伝説の天才「バスキア展」 バイエラー財団美術館

Jean-Michel Basquiat in his studio at the Great Jones Street, New York, 1985
In front of Untitled, 1985, Acrylic and oilstick on wood, 217 x 275,5 x 30,5 cm (detail)
Private Collection, Photo: Lizzie Himmel©  © 2010, ProLitteris, Zürich

ジャン-ミッシェル・バスキアがもし生きていたら、彼は今50歳だ。

バスキアは、カリブからの移民の家庭に生まれ、ニューヨークのアンダーグラウンドから、突然熱風が噴き出すかのように現れた。

82年、ドイツのカッセルKasselで開かれた現代アート展「ドクメンタ Documenta」に招待され、一躍注目をあびる。それがどのくらいすごいことかと言うと、例えば、21歳の無名のアーティストが、ビエンナーレに招待されたと考えるとわかりやすい。

これを機に、ニューヨークのトップギャラリーにその名が知られるやいなや、猛スピードで、世界のアーティストの頂点へと登っていく。

バスキア、22歳の時。バイエラー財団の創設者エルンスト・バイエラーErnst Beyeler は、彼を招き、「エクスプレッシヴ ペインティング アフター ピカソ展 Expressive Painting after Picasso」を開催。
バスキアは、ヨーロッパが気に入り、これ以降、イタリア、フランスへよく旅行したが、特にスイスにはしばしば滞在し、多くの作品を制作した。

バスキアの作品を収集していたチューリッヒの有名ギャラリスト、ブルーノ・ビショフベルガーBruno Bishofbergerは、83年に、アンディー・ウォーホルAndy Warhol に、その後、フランチェスコ・クレメンティFrancesco Clementeに引きあわせ、コラボレーションを提案した。共同制作は、バスキアの後半の作品で重要なパートを占めることとなる。

ともに活動したFab 5 zfreddy, ヴィンセント・ギャロVincent Gallo, キース・へリングKeith Haring, デビー・ハリーDebbie Harry, マドンナMadonna ・・・
そんな時代を象徴する飛び抜けた才能に囲まれていたことも、彼のカリスマ性をますます高めていった。

白人社会の階級もアカデミックなルールもまったく無視して、日々の出来事から迸るインスピレーションを、いつ眠っていたのかと思うほどの激しいパワーでぶつけて、次々と作品を生み出す。

ウォーホルの死の翌年、バスキアは、ドラッグのオーバーダズで唐突にこの世を去った。わずか27歳。

画家として、俳優、詩人、ミュージシャン、グラフィティ アーティストとして。活躍したのは、70年代後半から88年まで。10年ほどだ。

ニューヨークのホイットニー美術館The Whitney Museum of American Art、ニューヨーク近代美術館The Museum of Modern Art(MoMA)、パリのジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センターCentre National d’Art et de Culture Georges Pompidou 、パリ市立近代美術館Musée d’Art Moderne de la Ville de Parisとダイナミックなプロジェクトを組み、さらにブルーノ・ビショフベルガーを始めとしたギャラリーやコレクターのプライベートコレクションを展覧。

150点を超える絵画、ドローウィング、オブジェ、フィルムなどで構成された、ヨーロッパ初の大規模なバスキア展 BASQIATが、バーゼルのバイエラー財団美術館で開催されている。

レンゾ・ピアノRenzo Pianoのガラスの天井が夏の日差しを受け止め、柔らかく濾過したかのように会場に降り注ぐ。雲が動くと光が変わり、巨大な作品から放出されるビートや熱も変化する。

カタログに寄せた、館長サム・ケラーSam Keller とキュレーターのディーター・ブックハートDieter Buchhartによるイントロダクションが、なかなか秀逸で感動的だ。この作品集もまた、展覧会同様、バスキアへの深い敬意にあふれている。

9月5日まで

 

 

 

 

 

 

 

https://www.fondationbeyeler.ch/startseite

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