそ、普通にできることを普通にしなければいけないのです。みんながキャンセルをして、私が行かなければ学会が開かれなかったので、迷わず行きました」とおっしゃっていました。親日家のスイス人は、毅然としていらっしゃいましたね。