チューリッヒ歌劇場 「真珠採り」

オペラを観に行くとき。しかもいい席が取れている場合ならなおさら、前日、できるだけ睡眠をとるようにする。
チューリッヒ歌劇場のように、1100席という小さな空間では、舞台との距離も遠くない。よほど天井に近い席でなければ、この劇場は音響がいいので、揃いも揃った精鋭の生身の人間の迫力を受け止めるには、こちらもまた、それなりの体力がいるというものだ。

でも、元気と時間に余裕があるときにホームページを覗いて、まだ空いていれば手頃な席を取り、ぶらっと行くというフットワークも、私は結構気に入っている。初日ではなく、プレミアム席でないならば、それほど頑張ったお洒落をしなくても、周囲の方にも失礼ではない。自分で心地良ければそれでいい。そんなふうに、肩に力を入れないでオペラにワープするみたいに、非日常の世界に滑り込んでゆく。

日本から親しい友人がやって来た。芝居通、歌舞伎通だ。もちろん、今回の旅のお目当てのひとつは、オペラ。ラッキーなことに、彼女がやってくる頃、ちょうどビゼーGeorges Bizet の「真珠採りLes pêcheurs de perles」を上演していた。

フランスの芸術家の登竜門「ローマ賞」を受賞し、イタリアからパリへ戻って来たビゼー。25歳のときに書かれた作品だ。それから約10年、「カルメンCarmen」が初演されると間もなく、36歳という若さで病死してしまう。オペラの世界で重要な地位を確立して、これから歴史を変えたであろう才能。もしもその先「カルメン」を超える作品が作られていたらどんなに素晴らしかっただろうと思う。

決して寡作ではないものの、オペラで知られる作品の数が少ないためもあってか、作品の大きさや構成など、「真珠採り」は「カルメン」とよく対比される。
「真珠採り」はビゼーの死後、かなりドラマチックに変遷し、いくつものユニークな演出によって作品がディテールを変えつつ発展し続けているといわれる。

指揮者のカルロ・リッツィCarlo Rizzi は、「カルメン」は、もっと肉感的で血を騒がせるような生命力にあふれたダイナミックなオペラだとしながら、こう語る。

「ビゼーは、『真珠採り』を書いた時代、まだ本格的にデビューしていませんでした。若かったし、その若さゆえの純粋さや透明感が、この作品にあるのだと思います。ストーリーは、シンプルでわかりやすく、いずれの曲も、とにかくメロディーがクリアで大変に美しい」。

19世紀後半のフランス。イタリアオペラの人気がまだまだ優勢であったものの、「フランスのオペラ」が登場し、オペラ界に新しい潮流が生まれてきたエポックだった。

そのような時代背景が、ストーリーに影響を与えているのか。
演出家は、演劇性の高さでことに定評のある、イェンス-ダニエル・ヘルツォーク Jens-Daniel Herzog。やや社会性の強い捉え方をしている。

チューリッヒ歌劇場の舞台美術や照明は、観客をびっくりさせるような仕掛けが組み込まれていることが多いが、今回は、ストーリーのわかりやすさを受けてか、複雑な構造はなかった。

古代のセイロンの浜辺。
舞台は、あまり動かない。初めから、3層に組まれている。
前出のヘルツォークによると、「まず一番下。真珠採りたちが並んでいますが、ここが労働者の象徴。真ん中が、中流階級。そして、荒れ果てた僧院のある一番上の層が、この『真珠採り』の世界のシステムのトップです」。

そのような構成をより明確にするためにも、真珠採りたちは、舞台の上にとどまる。
何十人もの真珠採りが一斉にオレンジ色の手袋をはめた手を動かしながら、終始そこにいるという、塊りの力の奇妙さを引きずっていく。

真珠採りの新しい頭に選ばれたゾルガに、バリトンのフランコ・ポンポーニ Franco Pomponi。
その旧友で、かつては、ゾルガと同じ女性を愛し対立した ナディールに、テノールのハビエル・カマレーナJavier Camarena。

ナディールの恋人だったが、この浜辺に真珠採りたちの安全を祈願するために遣わされる尼僧レイラは、ソプラノのマリン・ハルテリウス Malin Hartelius。

レイラを連れてくるバラモンの高僧ヌーラバットは、バスのパヴェル・ダニルクPavel Daniluk。

尼僧レイラは、ゾルガから一生ヴェールを取らず、真珠採りの安全を祈り続けること、処女であることを誓わされる。

しかし、「あっ、あの人だ」とお互いに気づいてしまったレイラとナディール。

アリア、二重唱、三重唱と、いくつもの有名な曲が次々と歌われる。
旧友との再会、もう争いの種になる恋人は目の前にいないのだからと友情を讃える、ハビエル・カマレーナとフランコ・ポンポーニの二重唱「黄金と花に飾られた神聖な寺院の奥に Au fond du temple saint」は、実に美しい。

一番良く知られているのは、何と言っても ナディールがレイラを想って歌う「耳に残る君の歌声 Je crois entendre encora」。ハビエル・カマレーナは、チューリッヒ歌劇場でも大人気の歌手だが、この歌の最初のフレーズが深く切なく流れると、何ともロマンティックで、ふ~っとどこかに連れて行かれるような柔らかさに包み込まれる。メキシコの方だが、ちょっと東洋的な雰囲気もあり、長く村を離れていた冒険好きな青年の自由を演じ、レイラに熱烈に愛を語る。

尼僧レイラのソプラノは、神々しささえ感じる。指揮者のカルロ・リッツィが何度も強調している旋律の透明感に高貴が織り込まれる。

特に、ヴェールを被って舞台の最上から響き渡る1幕目の最後、「ブラーマの神よ!Brahma, divin Brahma!」から続くアリア「空にさえぎるものなく Dans le ciel sansa voiles」が、素晴らしい。

レイラとナディールが再び愛し合うようになったことは、見張りの教徒からヌーラバットにすぐに伝わり、二人は処刑されることになる。

ナディールを助けて欲しいとゾルガに懇願するレイラ。尼僧が実はレイラだったと知った時に、ゾルガは、愛を告白するが、レイラの気持ちを変えることはできない。嫉妬のあまり、ズルガは二人に死刑を宣告してしまう。

レイラは、「殺されるなら、これを母に届けて欲しい」と真珠の首飾りを差し出す。それは、ゾルガが逃亡していた時に、命がけで彼を助けてくれた少女に渡したもの。

ゾルガは、村に火を放ち、村人が混乱している間に二人を逃がすことにするが、そのシーンの前に歌われる、やはり有名な三重唱、「聖い光よ、すばらしい抱擁よ O lumiere sainte」となると、この3人の歌声が、波のように押し寄せてきては引き返すという繰り返しで、歌劇場にはドラマティックな海が洋々と満ちてゆく。

終盤、村人たちに殺されるゾルガ。光の中へ消えてゆくナディールとレイラ。権力は民衆に倒され、信仰に戸惑いながらも、最後に愛が一番輝くという、物語。ストーリーが理解しやすいので一生懸命字幕を追うこともなく、美しく豊かな歌声をゆっくり楽しむことができる。

その夜はずっと、アリアの旋律が耳の奥でこだましていた。

Photo: © Suzanne Schwiertz

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