「鳥の歌」

東京に戻った時、偶然チューリッヒ歌劇場管弦楽団のソロチェリスト、金丸晃子さんから演奏会のご案内をいただいた。
日本チェロ界の先駆者である井上頼豊生誕100周年を記念する、門下生によるコンサートだった。

金丸さんのベートーヴェン、チェロ・ソナタ。バロックの第一人者、鈴木秀美氏のバッハ無伴奏組曲。小川剛一郎、銅銀久弥、山本裕康各氏のチェロと村上弦一郎氏のピアノによるポッパーのレクイエム。
こうした世界的なチェリストの演奏を3時間聴き続けるという、類まれな機会に恵まれた。

コンサートの最後に、この夜集った16人のチェリスト全員で演奏されたのが、パブロ・カザルスPablo Casalsの「鳥の歌」だった。
母国スペイン、カタロニアの民謡。カザルスは、この曲を1945年以降演奏し始める。故郷に思いを馳せ平和を願い、鳥が「ピース、ピースと鳴く」という曲は、キリストの生誕を祝う、クリスマス・キャロルでもある。

今年は、クリスマス・リースを作りながら、「鳥の歌 ー ホワイトハウス・コンサート」を部屋に流していた。ケネディ大統領に招かれ舞踏室で開かれた、伝説の演奏会。

クープランの前奏曲に移るあたりから、カザルスの絞り出すような唸り声が聞える。それが、このように記憶を引き出すとは意外だったが、いつの間にか、私はザリのことを考えていた。
2年間、ドイツ語学校で机を並べたクラスメート。アフガニスタンから亡命してきた、20代半ばという年齢よりは遥かにしっかりした女性で、私はいつも助けてもらっていた。

ある日、自分の育った家について語る授業で。彼女は、先生に許可を得ると、故郷の家を皆に見せたいと、教室の後ろに並んだコンピュータに向かった。
検索をかけ画面に現れたのは、イスラム建築の白く輝く壮麗なビラだった。没収された後、今はホテルになっているという。

「ご両親はお元気なの?」

「父も母も、私の目の前で殺されました」

帰り道。私の目をしっかり見つめて、彼女は答えた。
二人でトラムに乗った。

 

平和なイヴを。

メリー・クリスマス

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ユーチューブから
「鳥の歌 ー ホワイトハウス・コンサート」 Pau Casals – El cant dels ocells (at the White House)

http://www.youtube.com/watch?v=qKoX01170l0

 

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クリスマスの森

毎年12月が近づいてくると、今年のクリスマスは何色にしようかと考えだす。4本のキャンドルを立てるアドベントのデザイン、玄関のリース、そして皆が集まる部屋とテーブルのコーディネーション。

一度どこかで習って見ようと思ってスイス人の友達に尋ねたら、「そんな教室はないの・・・」と気の毒そうに言われてがっかりしたことがある。
子どものころから母親が作っているのを見たりお手伝いするうちに、何となく覚えていくもので、わざわざ人から教わるものではないのだそうだ。
健全な答えではある。

しっかりと組んだリースの土台はお店で売っているが、普段から玄関に飾っている木の枝や実は、森へ散歩に行ったときに探してくる。森のものは、森から運んではいけない。そういう約束も実際あるが、青々とした枝を切るのでなければ、許してもらおう。

市場で買ったモミの木の枝をひとかかえ。キャビネットの上に広げる。
部屋に森の匂いが流れてくる。

このコーディネーションでは、テーブルをクリスマスの森に見立てた。

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聖母教会広場のチーズ屋さん

亜熱帯の国からスイスへ移ったのは、とんでもなく寒い冬だった。
その気温差、何と40度。ざっくり言うと、摂氏35度の南の島からマイナス5度!!の、どこからもアルプスが見えるこの山国へ飛んだ。
チューリッヒ湖が30年振りとかで凍った極寒の年で、とにかくとんでもないところへ来たものだと思った。

荷物がまだ海の上を移動している頃。サービスアパートメントの仮住まいで、どちらが言い出したのか忘れたが、「フォンデュしよう」ということになった。

日本の鍋物と同じように、スイスのフォンデュは、家庭ごとに違うレシピがある。
チーズの配合やワインの好み、さくらんぼのリカー、キルシュの使い方も「うちは、こうする」という流儀が代々それとなく伝わっているものだ。
デパ地下に行かなくても、近所のスーパーでもチーズはずらっと並んでいる。日本のチーズのお値段に躊躇することを思えば、比べ物にならないほどリーズナブル。

そうは言っても、おいしいチーズ・フォンデュを家で食べたい、という時は、電話で予約をしてチーズ屋さんへ行く。電話はしなくてもいいけれど、「あとで伺います」という挨拶のようなもの。

私たちの贔屓は、旧市街の老舗のチーズ屋さん。フラウ・ミュンスター Fraumünster (聖母教会)の広場にある、「ケース・フレネリー CHÄS VRENELI 」。(CHÄSは、ドイツ語のチーズKäse のスイスドイツ語)
石畳を横切って、サヴォイホテルのイタリアンレストラン「オルシーニ Orsini」の手前。青いドアを開けると、いつもダリオDarioさんがカウンターにいる。

スイスのチーズ屋さんには、お店ごとに秘密の配合でミックスしたフォンデュ用のチーズがある。
おなじみのモティエ・モティエもいいのだけれど、フレネリーのフォンデュ・ミックスはもうちょっと複雑で、飛びきりおいしい。我が家では、チューリッヒで一番、と言っている。

そうだ、今年はプレゼントしてみようかな、と前の前の冬に日本で出版された「フォンデュ・レシピ」を差し上げた。外国人が日本人にお寿司の本を作ったと見せるようなものなのか、いつもスイス人がかなり戸惑いながらも喜んでくれるとわかったので、専門家はどうなのだろうとお持ちした。

「えっ?日本にフォンデュの本があるの?そうなんだ。うれしいねえ」と目を細めてページをパラパラ。マネージャーのユルグ Jürg さんがちょうど裏から出ていらして「どうしたの?」と一緒に覗く。


「日本の食卓には、一度にいろいろな種類のおかずが並ぶんです。チーズがいくらおいしくても、日本人は、パンとじゃがいもだけだと退屈なので、他のものも合わせたりして・・・」と、私は口早に解説する。
つまり、フォンデュのお鍋のそばに、ブロッコリーやソーセージがどうしてあるのか、とスイス人は首をかしげるのだ。

「ふ~ん。なるほどねぇ。そうかぁ。だからこういうこと考えるんだね。これ、読めないけど、面白いよ」

ミュンスターホフ7番地 。この住所から、食通は「おいしいチーズ」を連想するという。
19世紀後半から続く「ケース・フレネリー」は、旧市街という場所柄にふさわしく昔ながらの店構えをしている。

しかし、実は、経営方針はかなりチャレンジングで、スイス、ヨーロッパだけでなく、注文があればスピーディ―に世界のどこであろうとチーズを届けるシステムを持つと知った。名立たるホテルはもちろん、15のエアラインでも採用されている。

これは、ワイン同様、スイスのチーズがあまり海外に輸出されていない事情を考えれば、とても果敢で柔軟なフットワークだと言える。

「ケース・フレネリー」は考える。
「チーズは、人間が作った最も古い食物です。幾千年も超えて、数え切れないほどのバラエティが発明され、そのどれもがユニークなフレーバーとテクスチャーを持っています。しかし、あまり知られていない地方の特産だったりするものもあります。私たちは、それらをきちんと評価し敬うべきであると信じているのです」

お店で扱うチーズ、およそ120種。そのうち70%はスイスチーズだが、エメンタール、グリュイエールといった、日本でも手に入るチーズのその種類の多さはさることながら、村ごとにあるウォッシュ系、クリーム系のチーズなどスイスでも珍しいものが、あれもこれも食べてみたいと、目移りするほどたくさん並んでいる。パッケージがまた手作り感いっぱいで楽しい。

「私たちのチーズは、いずれも、古くからのレシピで専門のチーズ職人が作ったものです」

歴史のバックグラウンドを持つスイスの村々を代表するチーズに混ざって、数は多くないが、これからの時代を担おうという若者が作ったチーズも置かれている。フレネリーのお眼鏡にかなったのだろう。

フレネリーを巡る情報ネットからということか。チューリッヒに観光で訪れて、帰りにはフレネリーでチーズを買って帰る人は、日本人を含めて少なくない。そのおいしさのファンになって、日本からメールや電話で注文してくる人々とは、丁寧に長いおつきあいをされていると伺った。

さて。チーズをいただいて帰らないと。

ここのフォンデュ・ミックスのレシピ。あとちょっとというところまで分かるのだけど、奥行きやフレーバーなど、いくつか疑問が残っていてなかなかリーチできない。
ダリオさんに誘導尋問をしかけたら、

「ダメですよ、内緒なんだから」

「もちろん、ヴァシュリンとグリュイエールは分かるんですけどね?もうひとつですよね?」

「mmm ・・・・・ ヴァシュリンは、フリブールのものですね。それと、アッペンツェラーが少し入ります」

ちょっとだけ、秘密がわかった。

協力:株式会社 ケース・フレネリー CHÄS VRENELI  AG
https://chaes-vreneli.ch/

フォンデュ・レシピ

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