チューリッヒは、3週間ほど前に大雪が降って以来、気温がぐっと落ちてきた。朝起きると、外が真っ白で、通学途中の小学生たちが雪を投げ合っている。
中央駅のクリスマスマーケットは、スワロフスキーのクリスタルでキラキラ輝く大きなツリーが今年も立ち、チーズ、ドライソーセージ、ラクレット、スイスの伝統工芸の木細工や手作りの天然石のアクセサリー、ペルーのセーターや中国シルクなど。その数、160軒ほどが並んでいる。
一年で一番忙しいこの時期。仕事を片付けたり、人に会ったり、小さなパーティーが続いたり。ひとつずつフィックスされている約束は、スケジュール表から消えていくが、後回しになって残っていくことがある。
家の中を飾ること、クリスマスイヴのメニューを確認すること、プレゼントを探すこと。それから、クッキーを焼くことなど。
どれほど敬虔かはともかく、信仰のあるヨーロッパ人の熱心さに温度差を感じつつも、この習慣に慣れ親しんでもくるが、加えて、日本のお正月もどきも用意しようとなると、毎年、ここ数週間のために、かなりハイテンションでエネルギーを使う。すべてのプロセスを楽しむためには、心の中でちょっとした掛け声が必要だ。
小さなプレゼントを、一人にいくつも用意する。その夜集まる人の数の数倍ということになると、半端ではない。冬らしいラッピングペパーとリボンを何種か買ってきて、紙の色を変えたり、しるし代わりにデコレーションをつけたりしながら、ひとつふたつと包んでゆく。
そういうものをぶらぶら探す頃なのだけど、ちょっとマーケットは別の日にゆっくり見ようと、屋台の間の人たちをよけつつ小走りに通り抜ける。シナモンとアニスの香りが、ふわっと過ぎてゆく。
夕暮れの街には、ひらひらと風花が舞う。
気温は、多分零下5度ぐらい。ホットワインの出店の前には、人がたくさん集まっている。頬を少し赤らめ、白い息を煙のようにはきながら、もうずっとそこでお喋りしているようだ。
ブランドショップが並ぶ通りから、金融街の広場へ。
老舗のチョコレート屋さん、シュプリュングリ Sprünglieは、街の中に何軒もあるけど、言うなれば、虎屋の羊羹をわざわざ赤坂まで買いに行くようなもので、日本に出店していないこともあり、お土産や贈り物にするときは、なんとなくこの本店に来てしまう。
金色に包装された箱をいくつか手に取り、今日できたてのブラック・トリュフを自分のために選んだ。
光がきれいだったので、郵便局まで歩くことにした。
中世の石畳の路地は、時々細い分かれ道に出る。レストランに灯がともり、無数の豆電球が天から降り注ぐようにあふれ、すれ違う人々の顔を映し出す。
目指しているのは、次の角。
凍空に教会の鐘が鳴り渡る。
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遠くのアルプスに雪が積もり、稜線をくっきりと描いている。数週間前に撮ったこの写真の村は、もうすっかり紅葉していることだろう。
夏の間、アルプスの牧草地の山小屋でチーズを作っていた牧夫たちは、秋になると牛を連れて麓の村々へ戻ってくる。このとき、牛たちは色とりどりの花で飾られ、特別な衣装を纏い、ベルを鳴らして村を歩く。「牧下り」と呼ばれる。そこで開かれる、ケースタイレットChästeilet、「チーズ分配の祭り」で、牧夫たちは、高々と積み上げた大きな丸いチーズを、預かった牛のミルクの量に応じて酪農家に配り分ける。アルプス各地に伝わる古いお祭りだ。
1頭の牛のミルクで、10キロ以上ある巨大なチーズを、ひと夏で約6個作ることができる。どこの家のどの牛からこれだけミルクを絞ったと、結構厳密に計算される昔ながらの方法があるそうだ。いかにも、スイスらしい真面目さだ。
かつて、分厚い写真集で見た。真っ青な秋空の下、村の伝統の服を着て帽子をかぶり、誇らかにチーズをかかえる。深い皺を刻んだ顔に髭をたくわえ、山の化身のような神秘的な目をした、そんな牛飼いに会ってみたいと思った。
インターネットで村を調べ、担当らしき部署に電話をかけてみた。「チーズ分配の祭り」には、2週間ほど早かったらしい。しかし、分配はしないが、週末にチーズを振る舞う小さな農家があると聞き、お天気もいいのでアルプスまでドライブすることにした。
電車なら、ベルン州のツヴァイジンメンZweisimmenという駅。避暑やスキーリゾート地として知られる。ここから、この日の会場となる家までは、1時間に1本走る郵便バスに乗る。
ところが、予想以上に私の家から遠く、途中の渋滞もあり、このバスに乗り遅れてしまった。
「ガードレールのない崖の淵をぎりぎりに通る、そうい細い道がくねくねしていて危ないかもしれない」と、高い所が苦手な夫は、かなり躊躇する。後1時間待つか、走るか。結果的にはそのまま車で登っていくことになったのだが、住所を入力しても、ナビゲータに出てこない村落だった。やがて、行き止まった。
道を失い、ウォーキングでひと休みしている方たちに尋ねると、「少し戻って、水飲み場を曲がったところだと思いますよ」と教えてくださった。
標高1800メートル。包みこまれるように、ヨーデルの合唱が聞こえて来た。スイスドイツ語の古語なのだろうか。私には歌詞を聞きとることができないが、空のように真っ青なユニフォームを着た10人ほどの合唱団の皆さんの声は、アルプスにこだまして、透明なビブラートで響き渡る。
目の前に聳え立つ巨大な山々、点在する家々、緑の牧場、高原の草花。
大自然と共鳴するその音色があまりにも美しく、知らなかったどこかに触れられ、急に胸が熱くなってくる。
まだお昼前だったが、木のテーブルとベンチは、すでにほとんどいっぱい。山が正面に見える場所に座り、地ビールとチーズ、作り立てのハムを注文する。
人は集まっているが、前祝いのような静かな盛りあがり方だった。どうやらここは、村のチーズを作るお宅らしい。今年の夏の日付をつけて、チーズがずらっと並んでいる貯蔵庫の中を見せていただいた。
案内をしてくださったのは、今日の場を提供していらっしゃるサンチさん Santschi ご家族のご長男。1個15キロ、全部で800個ほどの丸いチーズを水槽の塩水のなかにざぶんとつけては、また元の位置に戻すのが朝の日課だそうだ。
シュヴィンゲンSchwingenという、アルプスの牧童の遊びから生まれた、お相撲とレスリングを合わせたみたいな有名なスポーツがある。相手をぶるんぶるん振り回して倒す格闘技で、スイスの国技だ。彼は、その選手。鋼鉄のようなずっしりぶ厚い胸板の筋肉マンだが、なるほど、ダンベルではなく、毎朝、チーズで鍛えているわけだ。
貯蔵庫から少し出しているアルプスの今年のチーズを分けていただき、帰りは、アルプスと山小屋を背景に草を食み、昼寝する牛たちを眺めながらゆっくり下った。
麓の小さな街は、どの家もお店も赤やピンクのゼラニウムにあふれ、それがこの地方独特の彫刻が施された木造保存建築の息づかいと穏やかに調和している。
スイスは、地方ごとに個性的なパンがあるので、まずは、パン屋さんへ。ここで町のチーズ屋さんの場所を伺った。
グリュイエール、エメンタール、レブロション、そして、山羊のチーズと果物のチーズを選んだ。
その日ドイツからやって来たゲストと夕食に、イチジクや葡萄と一緒に、ジュネーブ湖畔の白ワイン、ラ コート La Côteを合わせたが、チーズはいずれも最高だった。
PCに写真を落とし、どこから切り取っても絵葉書のような風景をクリックしていく。
チューリッヒはスイス最大の都市だが、それでも、東京と比べればゆっくり動いているように感じる。一番大きな違いは、森や湖が街の中にあること。大通りでさえも、至る所に湧き水があふれていて、そこに口を近づけて飲むことができる。キン、と冷たい、おいしい山の水だ。
週末はしっかり休むし、有給休暇も年に50日以上ある。それでも、この金融の中枢で働く人々のストレスは異常に高く、街を離れて、ひっそりとアルプスのどこかの小さな村へ移り、「牛飼い」になりたい、と考える男性が決して少なくないと聞く。
雪に閉ざされる時期のアルプスの過酷さは、私には、とてもとても想像することができない。牛だって、いつも機嫌がいいわけではないだろう。
大概が、見習い期間に挫折して、都市へリターンすることになるらしいが、先日テレビのインタビュー番組に登場していた40代の元エリート・バンカーは、牛と暮らし、チーズの作り方を習い、アルプスの生活に成功した人として紹介されていた。
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日本からは、猛暑のメールが飛んでくる。
今年の夏のチューリッヒは、涼しかった。
7月に、待ちわびていた真夏の陽射しがやって来た。バルコニーで夕食をとり、週末ともなれば茂みの向こうから遅くまで笑い声が響いていた。
しかし、残念ながら、一年で一番美しいはずの夏の日は長く続かず、突然コートを着るような肌寒い毎日。曇っているか、雨がしとしと降っているか。
急いでくれないと、夏至が来る。いつもご挨拶は、「夏は、ほんとうに来るのでしょうか」、だった。
だから、ときおり思い出したように夏の太陽が戻ってくると、これを逃すまいと、ささっと水着に着替えて湖へ降りてゆく。
読みかけの本、読むかもしれない本。何か思いつくかもしれないから、四角いポストイット。バナナに冷たい麦茶。サングラス。これが、必需品。
2週間前には、ピンクのレンゲの花が一面に咲いていたが、それが終わって、白い小菊が埋め尽くす。花の上に寝転ぶのはとても気が引け、少しだけずれて、大きな木の下にお気に入りのビーチタオルをばさっと広げる。
ここは、この地域のプライベートビーチなので、静けさが守られている。
晩夏の湖に、ヨットの白い帆がいくつも浮かぶ。時折、湖沿いの小さな街を結ぶ定期船が通ってゆく。
しばらくそんな光景を眺め、波の音を聞きながらうとうとしていたら、急に深く眠ったようだ。
ツン、ツン、ツン???
何だか、知らない感触。
夢の中で、痛かった。で、やっぱり痛いので跳び起きたのだが、それは、なんと、鴨。私の周りに小鴨が集まって、足の裏がよほど面白かったのか、嘴で突ついて遊んでいたのだった。
この春生まれて、夏の湖でお母さんと一緒に泳いでいる小鴨たちは、人なつこくて、いたずらもする。
苔色のぬめる石を踏みながら、ゆっくりと、水に入る。
鴨たちも、そして、この湖へ流れ込むリマト川からやって来た白鳥も、私のすぐそばで泳いでいる。
太陽を見上げる。
子どもたちが、飛び込み台から歓声をあげている。
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ポスターは、ぱっと目にとまったのだが、このジムがどこにあるのか知らなかった。どうも、住宅街の一角のようだ。
しかも、プログラムにざっと目を通したら、どれもこれも、かなりストイックでハードだ。
目標を持ち、もくもくと自分と向き合う人に、プライベート・トレイナーがついてしっかり鍛えてくれるのであろう。私など、この手のジムのグループ・レッスンに入ったら、周囲の本気と熱気に負けて、真っ先に脱落するに違いない。
露出度の高くなる季節。胸だろうが背中だろうが、大きく開けたいところだが。
道は険しい。
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Brand:DAVID GYM
Advertising Agency:Publicis Zurich
Creative Director: Florian Beck
Art Director: Denis Schwarz/Florian Beck
Illustrator: Graphics: Thomas Berger
Photographer: Jonathan Heyer
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亜熱帯の国に住んでいた頃、ドイツ人の友人は、毎年イースターが近づくにつれ少しホームシックになっていた。
雪が溶けた庭の草むらに、カラフルなたまごやチョコレートなどの小さなプレゼントを隠し、それを探す遊びがどれほどエキサイティングなことか。家族や親戚が集う、その春の夜の食卓が、どれほど賑やであることか。彼女は、何度も繰り返し私に語った。
敬虔なカトリック教徒は、イースターの40日前、四旬節が始まる灰の水曜日から肉を断つ。
チューリッヒは、プロテスタントの街なので、あまり厳格な話は聞いたことがないが、しかし、祝祭のムードが日毎にあふれ、家々では、デコレーションに趣向を凝らす。
街には、至るところにうさぎが現れる。
まず、チョコレート屋さん。1836年創業の老舗シュプリュングリSprüngliや日本にも紹介されているトイシャTeuscherには、毎年同じ顔のうさぎが並ぶ。もう少し新しいお店になると、かなりモダン・アートがかかったうさぎがいる。定番のたまごを背負うもの、アコーディオンを弾くもの、そして踊るうさぎなど、絵本から跳び出してきたかのように、ずらっと並んでいて面白い。
ショーウィンドーも、うさぎ、うさぎ。
デパートのインテリア・コーナーでは、グリーン、ピンク、ゴールドなど色とりどりのうさぎやたまごを飾る鳥の巣、枝にぶら下げる、きれいなパターンや絵を描いたたまごのオーナメントも売っている。
極めつけは、本物のうさぎ。食品売り場のトレーに、毛を剥がされたつるつるの桃色の肌で、丸裸のチビうさぎが、手足をグイッと伸ばして、整然と横たわっている。今日もいるかな、と、眺めに行くことがあるが、私には買う勇気がない。
芽吹く木々の生命力と命のたまご。うさぎの多産と躍動感。喜びや希望。それらが、イエス・キリストの復活を祝う象徴となって、部屋を飾る。
4月2日は、グッド・フライデー、聖金曜日。私の信仰心は、ともかくとして。この地に習ってスズキやマスのような淡水魚を一匹、料理する。
その日から3日目。今年の復活祭、4月4日、日曜日。伝統的には、ラムか山羊。大家族ならば、子どものラムや子山羊を丸ごといただくそうだが、この習慣は、生け贄に捧げたものを分け合うということなのだろうか。うさぎは、優先順位からいうと、ラムの次ぐらいらしい。
庭に持ち出した、イースターのデコレーション。さっきまで、この白うさぎが家のなかにちょこんと座っていた。
春が来た。