日本というインスピレーション展    INSPIRATION JAPAN チューリッヒ美術館

©Kunsthaus Zürich

©Kunsthaus Zürich

昨年9月に東京の国立新美術館でオープンした「チューリッヒ美術館展」は、現在神戸へ巡回している。これと呼応するかのように、スイスのチューリッヒ美術館 Kunsthaus Züricでは、ヨーロッパにおけるジャポニスム「日本というインスピレーション展 INSPIRATION JAPAN」が始まり話題を呼んでいる。

マネ、ゴーギャン、ゴッホ、ボナール、ドガなどの主要作品が世界から集まり、北斎、広重、歌麿など300点を超える版画はカテゴライズされ、インスパイアされたヨーロッパの画家たちの作品と対応させていく。

それらは、初期段階では模倣や盗用でさえあったと言われもするが、やがて西洋の画法と組み合わされ融合し、独自の世界へと昇華していく四半世紀の過程が見えて来る。

良く知られている対比としては、例えば、広重の梅の枝のダイナミックな構図に改めて感嘆し、降りしきる雨の細部に見入り、振り返ると、ファン・ゴッホの「種蒔く人」があり、プラタナスの並木がある、という関係。歌麿の浮世絵とドガ、ボナール。そして、あの大作、睡蓮の池がゆったりと正面に現れ、私たちは、モネの夢の部屋へと誘導される。

パリ万博の時代からヨーロッパの芸術、工芸、建築などに大きなムーブメントを波及させていくことになった、ジャポニスム。その日本というインスピレーションとは何であったのか。1860年から1910年に焦点をあて、作家と時代の系譜を追いながら丁寧に解き明かされていく、楽しさと面白さが秀逸なキュレーションだ。

19世紀、ヨーロッパは日本をどう見ていたかを、アーティストたちの複眼で捉え概観したという、とてもチューリッヒらしい洗練のポスターが、街のなかでもひときわ目を惹く。

5月10日まで

Inspiration Japan

 

https://www.kunsthaus.ch/

“日本というインスピレーション展    INSPIRATION JAPAN チューリッヒ美術館” への2件のフィードバック

  1. Mariko Sato より:

    今年6月のアートバーゼルに行ってみたいのですが、詳しい情報がありません。入場券の必要や、予約の仕方、空港からの生き方、ホテル情報或いは住所等教えていただけますか?直接の詳しいsiteがあればそれもお願いいたします。

  2. Mieko Yagi より:

    Mariko-sama
    こんにちは。
    アートバーゼルのバーゼルでの開催、2015年は6月18日から21日です。
    入場券は、当日入り口横のチケット売り場でお求めになれますので、特に予約は必要ありません。
    オフィシャルサイトは、
    https://www.artbasel.com/en/Basel
    For Visitors→で、お尋ねの全ての情報がご覧になれます。
    ただし、周辺ホテルは、かなり早くからフルブッキングになりますので、チューリッヒに泊まって1日観光のつもりで移動するという手もオプション。
    アートバーゼル、ぜひぜひお楽しみください!!

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オディロン・ルドン展 バイエラー財団美術館

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© Fondation Beyeler 2013, Switzerland

バイエラー財団美術館のサイトを開けたら光のなかをひらひらと蝶がたくさん飛んでいて、久しぶりにルドンに会いに行った。

オディロン・ルドン(1840-1916)。子どものころから物静かで、いつも瞑想にふけていた人だったという。

奇怪な化け物や蜘蛛、巨大な目玉。そして、首の載った台座へと系譜を追い、黒のパレットのノクターンを聞きながら、鮮やかな色彩を解き放つ次の部屋へと移動する。

パンドラの箱から飛び出したようなアポロンの馬車、仏陀の佇む草の聖地。花々に浮かぶオフェーリア、ベアトリックス。消えたと思ったらまた現れる、ひとつめ小僧のキュプクロス。鈍い空色に蝶が舞い、アネモネやガーベラの大きなブーケの大作が並ぶ。

同世代のフランス印象派の画家たちとは異なる作風から、あるいはまた、マラルメやボードレールなど文学者や批評家からの称賛によっても、ルドンは象徴主義の画家とカテゴライズされることが多いが、バイエラー財団美術館のキュレーター、ラファエル・ブ―ビエールRaphaël Bouvierもその位置づけをもとに、時代に提示したアイデアと革新性、主題とテクニックの重要性を解き明かしていく。

黒の世界と往復しながら色を混ぜ合わせたであろう色彩の魔術師は、すぐれた詩人でもあり、後の抽象絵画やモダニズムの出現に大きな影響を与えた。作品群は、ようやく名を知られる晩年へ、画家の亡くなる20世紀初頭へと向かっていく。

エントランスを入るとき、そして一巡して出てきたとき。目の前に広がるのは、ルドン・ ルージュと呼びたい花々の赤が、ぽつりぽつりと浮かぶ幻想の森のデコレーション・シリーズ。

チャコールを捨て、パステルであり、油彩であり、次第に色を使った作品のみを描くこのあたりの時代、ルドンはパリ、ロンドン、アムステルダムのコレクターの屋敷に飾るタピストリーや屏風を制作。ここに展示されている作品は、かつてのパトロン、ドメーシー男爵のブルゴーニュの城のダイニングルームの壁一面を飾っていた。

今回作成された年譜を見て知ったのだが、ベルリン、デュッセルドルフ、チューリッヒ、これらヨーロッパのドイツ語圏の街で初めてルドンの個展が開かれたのが、1914年だった。亡くなる2年前のことだ。
トリスタン・ツァラによるチューリッヒ・ダダ宣言が1916年だったことを思い出し、なるほど、そういう人々の影響下でチューリッヒでも紹介されたのかと合点が行った。

5月18日まで

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https://www.fondationbeyeler.ch/startseite

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クレスタ・チェア CRESTA CHAIR スイス・デザイン賞展 2013-2014

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家具、ファッション、コミュ二ケ―ション、インテリア、デザインリサーチ、テキスタイル、プロダクト。2年に一度、この7つの分野の優れたデザインワークを讃える「スイス・デザイン賞 Design Prize Switzerland」の展覧会が昨年11月からスイスで開催されている。

同賞は、1991年に設立され22回を数えるが、今回は、アムステルダムの名門サンドベルグ・インスティチュートSandberg Instituteの副学長リースベス・イント・ホウト Liesbeth in’t Hout、ヘルツォーク&ド・ムーロンHerzog & de Meuronのシニアパートナー アスキャン・メルゲンターレAscan Mergenthaler、プロダクトデザイナーのジャスパー・モリソン Jasper Morrison など国内外から5名を審査員に迎えた。

エントリーは、スイス及び海外で活躍するデザイナー、プロジェクト、企業、大学などから。スイスで作られ市場に流通した製品もまた同様に資格を持つ。

選考基準は、デザインとしての質の高さ、美的一貫性、社会性、革新的ビジョン、経済的価値、そして、サステナビリティ。これらの要素を全て兼ね備えていることを条件とする。

各賞及びノミネート作品の詳細はサイトからご覧いただくとして、ここでは、家具部門での受賞作品、クレスタ・チェアCRESTA CHAIRをご紹介したい。

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© Design Preis Schweiz

少女ハイジの世界にも登場する、素朴な手造りの椅子や家具。アルプスの山小屋やホテル、レストランでよく使われているスイスではお馴染の木工製品だ。
クレスタ・チェアは、これらスイスの伝統的なアルペンスタイルをベースに、最新の木材加工技術とモダニズムをブレンドしてデザインされたと言う。

古くから家具に用いられるスイスの松の木で作られたのかと、デザイナーのヨルグ・ボナーJörg Boner氏にお尋ねしたら、座面からバックへ流れるしなやかな曲線を描き、椅子に求める安定した高い強度を得るために、より硬く、弾力性に富んだトネリコを選んだと語ってくださった。将来的には、異なる木材で製作するバリエーションも検討しているそうだ。

3つのパーツをフィンガー・ジョイントで構成。木の持つ安らぎと寛ぎの心地良さを、削ぎ落したデザインと精巧なハンドメイドで実現した。

4つの言語を持つユニークな山国スイスは、各地のオリジンの文化にドイツ、フランス、イタリア、レート・ロマニッシュのテーストが融合している。

山と森と湖。点在する中規模の国際都市。

クレスタ・チェアは、豊かな自然とマルチカルチャーをバックグラウンドに、スイスデザインの今、を感じるさせる美しい椅子だと思う。

今年は、日本・スイス国交樹立150周年を迎える。デザインの世界でも、両国の交流がもっと活発になっていく年であるようにと願っている。

受賞作品、ノミネート作品は、世界を巡回していく。
スイスでの展覧会は、首都ベルンから東へ電車で30分ほど、チューリッヒからは1時間弱の距離、ランゲンタールLangenthalで開かれている。

2014年1月26日まで。
https://designpreis.ch/

 

 

 

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カズ・フグラー × 松井冬子 at 成山画廊

©Boris Marberg

間もなく、チューリッヒとジュネーブで、毎年恒例のファッションショー「モード・スイス Mode Suisse」が開催される。スイスでヨーロッパで多くのファンを持つブランド「KAZU」のカズ・フグラーKazu Hugglerさんから、「モード・スイス」での新作発表の後、すぐに東京の成山画廊で展覧会を開くと伺った。

成山画廊とカズさんと言えば、幻想の森から脱け出してきたような脚のついた銀のハンドバッグを連想するが、今回は、日本画家の松井冬子さんとコラボレーションした作品と昨年根津美術館で発表した作品を含めた近作を紹介する。

日本のDNAと西洋がフュージョンされた「KAZU」のファッション。それと前述の幻想美術館の闇のなかで息をひそめている、シュールで超自然的な立体作品との間は、いったいどのようにつながっているのだろうかと、前々から興味があり、いつかお聞きしてみたいと思っていた。

「私はファッションデザイナーとして、自然の美しさと恐ろしさとその対照を追求し、畏怖の念を表現する事や、自然をリスペクトし、人間がいかに自然の持つ力と、そのはかなさと共存出来るか、考えています」

「恐怖」「狂気」「ナルシシスム」などをテーマに、「痛み」を伴う松井冬子の作品からプリントを起こした、ドレスやスカーフ。

©Yuichi Akagi

「日本の美学と美術史を根元にコレクションを造っている私にとって、日本絵画を美術の中で最強と思う松井さんと共感するものがあります。例えば、松井さんの作品にある、鑑賞者にダイレクトにコンフロント(対審)する、女性のあり方、人体への興味、生と死、というテーマです」

©Boris Marberg

40代になってから、女性としていかに年を取っていくか、服を作りながら強く考えるようになった、とカズさんは語る。

「生命を宿らせる事が出来る女性の体は、男性と違って、時の流れと体の老化をもっと身近に感じると思います。この変化をリスペクトし、服を通していかに讃えるかを考えています」

Kazu Huggler  ©Mark Niedermann

2013年春夏。世界のファッションで、「ジャパン」がパワフルに展開されている。その流行が花開くエポックに、敢えて美学という本質を提示するコラボレーションは、二人のアーティストが自然界から紡ぎ出した共生の証しであるのかもしれない。

期日:3月13日(水)
http://www.gallery-naruyama.com/

https://kazu.swiss/en/

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「ジャポニスムから禅まで  パウル・クレーと東アジア」展 パウル・クレー・センター

歌川国貞(三代歌川豊国)と 歌川広重 『当盛六花撰』のうち『菖蒲』の部分図、1854年

スイスの首都ベルンBern 。アーレ川に沿って12世紀に創られた都市国家の美しい姿は、ユネスコの世界遺産に登録されている。小高い丘に登って街を見渡すと、赤茶けた屋根が規則を持って並び、地形が大変起伏に富んでいることがわかる。

ベルン北西の近郊の村で、パウル・クレー Paul Kleeは生まれた。

ドイツ、ミュンヘンで美術を学び画家として活動し、バウハウスで教鞭を執ったことは良く知られるが、やがて、ナチス政権による前衛芸術家への弾圧から逃れて、彼は、故郷のベルンに戻ってくる。この地で、亡くなるまで創作活動をつづけた。

ベルン中央駅からバスに乗って、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeへ向かう。終点で降りて少し歩くと、野原に忽然と出現したかのように、レンゾ・ピアノ Renzo Pianoが設計した建物が、巨大な3つの波型の屋根を、ゆったりと大地にうねらせる。

ここは、いわゆる美術館の域を大きく超え、「パウル・クレーの人生と作品についての情報研究センター」と定義される。クレーが制作した作品のうち4,000点以上もが収集され、毎回斬新な切り口で挑戦的な企画展を展開し、内外からの高い評価を確立してきた。

パウル・クレー『無題(二匹の魚、二匹の釣針、二匹の虫)』1901年

 

今年1月から、ユニークな展覧会が開催されている。

「ジャポニスムから禅まで パウル・クレーと東アジア」展。

19世紀後半、ヨーロッパに現れたジャポニスムは、フランスから20年以上遅れてドイツにも届き、それは、クレーが芸術家としてミュンヘンで活動を始めた時期と重なる。彼は、ここで日本的なるものの原点に出会うことになる。

この企画展では、いわゆる狭義なジャポニスムの文脈を大きく超え、クレーの作品のそれぞれを、日本・中国の美術と対比しながら提示している。
クレーが東アジアの美学からどのように刺激され、魅了され、それを作品に投影してきたのか。ヨーロッパから遥か遠い東アジアの美学とクレーの芸術が響き合う構成を仕掛けた。

関係というのが相互にして成り立つように。この展覧会では、クレーの東アジアからの影響に照射するにとどまらず、さらに、では、日本ではどうなのかと、「日本におけるクレーの受容」を大きなテーマとして取り上げている。
実際、ドイツ語圏以外では、日本ほどクレーの展覧会が開催され、クレーを研究し、受け入れている国は他にないのだそうだ。

武満徹の音楽、谷川俊太郎の詩、池澤夏樹の文学、高橋一哉の漫画、イケムラレイコの美術、伊藤豊雄の建築など。私たちの周辺に生まれている、実に多様な領域の文化を会場に招き入れ、クレーへの逆照射の地平を広げて見せる。

パウル・クレー『中国の美貌(的確)』1927年

東アジアの美学とクレー、というコンセプトの発見は、クレーの知られざるディメンションに光を当てた、ヨーロッパで初めての試みだ。

チューリッヒ大学美術史研究所の柿沼万里江さんは、パウル・クレーの研究者として日本でも著名でいらっしゃる。今回の企画の特徴についてコメントをいただいた。

「本展は、クレー研究の第一人者であられる奥田修さんの長年に亘るご研究の成果によります。奥田さんは、クレーがどのように東アジア美術に取り組んだか(仏画、水墨画、書、屏風、浮世絵、北斎漫画、和紙、仏像、工芸品など、展覧会会場でご覧いただけます)、そして、わたしは、視点を逆にして、日本人のクリエーターたちがどのようにクレーに取り組んだか(音楽、詩、文学、漫画、美術、建築と各メディアを横断します)、をそれぞれ担当し、相互補完的な内容となっています。このように東西の対話の接点に、また、メディアの橋渡しに、クレーという作家がいることを、どうかみなさんの目で見て楽しんでください」

 

2013年5月12日まで

Photo: © Zentrum Paul Klee, Bern

https://www.zpk.org/

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