鶏のいた店

湖沿いの隣町。細い石畳の路地に、いつも可愛らしい手作りの小物を並べているお店がある。可愛いらしいのだが、子どもっぽくないところがセンスの良さか。
あるお天気のいい日に、このお店を覗いた。

チョコレート屋さんにはいろんなポーズをしたうさぎが並び、薬局には卵を染める草木の粉が箱に入って売っている。
どこのデパートを見ても、どうも今年はパステルトーンが主流か、という感じだった。

さて、パステルの柔らかな色がうちにもいいかと、復活祭の小物を眺める。
この鶏は、真っ先に目についたが、その日は手書きの卵だけいただいて帰った。
迷ったら買えばいいのに、と思うものの、無駄なものを買わない、考えてから買うスイス人の習性の影響で、旅先以外は衝動買いにしばしば、待った、がかかるようになった。

鶏は、ひと晩悩んで、結局翌日買いに行った。

30代後半か。静かな眼をした女性は、ブロンドの髪をシニヨンにまとめている。きれいな人。

「昨日は、迷っていたの。でも、やっぱり、鶏いただきます。日本の友達のお嬢さんにお土産にしてもいいし」。
パキッとしない言い訳だわ、と思いつつ。

彼女は私を見つめて、「分かっていました。絶対戻っていらっしゃると思っていたわ」

幸せそうな猫や鳥。犬と羊。たくさんのうさぎが走り回る小さな店で。
何だか、おとぎ話のなかにいるみたいだった。

スイス人の誰かが作ったフエルトの鶏。彼女の友達か知り合いが作って、ここに並べることにしたのかもしれない。

もうすぐレディになりそうな友達のお嬢にあげるのは惜しくなり、今年ここにいる。

日曜日は、時々小雪。花吹雪。
ハッピー・イースター。

“鶏のいた店” への2件のフィードバック

  1. xyz より:

    可愛らしい鶏。 見ているとなんだか楽しくなりますね。

  2. mieko yagi より:

    季節ごとに、手作りの小物を並べているお店です。
    この鶏を作った方。きっとやさしい女性ですね。

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六人の天使

オペラ座の近くに、NZZという新聞社のビルがある。
その通りから湖に沿った道を歩くと、セレクトショップ系のインテリアのお店が何軒か並んでいる。

クリスマス前のある日、六人の天使を見つけに行った。

実は昨年欲しくてうっかり買い逃したが、お店の方に尋ねたらしばらく首をかしげ、「ああ、います、います」と、扉の向こうから両手に乗せて連れてきてくださった。

「とっても小さい天使で、全部が違う仕草をしていて、いろんなところにパラパラと置いてみたくなるような顔をしていました」と、何とも要領を得ない私の説明が通じたようで、シフォンの布から、ひとり、ふたりと出てきて六人並んだ。

誰かが来たときに、ちょこんちょこんと、思いがけない場所にひとりひとりが座っていたり寝転んでいたりするのが面白そうだけど、アドベントクランツのキャンドルが1本ずつ灯っていく間は、そうだ、ここにいてもらおうとリースのそばで遊んでいてもらった。

クリスマスイヴから数えて4週間前。今年は、11月最後の日曜日に、1本。
この前の日曜日に、4本目のキャンドルを灯した。

モミの木は、近くの森からも、ヨーロッパのさらに北からも運ばれる。

飾るのは、24日という伝統がある。

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復活祭のうさぎたち

亜熱帯の国に住んでいた頃、ドイツ人の友人は、毎年イースターが近づくにつれ少しホームシックになっていた。

雪が溶けた庭の草むらに、カラフルなたまごやチョコレートなどの小さなプレゼントを隠し、それを探す遊びがどれほどエキサイティングなことか。家族や親戚が集う、その春の夜の食卓が、どれほど賑やであることか。彼女は、何度も繰り返し私に語った。

敬虔なカトリック教徒は、イースターの40日前、四旬節が始まる灰の水曜日から肉を断つ。
チューリッヒは、プロテスタントの街なので、あまり厳格な話は聞いたことがないが、しかし、祝祭のムードが日毎にあふれ、家々では、デコレーションに趣向を凝らす。

街には、至るところにうさぎが現れる。
まず、チョコレート屋さん。1836年創業の老舗シュプリュングリSprüngliや日本にも紹介されているトイシャTeuscherには、毎年同じ顔のうさぎが並ぶ。もう少し新しいお店になると、かなりモダン・アートがかかったうさぎがいる。定番のたまごを背負うもの、アコーディオンを弾くもの、そして踊るうさぎなど、絵本から跳び出してきたかのように、ずらっと並んでいて面白い。

ショーウィンドーも、うさぎ、うさぎ。
デパートのインテリア・コーナーでは、グリーン、ピンク、ゴールドなど色とりどりのうさぎやたまごを飾る鳥の巣、枝にぶら下げる、きれいなパターンや絵を描いたたまごのオーナメントも売っている。

極めつけは、本物のうさぎ。食品売り場のトレーに、毛を剥がされたつるつるの桃色の肌で、丸裸のチビうさぎが、手足をグイッと伸ばして、整然と横たわっている。今日もいるかな、と、眺めに行くことがあるが、私には買う勇気がない。

芽吹く木々の生命力と命のたまご。うさぎの多産と躍動感。喜びや希望。それらが、イエス・キリストの復活を祝う象徴となって、部屋を飾る。

4月2日は、グッド・フライデー、聖金曜日。私の信仰心は、ともかくとして。この地に習ってスズキやマスのような淡水魚を一匹、料理する。

その日から3日目。今年の復活祭、4月4日、日曜日。伝統的には、ラムか山羊。大家族ならば、子どものラムや子山羊を丸ごといただくそうだが、この習慣は、生け贄に捧げたものを分け合うということなのだろうか。うさぎは、優先順位からいうと、ラムの次ぐらいらしい。

庭に持ち出した、イースターのデコレーション。さっきまで、この白うさぎが家のなかにちょこんと座っていた。

春が来た。

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聖夜

北ヨーロッパの、さらに北から届いたモミの木。
ドイツ語圏では、24日の朝に、オーナメントを飾りつける習慣がある。

親しい顔が集まると、モミの木の下のプレゼントがかさなってゆく。
やがて、誰かが1本、1本、キャンドルを灯す。

子どもにクリスマス物語を語る父親。賛美歌の楽譜。オルガンの響き。
年ごとに、この夜の光景はわずかずつ変わってゆくが、
和やかでありながらも、どこか厳かな空気が流れている。

メリー・クリスマス!

皆さま、どうぞ素敵な夜を。

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サムシング ホワイト

晴れた日。雪に覆われた遠くのアルプスが、くっきりと稜線を光らせている。
夜がすっかり長くなり、5時頃には、もう日が暮れる。

焼き栗屋さんを横目に見ながら街を急ぎ足で歩いていたら、ちょうどクリスマスのイルミネーションに灯がともされた。小さな光があふれているのは、石畳の路地のなか。トラムが走る駅前の通りは、4年ほど前に、モダンアート系の青っぽい光に変わってしまった。

巨大銀行の前の巨大ツリーに梯子が掛けられ、赤や金のボールを持った影がいくつも動いていた。

ドレスアップする機会が増えてくるせいか、最近、夕方のジムは、だんだん混んできた。ヘビーな食事が続くフェスティブ・シーズンは、もうすぐそこ。

着るはずだったものが、着てみたら何か違ったという、予定直前の失敗を繰り返すので、ちょっと焦る。

通っているのは、普通のジムだが、街の真ん中にあるというのがとにかく便利で、しかも、チューリッヒを凝縮したように多国籍な環境が、外国人の私にはイージーだ。
地球上のあらゆるところからやって来た人々が集まるので、色々ななまりの英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、そして、スイスドイツ語などなど。実にさまざまな言語が聞こえる。

地味で質素だと思っていた、チューリッヒ。しかし、ここのロッカー・ルームに出入りするようになってから、結構ドラマチックに印象が変わった。
特にこの時間帯は、昼間とは全く違う。年齢層がぐっと若くなり、なんとなく華やかさがある。

お洒落なマダムが、時計を見ながら帰り支度をしている。モデルのような女性が、ツンと顔を上げて、鏡の前で立ち姿を見ている。
金融街を控えているので、そこで働く人も多いのだろう。もう少し寒くなると毛皮のコートがハンガーにずらっと並ぶのは、圧巻。

日本から訪れる誰もが、洗練された街、と言うが、なるほど、富裕な街だと、こんな断片を見ても納得するものがある。

小さな買い物があって、飲みかけのエビアンを抱えたまま、閉店間際のデパートに飛び込んだ。
大げさにならないプレゼントを、友達に。

もう今年のカラーやデザインを考えている人が多いので、どうしようか迷ったが、クリスマスのオーナメントのなかから、テーブルに置くキュービックのキャンドルをひとつ。オフ・ホワイトで選んでみた。

冬の雨が降って来た。

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