コンサート・マスターという仕事 チューリッヒ 歌劇場管弦楽団

Photo:© Philip Koschel

チューリッヒ歌劇場で、いつも最初にチェックする席がある。2階右側バルコニーの5番目。なぜ、脇から見たがるのかと聞かれたことがあるが、平土間をすぐ下に、この位置から舞台全体が見渡せ、歌手の表情も近い。
そして、舞台の下、オーケストラピットがそっくり見える。好きな指揮者が登場する日ならなおさら、演奏を観るという楽しみが加わるのだ。

オーケストラに、コンサート・マスターという仕事がある。指揮者が登場して握手する、第一バイオリンの首席奏者。指揮者とオーケストラメンバーの間に座っていて、観客の側には、それほど目立つ存在には映らないが、コンサート・マスターは、演奏を率いる大きな責任を担っている。

このチューリッヒ歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターにインタビューする機会を得た。

ハンナ・ヴァインマイスター Hanna Weinmeister。クラシックのご専門家は、彼女の名前をご存知だろう。
オーストリアのザルツブルグSalzburg出身。28歳のときにチューリッヒ歌劇場のコンサート・マスターのオーディションを受け、就任した。

ペレイラ現総裁は、当時、すでにその手腕を高く評価されていた。今年からウィーン国立歌劇場音楽監督を務めるウェルザー=メストFranz Welser-Möstは、彼女がオーディションを受けた98年、チューリッヒ歌劇場で音楽総監督として活躍していた。

世界中から、数々の歴史あるコンクールで才能を絶賛された音楽家が集まってくる。そのコンサート・マスターのオーディションが、どれほど緊張するものであることか。

チューリッヒ歌劇場管弦楽団のメンバーは、100名を越える。
コンサート・マスターの選考となれば、団員にとっては自分たちの新しいリーダーが選ばれること。当然、多くのメンバーが聴きにやってくる。

書類審査を通過した音楽家が受ける第一次審査では、ステージのカーテンが降ろされたままで演奏を聴くそうだ。誰が弾いているか分からない、と言いきれるかどうかはともかくとして、名前も顔も出てこないということからすると、非常に公平に、純粋に音楽を聴くことになる。

ハンナ・ヴァインマイスターが、オーディションを受けたその日。総指揮者ウェザー=メストは、体調を崩して出席できなかった、とメンバーの方から伺った。

最後の演奏が終わると、ペレイラ総裁は、メストに電話をかけた。
「ハンナ・ヴァインマイスターに決まるが、どうだろうか」。
「もちろん、彼女で結構だ」。

その頃、ヨーロッパ中に名前は知れ渡っていただろうが、そういう、たった二言のやり取りがあったと、今でも語られている。

理論を超えて、言葉を超えて。しかし、数学者と話をしているのではないかと思うほどの明晰さで、専門的な話をこれほどシンプルに語ることができるものかと、その表現力に圧倒された。

指揮者のスピリッツを受け止め、それをあたかもテレパシーのように背後のメンバーに発する。誰もが納得のできるいい演奏をしたいと自分にチャレンジしているステージで、それぞれが放つその日の力を感じ取り、描くイメージの音楽へと、メンバー全員の音を導き演奏にする。それが役割、と言う。

精神世界のように不思議に満ちた、ある種、予兆に近い方向性の出し方。人知を超越した音楽の世界との気高い交信がそこにある。

音楽家特有の淀みなく流れる心地良いフレーズの意味の深淵と、目の前で時折声を立てて笑いながら語る美しい表情とを何度も反復しながら、しみじみとこの女性が天才であることを理解する。

写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。現在発売中の「プレシャス」9月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載されている。

お手に取っていただければ幸いです。

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晩夏の湖

日本からは、猛暑のメールが飛んでくる。

今年の夏のチューリッヒは、涼しかった。
7月に、待ちわびていた真夏の陽射しがやって来た。バルコニーで夕食をとり、週末ともなれば茂みの向こうから遅くまで笑い声が響いていた。

しかし、残念ながら、一年で一番美しいはずの夏の日は長く続かず、突然コートを着るような肌寒い毎日。曇っているか、雨がしとしと降っているか。

急いでくれないと、夏至が来る。いつもご挨拶は、「夏は、ほんとうに来るのでしょうか」、だった。
だから、ときおり思い出したように夏の太陽が戻ってくると、これを逃すまいと、ささっと水着に着替えて湖へ降りてゆく。

読みかけの本、読むかもしれない本。何か思いつくかもしれないから、四角いポストイット。バナナに冷たい麦茶。サングラス。これが、必需品。

2週間前には、ピンクのレンゲの花が一面に咲いていたが、それが終わって、白い小菊が埋め尽くす。花の上に寝転ぶのはとても気が引け、少しだけずれて、大きな木の下にお気に入りのビーチタオルをばさっと広げる。

ここは、この地域のプライベートビーチなので、静けさが守られている。

晩夏の湖に、ヨットの白い帆がいくつも浮かぶ。時折、湖沿いの小さな街を結ぶ定期船が通ってゆく。

しばらくそんな光景を眺め、波の音を聞きながらうとうとしていたら、急に深く眠ったようだ。

ツン、ツン、ツン???

何だか、知らない感触。

夢の中で、痛かった。で、やっぱり痛いので跳び起きたのだが、それは、なんと、鴨。私の周りに小鴨が集まって、足の裏がよほど面白かったのか、嘴で突ついて遊んでいたのだった。

この春生まれて、夏の湖でお母さんと一緒に泳いでいる小鴨たちは、人なつこくて、いたずらもする。

苔色のぬめる石を踏みながら、ゆっくりと、水に入る。
鴨たちも、そして、この湖へ流れ込むリマト川からやって来た白鳥も、私のすぐそばで泳いでいる。

太陽を見上げる。

子どもたちが、飛び込み台から歓声をあげている。

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伝説の天才「バスキア展」 バイエラー財団美術館

Jean-Michel Basquiat in his studio at the Great Jones Street, New York, 1985
In front of Untitled, 1985, Acrylic and oilstick on wood, 217 x 275,5 x 30,5 cm (detail)
Private Collection, Photo: Lizzie Himmel©  © 2010, ProLitteris, Zürich

ジャン-ミッシェル・バスキアがもし生きていたら、彼は今50歳だ。

バスキアは、カリブからの移民の家庭に生まれ、ニューヨークのアンダーグラウンドから、突然熱風が噴き出すかのように現れた。

82年、ドイツのカッセルKasselで開かれた現代アート展「ドクメンタ Documenta」に招待され、一躍注目をあびる。それがどのくらいすごいことかと言うと、例えば、21歳の無名のアーティストが、ビエンナーレに招待されたと考えるとわかりやすい。

これを機に、ニューヨークのトップギャラリーにその名が知られるやいなや、猛スピードで、世界のアーティストの頂点へと登っていく。

バスキア、22歳の時。バイエラー財団の創設者エルンスト・バイエラーErnst Beyeler は、彼を招き、「エクスプレッシヴ ペインティング アフター ピカソ展 Expressive Painting after Picasso」を開催。
バスキアは、ヨーロッパが気に入り、これ以降、イタリア、フランスへよく旅行したが、特にスイスにはしばしば滞在し、多くの作品を制作した。

バスキアの作品を収集していたチューリッヒの有名ギャラリスト、ブルーノ・ビショフベルガーBruno Bishofbergerは、83年に、アンディー・ウォーホルAndy Warhol に、その後、フランチェスコ・クレメンティFrancesco Clementeに引きあわせ、コラボレーションを提案した。共同制作は、バスキアの後半の作品で重要なパートを占めることとなる。

ともに活動したFab 5 zfreddy, ヴィンセント・ギャロVincent Gallo, キース・へリングKeith Haring, デビー・ハリーDebbie Harry, マドンナMadonna ・・・
そんな時代を象徴する飛び抜けた才能に囲まれていたことも、彼のカリスマ性をますます高めていった。

白人社会の階級もアカデミックなルールもまったく無視して、日々の出来事から迸るインスピレーションを、いつ眠っていたのかと思うほどの激しいパワーでぶつけて、次々と作品を生み出す。

ウォーホルの死の翌年、バスキアは、ドラッグのオーバーダズで唐突にこの世を去った。わずか27歳。

画家として、俳優、詩人、ミュージシャン、グラフィティ アーティストとして。活躍したのは、70年代後半から88年まで。10年ほどだ。

ニューヨークのホイットニー美術館The Whitney Museum of American Art、ニューヨーク近代美術館The Museum of Modern Art(MoMA)、パリのジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センターCentre National d’Art et de Culture Georges Pompidou 、パリ市立近代美術館Musée d’Art Moderne de la Ville de Parisとダイナミックなプロジェクトを組み、さらにブルーノ・ビショフベルガーを始めとしたギャラリーやコレクターのプライベートコレクションを展覧。

150点を超える絵画、ドローウィング、オブジェ、フィルムなどで構成された、ヨーロッパ初の大規模なバスキア展 BASQIATが、バーゼルのバイエラー財団美術館で開催されている。

レンゾ・ピアノRenzo Pianoのガラスの天井が夏の日差しを受け止め、柔らかく濾過したかのように会場に降り注ぐ。雲が動くと光が変わり、巨大な作品から放出されるビートや熱も変化する。

カタログに寄せた、館長サム・ケラーSam Keller とキュレーターのディーター・ブックハートDieter Buchhartによるイントロダクションが、なかなか秀逸で感動的だ。この作品集もまた、展覧会同様、バスキアへの深い敬意にあふれている。

9月5日まで

 

 

 

 

 

 

 

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「真夏の夜の夢」 チューリッヒ・バレエ団

ヨーロッパの伝承で、夏至は神秘的な意味を持つ。森の妖精の力が強まり、何か不思議なことが起こる日だと言われる。

「ヨーロッパで最も美しいバレエ」と評されるチューリッヒ・バレエ団。その作品のなかでも、とりわけ人気の高いロングランのプロダクションのひとつに「真夏の夜の夢 A Midsummer Night’s Dream」がある。夏至の夜、森の小さな妖精たちが跳びまわる。

メンデルスゾーンが17歳のときに、シェークスピアのこの物語を読んで触発され、瞬く間にめくるめく幻想の森の序曲を書きあげた。

後に序曲の演奏を聴いて深く感動したプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世Friedrich Wilhelm IV.から、「真夏の夜の夢」を上演するための劇付属音楽の作曲を依頼される。
メンデルスゾーン、30代半ばのこと。これに続く全曲を作ったわけだが、10代の天才が生み出した序曲の完成度はあまりに高く、成熟期の12曲とまったくレベルが揃うと言われる。

フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン・・・。これから起こる不思議を暗示するような森の声に誘われて、夢の世界へ入ってゆく。

ステージデザインは、世界的な活躍を続けるハンス・シャフェルノックHans Schavernoch、照明の魔術は、ユルゲン・ホフマンJürgen Hoffman。そのセンスの良さや理解の深さ、技術の高さはずば抜けている。

何よりも感心したのは、舞台一面に張りだした巨大な鏡に、歌劇場の客席をそっくり映し込ませたアイデアだ。私たちを席に迎える時、すでにそこに森があり、客席の動く人々のシルエットは、鏡の中でまるで獣がゆっくり移動しているかのようにも見える。

チューリッヒ歌劇場の客席は、金とブルーの天井画と大きなシャンデリアの美しい、重厚なバロック様式。天使の柱の彫刻と神々の像が3層のバルコニーをぐるりと巡る、馬蹄型だ。
美術監督のシャフェルノックは、この装飾性の高いでこぼことした空間を、真逆から、奥行きの深さをそのまま黒いガラスに映し出して、幻想の森を作った。

客席は、すっぽり遠近法のトリックに覆い尽くされる。
鬱蒼とした森の奥へ、あるいは、妖精や獣たちが眠る薄暗い岩の洞窟の中へ、私たちは連れて行かれる。

突然跳び出してきた妖精パック Puckは、俊敏なソリスト、アルマン・グリゴリアンArman Grigoryan。その跳躍力も静止力も、人間離れしているとさえ思えるが、妖精のグレゴリアンは、常に何かを企んでいる緊迫感が動きに伴い、不気味な存在に惹きつけられる。
クラシックとモダン、そして、豊かな演劇的要素が自在に織りなす迫力で、観客も魔法をかけられパックの虜になってしまう。

彼は、恋人たちに媚薬を塗って別人格にした時、大きな瞳で客席を凝視しながら、実は、あのキラキラ輝く無数の粉を、こちら側にも振り撒いていたのだろう。

妖精の王、オーベロン Oberonに、スタニスラフ・イェルマコフ Stanislav Jermakov。その妻、妖精の女王 タイターニア Titaniaに、サラ – ジェンヌ・ブロドベックSarah-Jane Brodbeck。バレエのために生まれてきたに違いない長い手足が、優雅なアティチュードで、ひときわ伸びやかな垂直を描き、森の妖精たちを従える。

ハーミア Hermiaに、中国のイェン・ハンYen Han。チューリッヒ・バレエ団のなかでもトップの人気で、熱烈なファンを多く持つ。むしろ小柄に見えるが、はかなげで繊細なダンスが素晴らしいソリストだ。

その恋人ライサンダーLysanderは、ヴァーへ・マルティロシャンVahe Martirosyan。ハーミアの友人ヘレナHelenaに、ガリナ・ミハイロヴァGalina Mihaylova。最後はヘレナと結ばれるが、ハーミアの父が決めた結婚相手ディミートリアス Demetriusに、アルセン・メーラビャンArsen Mehrabyan。

「真夏の夜の夢」のストーリーはあまりにも有名で、誰もがハッピーになる結末。パックのかけた魔法でパートナーを取り違える事件の諧謔を、2幕で見せる。

演出・振り付けのハインツ・シュペルリHeinz Sperliは、人間の関係性や巡り合わせ、恋人を交換する面白さに惹かれると語る。

「作品のなかで、具体的な人物描写、それぞれのキャラクターの変化に大変興味を持っています。特に魅力的なのは、愛の様々なテーマを見せるという構成です。『真夏の夜の夢』の現代性は、私の視点から見ると、ごく小さな世界に起こる出来事であって、恋人同士が交換可能であるということ、そのようなパートナー・チェンジのバリエーションの面白さにあります」。

それは、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」で表現した、出会いや別離のテーマにも通じる。
もしパートナーを交換したら、何が起こるのか。シュペリエにとって、それは、現代に投げかけるシェークスピアの愛の描写なのだと言う。

無分別、錯乱、倒錯、愛の幻想。シュペリエのマジックで、人間同士の対立や矛盾が、バレエの内面から外界へと発散され、問いかけてくる。

休憩をはさんで、3時間近く森にいる。
フィナーレで最初の序曲が循環し妖精の歌声を聞きながら、やがて私たちも夢から覚める。

Photo: Opernhaus Zürich / Peter Schnetz

 

 

 

 

 

 

 

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