オペラよりも一足早く、アートシーンは動き始めた。
アート、ビジネス、住宅の複合コンプレックス、旧ビール工場一帯、ローヴェンブロイLowenbrau Arealの大規模な再開発地域でアートのブロックをリードするミグロ美術館現代アートは、昨秋センセーショナルな企画展でリオープンした。
開発以前から連動していたクンストハレ現代美術館 Kunsthalle Zürich、ハウザー&ヴィルスHauser & Wirth、エヴァ・プレゼンフーバーEva Presenhuber 、ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouwも同じ場所に戻り、新たにルマ・ウェストボウ/プール Luma Westbau/POOL etc.、JPR リンジャー JRP Ringier, contemporary art publishing company 、フレイモンド・グスFreymond-Guth Fine Arts Galleryが加わった。まさに、ヨーロッパにおける現代アートの重要拠点としてパワフルに活動している。
インヴィテーションが届いた。
ロンドンを活動の拠点にする、キャリー・ヤング Carey Youngの企画展。ビデオ、写真、パフォーマンスやインスタレーションなど多様な手法をミックスするヴィジュアル・アーティストだ。
2003年あたりから、彼女はアートで「法律」を検証する表現にフォーカスしている。
洗濯物干しのロープに下げた、裁判官のガウンとカツラの巨大なフォトグラフィックワーク、We the People。
契約書をメッセージの道具に用いた、Uncertain contract。
「法の権威」は、その形態とメソッドを分裂させたり、ギャップや多義性、曖昧さにハイライトを当て、諧謔によって疑問やズレを意図的に生み出して見せる。
精神分析医とのセッションを折り込んだビデオ、The Body Techniquesシリーズでは、キャリー・ヤング自身がビジネススーツを着て荒涼としたビル群をステージに、企業組織の風土や法律が人々の生活のあらゆる領域をどのように作り替えていくのか、実験する。
作品に通底する穏やかなユーモアと肉体が持つ脆弱性は、彼女の主題のシリアスな外観に小気味良い刺激を加えている。
キャリー・ヤングの初期の作品の文脈から新作までを展覧。すでに、ロンドン、ミュンヘン、ニューヨークなど欧米で大きな成功をおさめているが、今回のミグロ美術館現代アートの企画展 Legal Fictionsが、スイスで初の大規模なショウとなる。
11月10日まで。
https://migrosmuseum.ch/
過去の記事「ミグロ美術館現代アート 反射するユートピア 」もご覧ください。
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チューリッヒの現代アートの拠点、レーヴェンブロイ・エリアにあるLöwenbrau-Areaライオンマークの古いビール工場は、現在、2年間の大がかりな再開発に入っている。
ここには、ミグロ美術館現代アートMigros Museum für Gegenwartskunstを始め、クンストハレ現代美術館 Kunsthalle Zürich、 エヴァ・プレゼンフーバー Eva Presenhuber, ハウザー&ヴィルスHauser & Wirth, ピーター・キルシュマンPeter Kilchmann, ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouw といった、世界の名立たるギャラリーが共存していたが、昨秋、そのままそっくり全ギャラリーが移動した。しばらくの間、クライス9地区 Kreis 9にある ヒューバーテュス エクスビションズ Hubertus Exhibitionsで活動していく。
東京であれば、湾岸あたりへ行く感じ。夕暮れて、人影も少しまばらな方向へ向かう。あまり馴染みのない場所だったのでトラムを間違えてしまったが、友人が携帯で誘導してくれ無事到着。
この夜は、ミグロ美術館のオープニング・パーティー。すでに大分前に始まっていたので、外に出てくる人もいる。ビルの入り口には、美大生風の人々が集まり、冷たい風にあたりながら煙草をくゆらせている。
階段を上ると、右がミグロ美術館現代アート。左手に2つのギャラリーが並ぶ。
荒木経惟の新作を展示する、ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouw。流石に、いいコレクションを持っている。その隣りがハウザー&ヴィルスHauser & Wirth 、と続き、アート界のトップを切る超一流の贅沢さだ。
以前からオープニングの日は、他のギャラリーも観ることができたが、このビルは、各画廊がドアを開け放つとフロアが一体化する印象があって面白い。
不思議な絵を見た。
エントランスから、おいでおいでと、妙な光が誘いかけてくる。
スコットランドの作家、クリストファー・オール Christopher Orr。ずっと昔にどこかで会ったことがあるような絵画。でも、それは錯覚で、シュールや幻想絵画の系譜を辿りながら、この奇妙な現代作家の世界に入り込 んでみると、彼のイメージのオリジンは、あと1世紀ほど遡るとやがて気がつく。
オールは、イギリスのターナーJoseph Mallord William Turnerや同じ時代のドイツの風景画家 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒCaspar David Friedrichのロマン主義的な表現に大きく影響を受けたといわれる。
廃墟なり暴風雨なり、崩れゆく風景。そのロマン主義特有の不安な美しさに共鳴しつつ、フィクションと構成主義を往復しながら、現実と幻想の境界を消してゆく、そういう仕事をするアーティスト。
何かを暗示し象徴もするが、しかしオールの持つ抽象性は、地球の奥で燃えるマグマのような胎動のエネルギーと幻とを行きつ戻りつ、現在と未来の物語に続いているかのようだ。
何層にも塗り重ねて描き出す質感と形象。あるいは、絵具をナイフでカリカリ削ぎ落し、キャンバスの下に浮かび上がらせる、謎の姿。
ここに展示された13点の新作は、ほとんどが0号から3号ぐらいと小さい。それらが、静寂の壁からぽつんぽつんと言葉を誘発し、絵画の提示する意味が世界のあらゆる角度から交差する。
午後9時の会場に、胸元をざわつかせるあの世でもこの世でもない虚構の風景を並列して、光と闇のリリシズムを放っている。
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Jean-Michel Basquiat in his studio at the Great Jones Street, New York, 1985
In front of Untitled, 1985, Acrylic and oilstick on wood, 217 x 275,5 x 30,5 cm (detail)
Private Collection, Photo: Lizzie Himmel© © 2010, ProLitteris, Zürich
ジャン-ミッシェル・バスキアがもし生きていたら、彼は今50歳だ。
バスキアは、カリブからの移民の家庭に生まれ、ニューヨークのアンダーグラウンドから、突然熱風が噴き出すかのように現れた。
82年、ドイツのカッセルKasselで開かれた現代アート展「ドクメンタ Documenta」に招待され、一躍注目をあびる。それがどのくらいすごいことかと言うと、例えば、21歳の無名のアーティストが、ビエンナーレに招待されたと考えるとわかりやすい。
これを機に、ニューヨークのトップギャラリーにその名が知られるやいなや、猛スピードで、世界のアーティストの頂点へと登っていく。
バスキア、22歳の時。バイエラー財団の創設者エルンスト・バイエラーErnst Beyeler は、彼を招き、「エクスプレッシヴ ペインティング アフター ピカソ展 Expressive Painting after Picasso」を開催。
バスキアは、ヨーロッパが気に入り、これ以降、イタリア、フランスへよく旅行したが、特にスイスにはしばしば滞在し、多くの作品を制作した。
バスキアの作品を収集していたチューリッヒの有名ギャラリスト、ブルーノ・ビショフベルガーBruno Bishofbergerは、83年に、アンディー・ウォーホルAndy Warhol に、その後、フランチェスコ・クレメンティFrancesco Clementeに引きあわせ、コラボレーションを提案した。共同制作は、バスキアの後半の作品で重要なパートを占めることとなる。
ともに活動したFab 5 zfreddy, ヴィンセント・ギャロVincent Gallo, キース・へリングKeith Haring, デビー・ハリーDebbie Harry, マドンナMadonna ・・・
そんな時代を象徴する飛び抜けた才能に囲まれていたことも、彼のカリスマ性をますます高めていった。
白人社会の階級もアカデミックなルールもまったく無視して、日々の出来事から迸るインスピレーションを、いつ眠っていたのかと思うほどの激しいパワーでぶつけて、次々と作品を生み出す。
ウォーホルの死の翌年、バスキアは、ドラッグのオーバーダズで唐突にこの世を去った。わずか27歳。
画家として、俳優、詩人、ミュージシャン、グラフィティ アーティストとして。活躍したのは、70年代後半から88年まで。10年ほどだ。
ニューヨークのホイットニー美術館The Whitney Museum of American Art、ニューヨーク近代美術館The Museum of Modern Art(MoMA)、パリのジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センターCentre National d’Art et de Culture Georges Pompidou 、パリ市立近代美術館Musée d’Art Moderne de la Ville de Parisとダイナミックなプロジェクトを組み、さらにブルーノ・ビショフベルガーを始めとしたギャラリーやコレクターのプライベートコレクションを展覧。
150点を超える絵画、ドローウィング、オブジェ、フィルムなどで構成された、ヨーロッパ初の大規模なバスキア展 BASQIATが、バーゼルのバイエラー財団美術館で開催されている。
レンゾ・ピアノRenzo Pianoのガラスの天井が夏の日差しを受け止め、柔らかく濾過したかのように会場に降り注ぐ。雲が動くと光が変わり、巨大な作品から放出されるビートや熱も変化する。
カタログに寄せた、館長サム・ケラーSam Keller とキュレーターのディーター・ブックハートDieter Buchhartによるイントロダクションが、なかなか秀逸で感動的だ。この作品集もまた、展覧会同様、バスキアへの深い敬意にあふれている。
9月5日まで
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1916年。トリスタン・ツァラは、チューリッヒでダダイズムを宣言した。美術史上、その後いくつかの大きな影響を受けてきているが、現在、この街は、世界の現代アートの重要な拠点のひとつとして確立されている。
その中でも、リーダーの役割を担っているのが、ミグロ美術館現代アートMigros Museum für Gegenwartskunst。
実際、現代アートだけを専門に扱う美術館は、ヨーロッパでも意外に少ないが、ミグロ美術館現代アートは、例えばパリのパレ・ド・トーキョーやロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーと並ぶ世界のアートシーンで常にユニークで質の高い企画展を発表する存在として知られている。
オープンは、1996年。ちょうど、この90年代半ばから現在に至るまで、世界中からアーティストがこの街に集まって来るという傾向が見られる。
ミグロ美術館現代アートは、ライオンのブランドマークでおなじみのスイスの古いビール工場をそっくり改造した建物のなかにある。また、このビルには、クンストハレ現代美術館 Kunsthalle Zürich を始め、 エヴァ・プレゼンフーバー Eva Presenhuber, ハウザー&ヴィルスHauser & Wirth, ピーター・キルシュマンPeter Kilchmann, ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouw といった、世界の名立たる現代アートのギャラリーが共存している。ミグロ美術館現代アートは、時として、これらのギャラリーと連動した活動を展開することもある。
ローヴェンブロイ・エリアと呼ばれるLöwenbrau-Areaこの周辺一帯には、ギャラリーが多く、またクリエイティブな仕事が集中している、チューリッヒでも最先端の情報を発信するエリアである。ミグロ美術館現代アートは、この地域においては、美術を学ぶ学生が卒業後もチューリッヒで制作活動を続けられるよう環境整備をしていると同時に、世界のアーティストと密接な関係を結びながら、よりスケールの大きな作品に取り組み、人々と交感していくプロセスを通じて、現代アートの歴史を作り続けることを目的としている。
パトロネージュするのは、スイス最大のリテイラー、ミグロ。スーパー、デパート、銀行、学校など、傘下には異業種が多様にある。創業者ゴットリープ・ドゥットワイラーGottlieb Duttweilerの波乱に満ちた、実にチャレンジングな生涯は有名であるが、彼自身がアバンギャルドな絵画を収集していたことは、系譜として記憶しておきたい。
ミグロ美術館現代アートでは、現在、20世紀思想を総ざらいして再構築したかのような実にパワフルな展覧会が開催されている。
世界的な現代作家13人が、ダンス、彫刻、ビデオ、インスタレーションなど、象徴言語の脈絡の中で、まったく異なる展開と多様なコンテンツの働きを煌めかせたグループ展 While bodies get mirrored- An Exhibition about Movement, Formalism and Space。
動きと空間の間に生じる緊張関係を大きなテーマとし、現代アートにおけるポスト・モダン・ダンスやその振り付けの影響に焦点を当てている。
また、もうひとつの中心テーマは、「演じること」の再プレゼンテーション。動きの記号、ダンサーの表現を様々な媒体を通じて展覧している。
初期のポスト・モダン・ダンスは、次のモダニズムへとブリッジする時期に「あらゆる動きはダンスであり、全ての人間はダンサーである」と解釈していた。
ポスト・モダン・ダンスにおける動きの形式表現の遺産は、現代アートに応用され、反映し、さらに発展している。とりわけ、ここ数年、若いアーティストの間で、この20世紀初めのアバンギャルドなムーブメントが再度取り上げられ、再発見され、興味が高まっているという大変面白い動きが起きている。
キュレーターのラファエル・ギガックスRaphael Gygaxのインタビューを聞いた。
「タイトルWhile bodies get mirroredは、一見、複雑な様相を示しているかもしれません。しかし、これは、なによりも大変詩的で、私たちが追求してみたかった3つの瞬間を映し出しているのです。フォーマリズム、ムーブメント、そして空間。作品は、それを映し出す、あるいは反射させる空間が必要とされます。ポスト・モダンアートにおいて、反射させることは、しばしば身体の細分化と密接な関係を持っています」。
館長ハイケ・ムンダー Heike Munderは、2001年に就任して以来、次々と斬新で挑戦的な企画を成功させてきた。
「パフォーマティブな活動を、長年に渡って提示してきました。ムーブメント、劇場的な表現形式。私たちは、今回グループ展として、それらすべてをこの空間に集合させました」。
会場一番奥、真っ赤な絨毯の上に70枚を超える鏡を杭のように構築した、ウィリアム・フォーサイスWilliam ForsytheのThe Defenders Part2が展示されている。この作品と絡む文脈が、展覧全体の作品から作品へと、まったく異質でありながらもget Mirroedというというコンセプトで符合している。
会場に入って、まず私たちを出迎えるのは、このフォーサイスのDNAを汲み、その暗示とも受け取れるメキシコのマルティン・ソート・クリメントMrtin Soto Climentの、白鳥 The Swan Swoons in the Still of Swirl。スチールの彫刻と、それを踊らせる作家がスクリーンに流れる。
この導線を辿っていくと、アニミズムを連想させるアメリカのアバンギャルドのパイオニア、May Derenのダンス。
その先には、ヘンリー・ミラーの作品のパッサージュをベースに、彼の親密な女性のイメージを引用した、デリア・ゴンツァレツDelia Gonzalezのフィルム。シェークスピアの「真夏の夜の夢」に登場する妖精の王オベロンの黒い翼を身につけて、闇の奥から現れたようなダンサーが、ある種呪術的にさえ見える舞踏を踊る。
ハイケ・ムンダーの話を続けよう。
「現代の精神性は、リ・フォーマリズムとファンタジーの間で生きています。2つの重要なムーブメントは、形式が幾何学に対抗するものでありながら、しかし、同時に常にオーバーラップしているということなのです。ユートピアは、失われました。しかし、多くのアーティストが、ユートピアと交流しています。彼らは、非常に強い芸術の力でそれを取り戻しているのです」。
パウラ・オロヴスカPaulina OlowskaによるAlphabet Letters。
彫刻的なフィールドを拡大拡張しつつも、さらにムーブメントを凝固させようとロープを張り巡らす、ジュリアン・ゲーテJulian Goethe。
社会的、政治的アプローチをも意図する、アンナ・モルスカAnna Molska。
「彼らのアートの原点が、ユートピアのアイデアと手を取り合っていることがわかります」。
「20世紀初頭、文化人類学者、心理学者、社会学者は、身体やムーブメントの刻印は、精神文化によって与えられていると想定しました。この展覧会は、それらの影響と遺産のひとつの理想的な表現方法である。私は、そう考えています」。
数年前、ハイケ・ムンダーにインタビューする機会があったが、彼女はこの美術館の戦略でありミッションである オン ゴーイング アート プロセス on going art prosess について、以下のように解説した。
「アートは、常に社会とつながっています。世界にリンクして、外に向かって開かれたものです。ですから、政治にも、経済にも、歴史にもつながっているといえます。アートを人々や社会に問いかける。人々が考える、感じる、刺激される。あるいは、幸福な気分になる。それが、美術館に反映され、私たちは、また問いかける。その繰り返しは永遠に続きます」。
「美術館の活動が、地下に根を張っていくとイメージしてください。やがて、木になる。花が咲くかもしれない。広大な森ができるかもしれません。素敵だと思いませんか。それが、私の考える オン ゴーイング アート プロセスon going art prosessです」。
While bodies get mirroredは、オン ゴーイング アート プロセスの地下鉱脈に根を張り巡らして煌めいている、現時点での集大成のグループ展であると解釈できる。
この展覧会の提示するユートピアのなかで、私自身が反射を感じる奇妙な幸福感があった。
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While bodies get mirroredを構成するアーティスト
アネタ・モナ・チシャ Anetta Mona Chisa 1975 ルーマニア/ マヤ・デレンMaya Deren  1917 – 1961 ウクライナ/ウィリアム・フォーサイス William Forsythe 1949 アメリカ / ジュリアン・ゲーテJulianGoethe 1966 ドイツ/デリア・ゴンツァレツDelia Gonzalez 1972 アメリカ/ バベット マンゴルト Babette Mangolte 1941 フランス /アンナ・モルスカAnna Molska 1983 ポーランド/ ケリー・ニッパー Kelly Nipper 1971 アメリカstyle/ポウリナ・オロウスカPaulina Olowska1976 ポーランド/ シルク・オットー・クナップ Silke Otto-Knapp 1970 ドイツ/マイ- テュ・ペレ Mai-Thu Perret 1976 スイス/ ハンナ・シュヴァルツ Hanna Schwarz 1975 ドイツ/ マルティン・ソトー・クリメント Martin Soto Climent 1977 メキシコ/ルチア・テュカソファLucia Tkácová 1977 スロバキア
5月30日まで
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バイエラー財団美術館のジェニー・ホルツァー展では、企画意図の一環であるのか、写真撮影が許されている。
話題になった、レンゾ・ピアノの建築とのコラボレーション。ジャコメティ、ピカソ、マックス・エルンスト、そして、ネオンなど屋外広告を表現媒体にした時期もあるアンディー・ウォーホルなど。財団のコレクションのなかからホルツァー自身がキュレーターともなって選んだ、これら作品との対話がここにある。
カタログを買うと、ホルツァーのメッセージがデザインされた、美術館オリジナルのバッグがついてくる。