「未来の友達 / Mirai no tomodachi」

日本語をまったく知らないスイスの中学生たちが、震災復興支援のためのメッセージソングを日本語で歌っている。
私がその話を聞いたとき、「未来の友達 /Mirai no tomodachi 」がユーチューブにアップされて1週間ほどたっていた。

この時点で、すでに1万人以上がアクセスし、瞬く間に日本へ、世界へ広がり、スイスには多くの反響が届いているという。

制作者のミュージシャン、パスカル・ケーザーPascal Kaeserさんはベルンの中学の音楽の先生でもある。歌っているのは、ケーザーさんの生徒たち。

日本語の歌詞を理解し覚えるのに、どれほど練習したことか、この歌を聞けばわかる。彼女たちの一所懸命が、率直な視線から痛いほど伝わってくる。

傷ついた人々の心に寄り添うように、その人たちの国の言語で歌う。

それは、尊敬の表現なのだと思う。

パソコンに向かって泣きながら、何度も「ありがとう」と言っていた、2011年12月。

Facebook, Twitter, Mixiやブログなど。シェアをよろしくお願いいたします。

http://www.youtube.com/watch?v=SwX1AYOoZsw

“「未来の友達 / Mirai no tomodachi」” への2件のフィードバック

  1. まりこ より:

    何故か、ふとタイトルに惹かれるように拝見した去年の記事、リンクされているYouTubeの「未来の友達 /Mirai no tomodachi 」を初めて見て、涙が溢れてきました。 心を揺すぶられる素晴らしいメッセージ動画を教えて下さってありがとうございました。

  2. mieko yagi より:

    海外に暮らす日本人の誰もが、こんな遠く離れた国からいったい何ができるのか、どのように役に立つことができるのか、悩んでいましたね。
    友人たちとベルンの日本大使館へ記帳にいったことを思い出しました。
    スイスやドイツでの報道が、日本とあまりにも大きく違ったこと。インターネットで飛んでくるヨーロッパからの情報。
    原発への質問も個人個人に投げかけられました。日本語で歌ってくれたこの歌の歌詞にほろほろきて。ありがとう、ありがとう、とPCに頭を下げていました。

コメントを残す

ラヤトン 無限の森へ

夕方から、雪が降って来た。

椋鳥は、きっと風向きが変わる前に帰っただろう。

私の机の前に見えるブナの木は、縦横に伸びる細く黒い枝に雪をのせて立っている。

夜が来る。
今日は、アドベントのキャンドル、4本すべてが灯る日だ。

ラヤトンRajaton 。面白い響き。北欧、フィンランド。六人組のアカペラ・ボーカル・グループの名前。

私の友人の何人かも、そこから来た人たち。薄い茶色や白っぽい金髪。青い瞳。大人になっても透きとおる肌を持っている。物腰のやわらかさが印象的だ。
冬になってラヤトンの声を聞いたとき、彼女たちを思い出した。

知らない言語は、きれいな声で語られると音楽のように聞こえ、その国の自然が見えてくる。それが魂を揺さぶるような歌になれば、地球に広がる。
意味が、言葉を超えるから。誰でも心でわかるから。

世界で静かに伝えられている、ラヤトンの歌声。
おそらく自然への謙虚さから生まれる、親しさ。森羅万象、聖なるものが近づいてくる、安らぎ。
そっと目を閉じ、しばらくそこに棲んでみる。

NHK世界里山紀行「フィンランド・森とともに生きる」、2011年春に公開されたドキュメンタリー映画「森聞き」。ラヤトンは、それらのテーマ曲を奏でている。

「森聞き」は、森と共に人生を送ってきた老人たちを訪ねる高校生が、森の話を聞きとりながら、人について、自然について、社会について考える過程を追っていく。
日本各地の森のなかで、ラヤトンの歌声は、谷底へ降りてゆき、山にこだまし、川の水と戯れる。人々が肩を寄せて笑うその姿も、森の一部であると教えてくれる。

「ラヤトン 無限の森へ フィンランド・アカペラの響き」
これは、彼らの12枚のCDから15曲を選んで製作された、CD+絵本。

風の声、山の声、光の微笑みや雪のきらめき。軽やかな蝶の羽音。それら多くはフィンランド語の歌だ。

フィンランド文学者、上山美保子さんのすぐれた超訳。三田圭介さんが描く、豊かでやさしい森の世界。柴田昌平監督による編集。丁寧に編まれた手作りのあたたかさが、ピュアな歌声にふさわしい。美しい絵本だ。

ページからページへ。
私が見つけた森の精霊は、かくれんぼしながら飛びまわっている。

クリスマスプレゼントにしても素敵だけれど、ヴァレンタインに手渡すというのも、なかなかスマートだと思う。

「ドビンの花咲く谷間 Dobbin’s Flowery Vale」というアイルランドの古謡は、「森聞き」で最初の音を聴いた瞬間、いったい何が起こったのかと思った。ピーンと、澄みきった天までとどく歌声は、野性の気高い精神を解き放つ。

この歌を、ユーチューブで見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=Ucpx11Xfpbk&feature=player_embedded

「ラヤトン 無限の森へ フィンランド・アカペラの響き」

2,850円+税

プロダクション・エイシアから、直接お求めになれます。
https://www.asia-documentary.com/rajaton/index.html

コメントを残す

天使が街に降りてきた チューリッヒ・クリスマスマーケット

日曜日に、中央駅のクリスマスマーケットへ行った。いつもの年は、通りがかりに覗くぐらいだが、何か規格化されていない雑然としたものに囲まれてみたかった。
ざわざわっとした感触。形の違うお菓子。天使や三日月の形のクッキー。グリューワインの大きなポットからは、シナモンやアニスの匂いが誘い、ラクレットのチーズも、インドのカレーや中近東の香料も、同じ広場で売っている。
羊やロバの毛皮が仮設小屋の窓にかかり、森で彫られた妖精トロールが顔を揃えてこちらを見てる。

駅前のバーンホフシュトラッセ Bahnhofstrasse にも旧市街の石畳にも屋台があるが、中央駅のクリスマスマーケットは、屋内ではヨーロッパ最大規模。ざっと160軒 以上もの屋台が並ぶ。周辺諸国からも人々がやってきて、その数延べ46万人というから、チューリッヒの人口をはるかに上回っている。
イヴまでの待降節の間中、アドヴェント4週間、毎日市が立っている。

裸電球が黄色い光を灯す。抑えた興奮がひたひたと伝わってきて、幻の世界へ入っていく。

不思議だ。たくさん人が集まって話もしているはずなのに、耳にさわる喧騒がない。みんなが落ち着いていて、神聖さや敬虔な空気がそこはかとなくある。大きな教会の周辺のお土産屋さんがそうであるように、静かなのだ。

無声映画のなかにいるみたいにメリーゴーランドが回り、子どもの顔がスローモーションで変わっていく。屋台では、誰も売りつけないし、値切らない。それに、おまけもしてくれない。

アクセサリーを選んでいる人。紙コップで乾杯している若者たちも、大きなシュトーレンを抱える紳士も。薄いヴェールが一枚かかったように光を纏い、やがてどこかへ消えていく。

化石を並べた屋台のご主人と顔を見合わせ、暗黙のサインを送り合う。ポケットにアンモナイトをひとつ。そっと握って、街へ出る。

サンタクロースが子どもたちを乗せて、小さな赤いトラムを運転している。

メリー・クリスマス!!

素敵なイヴを。

Photo:©Mieko Yagi

https://christkindlimarkt.ch/

コメントを残す