湖には白鳥が浮かんでいます
森のリスやキツネたちは
雪に頭で穴を掘って 餌を探しているころです
人間と暮らすわたしたちは
みんなで一緒に新年を祝い
ぼつぼつ また働きはじめました
幸せな1年でありますように
楽しいことがたくさんおこる年でありますように
平和な年でありますように
今年もよろしくお願いいたします
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Photo:© Schweizer Milchproduzenten SMP • PSL
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オペラ座の近くに、NZZという新聞社のビルがある。
その通りから湖に沿った道を歩くと、セレクトショップ系のインテリアのお店が何軒か並んでいる。
クリスマス前のある日、六人の天使を見つけに行った。
実は昨年欲しくてうっかり買い逃したが、お店の方に尋ねたらしばらく首をかしげ、「ああ、います、います」と、扉の向こうから両手に乗せて連れてきてくださった。
「とっても小さい天使で、全部が違う仕草をしていて、いろんなところにパラパラと置いてみたくなるような顔をしていました」と、何とも要領を得ない私の説明が通じたようで、シフォンの布から、ひとり、ふたりと出てきて六人並んだ。
誰かが来たときに、ちょこんちょこんと、思いがけない場所にひとりひとりが座っていたり寝転んでいたりするのが面白そうだけど、アドベントクランツのキャンドルが1本ずつ灯っていく間は、そうだ、ここにいてもらおうとリースのそばで遊んでいてもらった。
クリスマスイヴから数えて4週間前。今年は、11月最後の日曜日に、1本。
この前の日曜日に、4本目のキャンドルを灯した。
モミの木は、近くの森からも、ヨーロッパのさらに北からも運ばれる。
飾るのは、24日という伝統がある。
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チューリッヒは、3週間ほど前に大雪が降って以来、気温がぐっと落ちてきた。朝起きると、外が真っ白で、通学途中の小学生たちが雪を投げ合っている。
中央駅のクリスマスマーケットは、スワロフスキーのクリスタルでキラキラ輝く大きなツリーが今年も立ち、チーズ、ドライソーセージ、ラクレット、スイスの伝統工芸の木細工や手作りの天然石のアクセサリー、ペルーのセーターや中国シルクなど。その数、160軒ほどが並んでいる。
一年で一番忙しいこの時期。仕事を片付けたり、人に会ったり、小さなパーティーが続いたり。ひとつずつフィックスされている約束は、スケジュール表から消えていくが、後回しになって残っていくことがある。
家の中を飾ること、クリスマスイヴのメニューを確認すること、プレゼントを探すこと。それから、クッキーを焼くことなど。
どれほど敬虔かはともかく、信仰のあるヨーロッパ人の熱心さに温度差を感じつつも、この習慣に慣れ親しんでもくるが、加えて、日本のお正月もどきも用意しようとなると、毎年、ここ数週間のために、かなりハイテンションでエネルギーを使う。すべてのプロセスを楽しむためには、心の中でちょっとした掛け声が必要だ。
小さなプレゼントを、一人にいくつも用意する。その夜集まる人の数の数倍ということになると、半端ではない。冬らしいラッピングペパーとリボンを何種か買ってきて、紙の色を変えたり、しるし代わりにデコレーションをつけたりしながら、ひとつふたつと包んでゆく。
そういうものをぶらぶら探す頃なのだけど、ちょっとマーケットは別の日にゆっくり見ようと、屋台の間の人たちをよけつつ小走りに通り抜ける。シナモンとアニスの香りが、ふわっと過ぎてゆく。
夕暮れの街には、ひらひらと風花が舞う。
気温は、多分零下5度ぐらい。ホットワインの出店の前には、人がたくさん集まっている。頬を少し赤らめ、白い息を煙のようにはきながら、もうずっとそこでお喋りしているようだ。
ブランドショップが並ぶ通りから、金融街の広場へ。
老舗のチョコレート屋さん、シュプリュングリ Sprünglieは、街の中に何軒もあるけど、言うなれば、虎屋の羊羹をわざわざ赤坂まで買いに行くようなもので、日本に出店していないこともあり、お土産や贈り物にするときは、なんとなくこの本店に来てしまう。
金色に包装された箱をいくつか手に取り、今日できたてのブラック・トリュフを自分のために選んだ。
光がきれいだったので、郵便局まで歩くことにした。
中世の石畳の路地は、時々細い分かれ道に出る。レストランに灯がともり、無数の豆電球が天から降り注ぐようにあふれ、すれ違う人々の顔を映し出す。
目指しているのは、次の角。
凍空に教会の鐘が鳴り渡る。
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オペラを観に行くとき。しかもいい席が取れている場合ならなおさら、前日、できるだけ睡眠をとるようにする。
チューリッヒ歌劇場のように、1100席という小さな空間では、舞台との距離も遠くない。よほど天井に近い席でなければ、この劇場は音響がいいので、揃いも揃った精鋭の生身の人間の迫力を受け止めるには、こちらもまた、それなりの体力がいるというものだ。
でも、元気と時間に余裕があるときにホームページを覗いて、まだ空いていれば手頃な席を取り、ぶらっと行くというフットワークも、私は結構気に入っている。初日ではなく、プレミアム席でないならば、それほど頑張ったお洒落をしなくても、周囲の方にも失礼ではない。自分で心地良ければそれでいい。そんなふうに、肩に力を入れないでオペラにワープするみたいに、非日常の世界に滑り込んでゆく。
日本から親しい友人がやって来た。芝居通、歌舞伎通だ。もちろん、今回の旅のお目当てのひとつは、オペラ。ラッキーなことに、彼女がやってくる頃、ちょうどビゼーGeorges Bizet の「真珠採りLes pêcheurs de perles」を上演していた。
フランスの芸術家の登竜門「ローマ賞」を受賞し、イタリアからパリへ戻って来たビゼー。25歳のときに書かれた作品だ。それから約10年、「カルメンCarmen」が初演されると間もなく、36歳という若さで病死してしまう。オペラの世界で重要な地位を確立して、これから歴史を変えたであろう才能。もしもその先「カルメン」を超える作品が作られていたらどんなに素晴らしかっただろうと思う。
決して寡作ではないものの、オペラで知られる作品の数が少ないためもあってか、作品の大きさや構成など、「真珠採り」は「カルメン」とよく対比される。
「真珠採り」はビゼーの死後、かなりドラマチックに変遷し、いくつものユニークな演出によって作品がディテールを変えつつ発展し続けているといわれる。
指揮者のカルロ・リッツィCarlo Rizzi は、「カルメン」は、もっと肉感的で血を騒がせるような生命力にあふれたダイナミックなオペラだとしながら、こう語る。
「ビゼーは、『真珠採り』を書いた時代、まだ本格的にデビューしていませんでした。若かったし、その若さゆえの純粋さや透明感が、この作品にあるのだと思います。ストーリーは、シンプルでわかりやすく、いずれの曲も、とにかくメロディーがクリアで大変に美しい」。
19世紀後半のフランス。イタリアオペラの人気がまだまだ優勢であったものの、「フランスのオペラ」が登場し、オペラ界に新しい潮流が生まれてきたエポックだった。
そのような時代背景が、ストーリーに影響を与えているのか。
演出家は、演劇性の高さでことに定評のある、イェンス-ダニエル・ヘルツォーク Jens-Daniel Herzog。やや社会性の強い捉え方をしている。
チューリッヒ歌劇場の舞台美術や照明は、観客をびっくりさせるような仕掛けが組み込まれていることが多いが、今回は、ストーリーのわかりやすさを受けてか、複雑な構造はなかった。
古代のセイロンの浜辺。
舞台は、あまり動かない。初めから、3層に組まれている。
前出のヘルツォークによると、「まず一番下。真珠採りたちが並んでいますが、ここが労働者の象徴。真ん中が、中流階級。そして、荒れ果てた僧院のある一番上の層が、この『真珠採り』の世界のシステムのトップです」。
そのような構成をより明確にするためにも、真珠採りたちは、舞台の上にとどまる。
何十人もの真珠採りが一斉にオレンジ色の手袋をはめた手を動かしながら、終始そこにいるという、塊りの力の奇妙さを引きずっていく。
真珠採りの新しい頭に選ばれたゾルガに、バリトンのフランコ・ポンポーニ Franco Pomponi。
その旧友で、かつては、ゾルガと同じ女性を愛し対立した ナディールに、テノールのハビエル・カマレーナJavier Camarena。
ナディールの恋人だったが、この浜辺に真珠採りたちの安全を祈願するために遣わされる尼僧レイラは、ソプラノのマリン・ハルテリウス Malin Hartelius。
レイラを連れてくるバラモンの高僧ヌーラバットは、バスのパヴェル・ダニルクPavel Daniluk。
尼僧レイラは、ゾルガから一生ヴェールを取らず、真珠採りの安全を祈り続けること、処女であることを誓わされる。
しかし、「あっ、あの人だ」とお互いに気づいてしまったレイラとナディール。
アリア、二重唱、三重唱と、いくつもの有名な曲が次々と歌われる。
旧友との再会、もう争いの種になる恋人は目の前にいないのだからと友情を讃える、ハビエル・カマレーナとフランコ・ポンポーニの二重唱「黄金と花に飾られた神聖な寺院の奥に Au fond du temple saint」は、実に美しい。
一番良く知られているのは、何と言っても ナディールがレイラを想って歌う「耳に残る君の歌声 Je crois entendre encora」。ハビエル・カマレーナは、チューリッヒ歌劇場でも大人気の歌手だが、この歌の最初のフレーズが深く切なく流れると、何ともロマンティックで、ふ~っとどこかに連れて行かれるような柔らかさに包み込まれる。メキシコの方だが、ちょっと東洋的な雰囲気もあり、長く村を離れていた冒険好きな青年の自由を演じ、レイラに熱烈に愛を語る。
尼僧レイラのソプラノは、神々しささえ感じる。指揮者のカルロ・リッツィが何度も強調している旋律の透明感に高貴が織り込まれる。
特に、ヴェールを被って舞台の最上から響き渡る1幕目の最後、「ブラーマの神よ!Brahma, divin Brahma!」から続くアリア「空にさえぎるものなく Dans le ciel sansa voiles」が、素晴らしい。
レイラとナディールが再び愛し合うようになったことは、見張りの教徒からヌーラバットにすぐに伝わり、二人は処刑されることになる。
ナディールを助けて欲しいとゾルガに懇願するレイラ。尼僧が実はレイラだったと知った時に、ゾルガは、愛を告白するが、レイラの気持ちを変えることはできない。嫉妬のあまり、ズルガは二人に死刑を宣告してしまう。
レイラは、「殺されるなら、これを母に届けて欲しい」と真珠の首飾りを差し出す。それは、ゾルガが逃亡していた時に、命がけで彼を助けてくれた少女に渡したもの。
ゾルガは、村に火を放ち、村人が混乱している間に二人を逃がすことにするが、そのシーンの前に歌われる、やはり有名な三重唱、「聖い光よ、すばらしい抱擁よ O lumiere sainte」となると、この3人の歌声が、波のように押し寄せてきては引き返すという繰り返しで、歌劇場にはドラマティックな海が洋々と満ちてゆく。
終盤、村人たちに殺されるゾルガ。光の中へ消えてゆくナディールとレイラ。権力は民衆に倒され、信仰に戸惑いながらも、最後に愛が一番輝くという、物語。ストーリーが理解しやすいので一生懸命字幕を追うこともなく、美しく豊かな歌声をゆっくり楽しむことができる。
その夜はずっと、アリアの旋律が耳の奥でこだましていた。
Photo: © Suzanne Schwiertz
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遠くのアルプスに雪が積もり、稜線をくっきりと描いている。数週間前に撮ったこの写真の村は、もうすっかり紅葉していることだろう。
夏の間、アルプスの牧草地の山小屋でチーズを作っていた牧夫たちは、秋になると牛を連れて麓の村々へ戻ってくる。このとき、牛たちは色とりどりの花で飾られ、特別な衣装を纏い、ベルを鳴らして村を歩く。「牧下り」と呼ばれる。そこで開かれる、ケースタイレットChästeilet、「チーズ分配の祭り」で、牧夫たちは、高々と積み上げた大きな丸いチーズを、預かった牛のミルクの量に応じて酪農家に配り分ける。アルプス各地に伝わる古いお祭りだ。
1頭の牛のミルクで、10キロ以上ある巨大なチーズを、ひと夏で約6個作ることができる。どこの家のどの牛からこれだけミルクを絞ったと、結構厳密に計算される昔ながらの方法があるそうだ。いかにも、スイスらしい真面目さだ。
かつて、分厚い写真集で見た。真っ青な秋空の下、村の伝統の服を着て帽子をかぶり、誇らかにチーズをかかえる。深い皺を刻んだ顔に髭をたくわえ、山の化身のような神秘的な目をした、そんな牛飼いに会ってみたいと思った。
インターネットで村を調べ、担当らしき部署に電話をかけてみた。「チーズ分配の祭り」には、2週間ほど早かったらしい。しかし、分配はしないが、週末にチーズを振る舞う小さな農家があると聞き、お天気もいいのでアルプスまでドライブすることにした。
電車なら、ベルン州のツヴァイジンメンZweisimmenという駅。避暑やスキーリゾート地として知られる。ここから、この日の会場となる家までは、1時間に1本走る郵便バスに乗る。
ところが、予想以上に私の家から遠く、途中の渋滞もあり、このバスに乗り遅れてしまった。
「ガードレールのない崖の淵をぎりぎりに通る、そうい細い道がくねくねしていて危ないかもしれない」と、高い所が苦手な夫は、かなり躊躇する。後1時間待つか、走るか。結果的にはそのまま車で登っていくことになったのだが、住所を入力しても、ナビゲータに出てこない村落だった。やがて、行き止まった。
道を失い、ウォーキングでひと休みしている方たちに尋ねると、「少し戻って、水飲み場を曲がったところだと思いますよ」と教えてくださった。
標高1800メートル。包みこまれるように、ヨーデルの合唱が聞こえて来た。スイスドイツ語の古語なのだろうか。私には歌詞を聞きとることができないが、空のように真っ青なユニフォームを着た10人ほどの合唱団の皆さんの声は、アルプスにこだまして、透明なビブラートで響き渡る。
目の前に聳え立つ巨大な山々、点在する家々、緑の牧場、高原の草花。
大自然と共鳴するその音色があまりにも美しく、知らなかったどこかに触れられ、急に胸が熱くなってくる。
まだお昼前だったが、木のテーブルとベンチは、すでにほとんどいっぱい。山が正面に見える場所に座り、地ビールとチーズ、作り立てのハムを注文する。
人は集まっているが、前祝いのような静かな盛りあがり方だった。どうやらここは、村のチーズを作るお宅らしい。今年の夏の日付をつけて、チーズがずらっと並んでいる貯蔵庫の中を見せていただいた。
案内をしてくださったのは、今日の場を提供していらっしゃるサンチさん Santschi ご家族のご長男。1個15キロ、全部で800個ほどの丸いチーズを水槽の塩水のなかにざぶんとつけては、また元の位置に戻すのが朝の日課だそうだ。
シュヴィンゲンSchwingenという、アルプスの牧童の遊びから生まれた、お相撲とレスリングを合わせたみたいな有名なスポーツがある。相手をぶるんぶるん振り回して倒す格闘技で、スイスの国技だ。彼は、その選手。鋼鉄のようなずっしりぶ厚い胸板の筋肉マンだが、なるほど、ダンベルではなく、毎朝、チーズで鍛えているわけだ。
貯蔵庫から少し出しているアルプスの今年のチーズを分けていただき、帰りは、アルプスと山小屋を背景に草を食み、昼寝する牛たちを眺めながらゆっくり下った。
麓の小さな街は、どの家もお店も赤やピンクのゼラニウムにあふれ、それがこの地方独特の彫刻が施された木造保存建築の息づかいと穏やかに調和している。
スイスは、地方ごとに個性的なパンがあるので、まずは、パン屋さんへ。ここで町のチーズ屋さんの場所を伺った。
グリュイエール、エメンタール、レブロション、そして、山羊のチーズと果物のチーズを選んだ。
その日ドイツからやって来たゲストと夕食に、イチジクや葡萄と一緒に、ジュネーブ湖畔の白ワイン、ラ コート La Côteを合わせたが、チーズはいずれも最高だった。
PCに写真を落とし、どこから切り取っても絵葉書のような風景をクリックしていく。
チューリッヒはスイス最大の都市だが、それでも、東京と比べればゆっくり動いているように感じる。一番大きな違いは、森や湖が街の中にあること。大通りでさえも、至る所に湧き水があふれていて、そこに口を近づけて飲むことができる。キン、と冷たい、おいしい山の水だ。
週末はしっかり休むし、有給休暇も年に50日以上ある。それでも、この金融の中枢で働く人々のストレスは異常に高く、街を離れて、ひっそりとアルプスのどこかの小さな村へ移り、「牛飼い」になりたい、と考える男性が決して少なくないと聞く。
雪に閉ざされる時期のアルプスの過酷さは、私には、とてもとても想像することができない。牛だって、いつも機嫌がいいわけではないだろう。
大概が、見習い期間に挫折して、都市へリターンすることになるらしいが、先日テレビのインタビュー番組に登場していた40代の元エリート・バンカーは、牛と暮らし、チーズの作り方を習い、アルプスの生活に成功した人として紹介されていた。