チューリッヒ歌劇場 13/14 プログラム

今日は、グッド・フライデー。イースター休暇の前、チューリッヒ歌劇場の来シーズンの演目が先日発表された。
郵便でも送られてくるが、歌劇場のクロークの中央のテーブルいっぱいに分厚いプログラムが誇らしげに積み上げられているのを見ると、やはり1冊持ち帰ってくる。

プルミエは、オペラ9本、バレエ3本。

9月22日、ベルント・アロイス・ツィンマーマンBernd Alois Zimmermann のオペラ「兵士たち DIE SOLDATEN」で幕を開ける。

バレエでは、ドイツの革命家にして劇作家 ゲオルク・ビューヒナー Karl Georg Büchnerの生誕200年を祝し、「ヴォイツェック WOYZECK」をクリスチャン・シュピュックChristian Spuckの振り付けで、10月12日より上演する。

「ファウスト FAUST」、オスカーワイルドの短編「カンタヴィルの亡霊 DAS GESPENST VON CANTERVILLE」と続き、1814年に難航の末に初演されたベートーベンの唯一のオペラ「フィデリオ FIDELIO」が、12月8日に登場。シーズンきっての話題作で、クリスマスをはさみ、オペラの季節のピークがフェスティブに華やぐ。

昨年の夏。歌劇場の前で、ペレイラ、ガッティ、シュッペルリの3人が振り向きながら、「さよなら」と手を振っているポスターを見たときは、「ほんとうに、変わってしまうんだ」と一抹の寂しさとともにショックを受けたものだ。周囲のオペラ座サポートメンバーも、「一体どうなってしまうのかわかりません」とノーコメント状態だったが、ペレイラから引き継いだ総裁アンドレアス・ホモキAndreas Homokiの評価は上演ごとに高まり、確実にファンを醸成している。チューリッヒらしい挑戦的な異色作を打ち出しながら、再演のなかにも珠玉が多く光り、2期目のホモキのリードに期待される。

http://www.opernhaus.ch/

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カズ・フグラー × 松井冬子 at 成山画廊

©Boris Marberg

間もなく、チューリッヒとジュネーブで、毎年恒例のファッションショー「モード・スイス Mode Suisse」が開催される。スイスでヨーロッパで多くのファンを持つブランド「KAZU」のカズ・フグラーKazu Hugglerさんから、「モード・スイス」での新作発表の後、すぐに東京の成山画廊で展覧会を開くと伺った。

成山画廊とカズさんと言えば、幻想の森から脱け出してきたような脚のついた銀のハンドバッグを連想するが、今回は、日本画家の松井冬子さんとコラボレーションした作品と昨年根津美術館で発表した作品を含めた近作を紹介する。

日本のDNAと西洋がフュージョンされた「KAZU」のファッション。それと前述の幻想美術館の闇のなかで息をひそめている、シュールで超自然的な立体作品との間は、いったいどのようにつながっているのだろうかと、前々から興味があり、いつかお聞きしてみたいと思っていた。

「私はファッションデザイナーとして、自然の美しさと恐ろしさとその対照を追求し、畏怖の念を表現する事や、自然をリスペクトし、人間がいかに自然の持つ力と、そのはかなさと共存出来るか、考えています」

「恐怖」「狂気」「ナルシシスム」などをテーマに、「痛み」を伴う松井冬子の作品からプリントを起こした、ドレスやスカーフ。

©Yuichi Akagi

「日本の美学と美術史を根元にコレクションを造っている私にとって、日本絵画を美術の中で最強と思う松井さんと共感するものがあります。例えば、松井さんの作品にある、鑑賞者にダイレクトにコンフロント(対審)する、女性のあり方、人体への興味、生と死、というテーマです」

©Boris Marberg

40代になってから、女性としていかに年を取っていくか、服を作りながら強く考えるようになった、とカズさんは語る。

「生命を宿らせる事が出来る女性の体は、男性と違って、時の流れと体の老化をもっと身近に感じると思います。この変化をリスペクトし、服を通していかに讃えるかを考えています」

Kazu Huggler  ©Mark Niedermann

2013年春夏。世界のファッションで、「ジャパン」がパワフルに展開されている。その流行が花開くエポックに、敢えて美学という本質を提示するコラボレーションは、二人のアーティストが自然界から紡ぎ出した共生の証しであるのかもしれない。

期日:3月13日(水)
http://www.gallery-naruyama.com/

http://www.kazuhuggler.com/

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Negative:Nothing  全てはその一歩から

毎年、桜の時期に合わせて一時帰国していたが、あの3.11の後は、どうにもならなかった。スイスから日本へ、飛行機が飛ばない。1本しかない直行便もドイツ経由便も成田には行かず、チケットは宙に浮いた。

スイスのニュースだけを見ていると、日本列島がそっくり崩壊してしまい、もうどこにも帰るところがなくなったような脅迫感に襲われた。日本人の友人の誰もが家に閉じこもり、パソコンの前にくぎ付けになっていた。

3月27日。隣国ドイツで緑の党が圧勝し、原発への批判が日増しに高まり、日常的に、かなりアグレッシブな質問をつきつけられることがしばしばあった。

夕闇のなか、中央駅から伸びる大通りバンホフシュトラッセBahnhofstrasseを歩いていたら、ぺスタロッチの像が立つ芝生の広場一面に、キャンドルを灯す人々がいた。グリーンピースGreenpeaceの女性が私に近づき、抱き寄せようとするかのように、ビラを持った手が私の肩に乗った。
不意をつかれて、一瞬身体を引いた。泣きたいのか笑いたいのか、分からない顔になっていたと思う。

こんな時期に日本へ行くの?
どうしても帰るの?
スイスに戻ってこれるの?
周囲のスイス人たちのいぶかる声を背に、私は5月に成田に降りた。

空港は、ゴーストタウンのように空っぽ。誰も乗っていないリムジンを送り出す度に、係りの方たちは、バスが見えなくなるまで深く深く頭を下げていた。私のバスも例外でなく、乗っていたのは私ひとり。都心までの貸し切りだった。

「悲観的な報道があまりにも長期間にわたり、あまりにも集中して続き過ぎた。これでは日本の助けにならない。報道どおりではないことを示したかった」(swiss info 2012年10月17日)と、チューリッヒの隣り街、ヴィンタートュールWinterthurの旅行代理店で日本を担当していたトーマス・コーラーThomas Köhlerさん。日本へのツアーは、次々とキャンセルされた。

客足は遠のくばかりで、ついには職を失ったコーラーさんは、毎日流れてくる悲惨な映像とヨーロッパで過熱する報道や風評に心を痛める。やがて、彼は、大好きな日本へ「恩返しをする」ために、日本を徒歩で旅する決意をした。

日本には、まだ安全な場所があるのだと、世界中の人々にアピールするために。寝袋とテントを背負って、日本列島を北から南まで、自分の足で歩いて縦断する旅。2011年8月1日に北海道宗谷岬を出発し、12月31日に鹿児島県佐多岬に辿り着く、5カ月に及ぶ2,700キロの旅になった。


コーラーさんは、この間、各地の風景や出会った人々とのエピソードを、英語、ドイツ語、日本語でブログに紹介しつづけた。旅の途中から交流が始まったスイスのウェブ編集者ヤン・クルーセルJan Knüselさん。映像制作者の兄、シュテファンStephanさん。二人は、カメラを抱えて日本へ飛び、コーラーさんを追いかけることにする。

「Negative:Nothing 全てはその一歩から」は、こうしてドキュメンタリー映画として自主制作された。ブログの最後に毎回良かったこと、悪かったことを書いたが、悪かったことはほとんどなかったと言う。タイトルは、ここから得た。

コーラーさんの旅は、決して「被災地ツーリズム」ではない。映画には、純粋にコーラーさんの見た日本が描かれている。

たった一人で、歩き始める。

誰でも小さな行動を起こすことによって、何かを変えることができる、とコーラーさんは言う。実際、映画が生まれ、何かが確実に動いている。

誰にでもできることかもしれない。しかし、誰もがその勇気を持っているだろうか。孤独に耐え、信念を貫くことができるだろうか。

自分の五感すべてで体験した日本を、5か月間、世界に向かって発信しつづけた、しなやかなで強靭な意志。その視線のやさしさに、真っすぐで誠実な愛が見えた時、私たちの心に熱い想いが込みあげてくる。

ヴィンタートュール、ベルン、チューリッヒに続き、昨年、大阪、東京で上映され、静かな感動が広がっている。

来週、3月9日(土)より4回、東京赤坂のドイツ文化センターで再上映される。

photo:© negativenothing.com

チケットの予約は、こちらから。
http://negativenothing.com


“Negative:Nothing  全てはその一歩から” への2件のフィードバック

  1. kanamaru akiko より:

    私のパートナー氏も震災後1ヶ月で所用で日本へ飛びました。同僚たちは・・・勇気がある・・・と言いました。でも私は、日本人たちはみんなそこに住んでいるのですよ・・と。

    確かに・・・と彼らは言いましたが、予定していた旅行をキャンセルしたあと、再び旅行計画を立てている人はまだいません。

  2. Mieko Yagi より:

    「プレシャス」でインタビューさせていただいた、チューリッヒ大学日本文学の研究者、ダニエラ・タン先生も、震災後すぐに日本へ飛ばれました。「こういうときこそ、普通にできることを普通にしなければいけないのです。みんながキャンセルをして、私が行かなければ学会が開かれなかったので、迷わず行きました」とおっしゃっていました。親日家のスイス人は、毅然としていらっしゃいましたね。

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