老女の陽射し

年によっては、夏の名残を惜しむ間もなく、すとん、と秋になってしまうこともある。
冷夏でコートを着る日もあった七月、空を恨めしく眺めていた。

ゲストが日本へ帰った頃、いきなり諸手を広げるかのように強烈な太陽が降り注ぎ、慌てて湖のビーチへ駆け降りていった。

「今週で夏が終わるかもしれないから、早く来てっ!!」。

あちこちの子供に約束していたことを思い出し、友達や親戚に電話をかけたら、恐竜の浮輪や機関車トーマス君がやって来た。
小さなマリアは、大好きなショッキング・ローズのサーファールックで、草の上をよちよち歩いている。

ちょうど、木陰にタオルを広げて顔を上げた時。
すぐ目の前を、大きな白鳥が一羽、悠然と泳いで行った。

湖は、いきなり深くなる。しかも、石は苔でぬるぬるしているので、足元を取られやすい。
鴨の子どもたちが、羽をふるわせながら並んで淵に立ち、じっと水面を見つめている。今年生まれた子鴨は、頭のてっぺんの毛がふわふわ風に吹かれていたが、この2週間のうちに羽がそろい大人びた顔になってきた。

飛び込み台から、ジャンプする。
遠くに見える点々は、時々、人間。時々、鳥。

何度か大波をかぶり、水を呑まされ、あらぬ彼方へ運ばれる。だから、船が通り波が起これば、身体は流される力にまかせた方がいい。それは、今年おぼえた。

カモメが空を旋回し、低くゆったり弧を描き、水にとまる。

北ヨーロッパの真夏の太陽は、直滑降で紫外線もかなり強い。それが、晩夏へ向かいだすと、わずかな間に変わってしまう。

八月の週末の湖は、静かで、冷たかった。

「老女の陽射し」。そう形容した人がいた。

20代の若さではなく。壮年の成熟でもなく。穏やかで、弱々しくもあり少し寂しい。

そんなに急に老人にされてはたまらないが、このチューリッヒあたりでは、秋へ移行する頃の光にふさわしく、美しい表現になることもある。

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牧場のバラ

そろそろ卵がなくなりそう、という日。家から少し丘を登る。

ニワトリのサインボードを曲がると、すぐ角に築100年ほどか、古い家屋の農家風レストランがあり、昔ながらのスイス料理をいただける。時々、フェラーリやランボルギーニ、アルファロメオとかが止まっている。

ここでは、牛の横を、そういう車がびゅんびゅん走るので、最初はほんとうにびっくりするものだ。先日、東京からやってきた友人の子息は、「牛だねぇ」、と微笑んでいた彼の真横を赤いスポーツカーがすっ飛ばし、衝撃があまりにも大きかったようだ。

「フェラーリだって、そいうつもりで生まれてきたわけじゃないだろうっ!!」と叫んでいた。

ご近所マダムたちにお話ししたら、「ほっ、ほっ、ほっ。カルチャーショックだったのねえ。他の先進諸国では、あまりないですものねえ」、でした。

さて、そのちょっと先にある農場へ行く。

若いご夫婦とそのお仲間で営む酪農家たち。ご家族と、牛、ロバ、ニワトリ。そして、グレーター・スイス・マウンテンドッグ、大きなスイス犬のルポがいる。この犬の祖先は、ローマ軍に連れられてきて飼育され、山岳の農場で荷車を牽いたり家畜を追ったりしていたそうだが、私はルポが働いているところを見たことがない。

お天気のいい昼間なら、牛たちは小屋から出て、アルプスの峰々を遠くに、真っ青なチューリッヒ湖を一望する原っぱで寝そべったり、ベルを鳴らして草を食んだりしている。
柵のそばまで近づくと、のそのそと私たちを見にやってくる。一頭ごとの名前は知らないが、少しは顔を見分けられるようになった。
私のPCの「近所の牛」というファイルから、集合写真ぽいものと、若い美女のショットをお披露目したい。

明日は、友だちがやってくる。ランチのメニューを決めたので、今日は花もいただきに来た。

この農場の一角にある小さなバラ園に、とっても丈夫でとびきりきれいなバラがある。お店のお花のように整然としているわけではなく、私の小指の先ほどもある大きな刺をたくさんつけているので、決して甘く見てはいけない。直径1センチほどの幹から何本にも枝分かれして野生っぽいが、凛と気高い香りの花を咲かす。

夫は、かつて何度か指に血をにじませた。無人花売り台の鋏よりこっちの方が刺の始末がしやすいと、ポケットからヴィクトリノックスのナイフを出して畑を見渡している。私は、まっすぐにローズ・ピンクで縁取られた花のあたりを目指し、手を振り彼を呼ぶ。

牛小屋の隣りにあるドアを開けると、棚には今朝の卵が並んでいる。ときどき、手作りバターがクールボックスに入っていることもあり、誰かを訪ねるときお土産にするととっても喜ばれる。ここのバターを使うと、ケーキやパスタの味は、断然グレードアップする。

卵の個数をメモ帳に書いて、掛け算をして。5本のバラと合わせたお金を箱に入れる。お札になってしまったら、箱の蓋を開けてもいい。

犬のルポが、クンクンしながら車までついてきた。バラも卵も、そっとシートに置いて、ロバの子を一緒に見に行く。

湖がきらきら波立ち、白いヨットが浮かんでいる。
夕方の散歩なのだろう。森から出てきた白髪のご夫婦と挨拶を交わす。

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復活祭のたまごのトレンド

友達のアンヤの家に遊びに行った時、キッチンのカウンターに妙な色の卵があった。
「野鳥の卵よ」、と言われても信じそうな、緑やベージュのまだら模様、苔に包まれたピータンのような卵。それがセットになっている。
カラフルな染め卵を飾るのではなく、「今年はこれで行くの」、と彼女は言った。
環境先進国らしいトレンドなのかも知れない。

実は、私もまねをして同じ卵を買って、森から採って来た苔の上に飾ってみたのだが、これが、何だかこのまま置いておくと、不思議な生き物が生まれてくるような、かなりナチュラル急進系ぽいデコレーションになってしまった。
モダンアートには近づいたかもしれないが、イースターにはほど遠く、絶対こういう使い方ではないと確信したとはいうものの、道が見えなかった。あちこち移動させたうさぎやニワトリにも迷惑なことだった、と反省している。

イースターの休日は火曜日まであり、2週間ほどの休暇を取っている人も多い。
家でゆっくりしているからと、アンヤの家族に夕食に招かれた。
今年のイースターは、昨年より3週間遅い。
1年の季節が全てやってくるという4月。普通は、雨が降り、雪もたまに降り、大粒の雹がたたきつけてきたり、そうかと思うと急に晴れたり。油断のならない月なのだ。
ところが、どうしたことか、ここのところ初夏のような毎日で、昼間はとにかく暑かった。
お天気が良くなってくると、スイス人の週末は、庭やバルコニーでバーベキューということになる。公園や森でも火を熾し、肉やソーセージを焼く。
エントランスに、恐竜みたいな巨大卵と、あのスーパーで売っている苔むした卵がアレンジされていた。
なるほど、単体ではだめだったのだ、と少し腑に落ち犬と一緒に庭へ行くと、すでにアぺロが始まっていた。

プレゼンテーションプレートには、ホワイトチョコのうさぎとパステルカラーの小さな卵のチョコをデコレーションしてひとりずつに。
何の鳥だかわからない卵は、庭にあった枝や葉を使って大きなガラスの花入れに飾り、「ちょっと色が寂しかったのでキャンディ―をアクセントにしたんだけど、どうかしら」、と彼女は首を傾げる。

ベーコンをぐるぐる巻いた大きなポークの塊りが、目の前を通り過ぎてグリルにのせられる。
夕食を探す鳥たちが高い声で鳴き交いながら、時折木々の間に顔を出す。

そうか。この生活から生まれるデザインなのだ、とようやくわかり、私の卵案は消えていった。

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あけましておめでとうございます

湖には白鳥が浮かんでいます

森のリスやキツネたちは
雪に頭で穴を掘って 餌を探しているころです

人間と暮らすわたしたちは
みんなで一緒に新年を祝い
ぼつぼつ また働きはじめました

幸せな1年でありますように
楽しいことがたくさんおこる年でありますように

平和な年でありますように

今年もよろしくお願いいたします

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Photo:© Schweizer Milchproduzenten SMP • PSL

https://www.swissmilk.ch/de/

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六人の天使

オペラ座の近くに、NZZという新聞社のビルがある。
その通りから湖に沿った道を歩くと、セレクトショップ系のインテリアのお店が何軒か並んでいる。

クリスマス前のある日、六人の天使を見つけに行った。

実は昨年欲しくてうっかり買い逃したが、お店の方に尋ねたらしばらく首をかしげ、「ああ、います、います」と、扉の向こうから両手に乗せて連れてきてくださった。

「とっても小さい天使で、全部が違う仕草をしていて、いろんなところにパラパラと置いてみたくなるような顔をしていました」と、何とも要領を得ない私の説明が通じたようで、シフォンの布から、ひとり、ふたりと出てきて六人並んだ。

誰かが来たときに、ちょこんちょこんと、思いがけない場所にひとりひとりが座っていたり寝転んでいたりするのが面白そうだけど、アドベントクランツのキャンドルが1本ずつ灯っていく間は、そうだ、ここにいてもらおうとリースのそばで遊んでいてもらった。

クリスマスイヴから数えて4週間前。今年は、11月最後の日曜日に、1本。
この前の日曜日に、4本目のキャンドルを灯した。

モミの木は、近くの森からも、ヨーロッパのさらに北からも運ばれる。

飾るのは、24日という伝統がある。

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