1916年。トリスタン・ツァラは、チューリッヒでダダイズムを宣言した。美術史上、その後いくつかの大きな影響を受けてきているが、現在、この街は、世界の現代アートの重要な拠点のひとつとして確立されている。
その中でも、リーダーの役割を担っているのが、ミグロ美術館現代アートMigros Museum für Gegenwartskunst。
実際、現代アートだけを専門に扱う美術館は、ヨーロッパでも意外に少ないが、ミグロ美術館現代アートは、例えばパリのパレ・ド・トーキョーやロンドンのホワイトチャペル・アート・ギャラリーと並ぶ世界のアートシーンで常にユニークで質の高い企画展を発表する存在として知られている。
オープンは、1996年。ちょうど、この90年代半ばから現在に至るまで、世界中からアーティストがこの街に集まって来るという傾向が見られる。
ミグロ美術館現代アートは、ライオンのブランドマークでおなじみのスイスの古いビール工場をそっくり改造した建物のなかにある。また、このビルには、クンストハレ現代美術館 Kunsthalle Zürich を始め、 エヴァ・プレゼンフーバー Eva Presenhuber, ハウザー&ヴィルスHauser & Wirth, ピーター・キルシュマンPeter Kilchmann, ボブ・ヴァン・オルソー Bob van Orsouw といった、世界の名立たる現代アートのギャラリーが共存している。ミグロ美術館現代アートは、時として、これらのギャラリーと連動した活動を展開することもある。
ローヴェンブロイ・エリアと呼ばれるLöwenbrau-Areaこの周辺一帯には、ギャラリーが多く、またクリエイティブな仕事が集中している、チューリッヒでも最先端の情報を発信するエリアである。ミグロ美術館現代アートは、この地域においては、美術を学ぶ学生が卒業後もチューリッヒで制作活動を続けられるよう環境整備をしていると同時に、世界のアーティストと密接な関係を結びながら、よりスケールの大きな作品に取り組み、人々と交感していくプロセスを通じて、現代アートの歴史を作り続けることを目的としている。
パトロネージュするのは、スイス最大のリテイラー、ミグロ。スーパー、デパート、銀行、学校など、傘下には異業種が多様にある。創業者ゴットリープ・ドゥットワイラーGottlieb Duttweilerの波乱に満ちた、実にチャレンジングな生涯は有名であるが、彼自身がアバンギャルドな絵画を収集していたことは、系譜として記憶しておきたい。
ミグロ美術館現代アートでは、現在、20世紀思想を総ざらいして再構築したかのような実にパワフルな展覧会が開催されている。
世界的な現代作家13人が、ダンス、彫刻、ビデオ、インスタレーションなど、象徴言語の脈絡の中で、まったく異なる展開と多様なコンテンツの働きを煌めかせたグループ展 While bodies get mirrored- An Exhibition about Movement, Formalism and Space。
動きと空間の間に生じる緊張関係を大きなテーマとし、現代アートにおけるポスト・モダン・ダンスやその振り付けの影響に焦点を当てている。
また、もうひとつの中心テーマは、「演じること」の再プレゼンテーション。動きの記号、ダンサーの表現を様々な媒体を通じて展覧している。
初期のポスト・モダン・ダンスは、次のモダニズムへとブリッジする時期に「あらゆる動きはダンスであり、全ての人間はダンサーである」と解釈していた。
ポスト・モダン・ダンスにおける動きの形式表現の遺産は、現代アートに応用され、反映し、さらに発展している。とりわけ、ここ数年、若いアーティストの間で、この20世紀初めのアバンギャルドなムーブメントが再度取り上げられ、再発見され、興味が高まっているという大変面白い動きが起きている。
キュレーターのラファエル・ギガックスRaphael Gygaxのインタビューを聞いた。
「タイトルWhile bodies get mirroredは、一見、複雑な様相を示しているかもしれません。しかし、これは、なによりも大変詩的で、私たちが追求してみたかった3つの瞬間を映し出しているのです。フォーマリズム、ムーブメント、そして空間。作品は、それを映し出す、あるいは反射させる空間が必要とされます。ポスト・モダンアートにおいて、反射させることは、しばしば身体の細分化と密接な関係を持っています」。
館長ハイケ・ムンダー Heike Munderは、2001年に就任して以来、次々と斬新で挑戦的な企画を成功させてきた。
「パフォーマティブな活動を、長年に渡って提示してきました。ムーブメント、劇場的な表現形式。私たちは、今回グループ展として、それらすべてをこの空間に集合させました」。
会場一番奥、真っ赤な絨毯の上に70枚を超える鏡を杭のように構築した、ウィリアム・フォーサイスWilliam ForsytheのThe Defenders Part2が展示されている。この作品と絡む文脈が、展覧全体の作品から作品へと、まったく異質でありながらもget Mirroedというというコンセプトで符合している。
会場に入って、まず私たちを出迎えるのは、このフォーサイスのDNAを汲み、その暗示とも受け取れるメキシコのマルティン・ソート・クリメントMrtin Soto Climentの、白鳥 The Swan Swoons in the Still of Swirl。スチールの彫刻と、それを踊らせる作家がスクリーンに流れる。
この導線を辿っていくと、アニミズムを連想させるアメリカのアバンギャルドのパイオニア、May Derenのダンス。
その先には、ヘンリー・ミラーの作品のパッサージュをベースに、彼の親密な女性のイメージを引用した、デリア・ゴンツァレツDelia Gonzalezのフィルム。シェークスピアの「真夏の夜の夢」に登場する妖精の王オベロンの黒い翼を身につけて、闇の奥から現れたようなダンサーが、ある種呪術的にさえ見える舞踏を踊る。
ハイケ・ムンダーの話を続けよう。
「現代の精神性は、リ・フォーマリズムとファンタジーの間で生きています。2つの重要なムーブメントは、形式が幾何学に対抗するものでありながら、しかし、同時に常にオーバーラップしているということなのです。ユートピアは、失われました。しかし、多くのアーティストが、ユートピアと交流しています。彼らは、非常に強い芸術の力でそれを取り戻しているのです」。
パウラ・オロヴスカPaulina OlowskaによるAlphabet Letters。
彫刻的なフィールドを拡大拡張しつつも、さらにムーブメントを凝固させようとロープを張り巡らす、ジュリアン・ゲーテJulian Goethe。
社会的、政治的アプローチをも意図する、アンナ・モルスカAnna Molska。
「彼らのアートの原点が、ユートピアのアイデアと手を取り合っていることがわかります」。
「20世紀初頭、文化人類学者、心理学者、社会学者は、身体やムーブメントの刻印は、精神文化によって与えられていると想定しました。この展覧会は、それらの影響と遺産のひとつの理想的な表現方法である。私は、そう考えています」。
数年前、ハイケ・ムンダーにインタビューする機会があったが、彼女はこの美術館の戦略でありミッションである オン ゴーイング アート プロセス on going art prosess について、以下のように解説した。
「アートは、常に社会とつながっています。世界にリンクして、外に向かって開かれたものです。ですから、政治にも、経済にも、歴史にもつながっているといえます。アートを人々や社会に問いかける。人々が考える、感じる、刺激される。あるいは、幸福な気分になる。それが、美術館に反映され、私たちは、また問いかける。その繰り返しは永遠に続きます」。
「美術館の活動が、地下に根を張っていくとイメージしてください。やがて、木になる。花が咲くかもしれない。広大な森ができるかもしれません。素敵だと思いませんか。それが、私の考える オン ゴーイング アート プロセスon going art prosessです」。
While bodies get mirroredは、オン ゴーイング アート プロセスの地下鉱脈に根を張り巡らして煌めいている、現時点での集大成のグループ展であると解釈できる。
この展覧会の提示するユートピアのなかで、私自身が反射を感じる奇妙な幸福感があった。
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While bodies get mirroredを構成するアーティスト
アネタ・モナ・チシャ Anetta Mona Chisa 1975 ルーマニア/ マヤ・デレンMaya Deren  1917 – 1961 ウクライナ/ウィリアム・フォーサイス William Forsythe 1949 アメリカ / ジュリアン・ゲーテJulianGoethe 1966 ドイツ/デリア・ゴンツァレツDelia Gonzalez 1972 アメリカ/ バベット マンゴルト Babette Mangolte 1941 フランス /アンナ・モルスカAnna Molska 1983 ポーランド/ ケリー・ニッパー Kelly Nipper 1971 アメリカstyle/ポウリナ・オロウスカPaulina Olowska1976 ポーランド/ シルク・オットー・クナップ Silke Otto-Knapp 1970 ドイツ/マイ- テュ・ペレ Mai-Thu Perret 1976 スイス/ ハンナ・シュヴァルツ Hanna Schwarz 1975 ドイツ/ マルティン・ソトー・クリメント Martin Soto Climent 1977 メキシコ/ルチア・テュカソファLucia Tkácová 1977 スロバキア
5月30日まで
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チューリッヒ歌劇場といえば、もちろんオペラで有名であるが、実は、ここに所属するチューリッヒ・バレエ団の舞台は、「ヨーロッパで最も美しいバレエ」と呼ばれている。
オペラの素晴らしい歌手がこの小さな街に集約されるように、バレエもまた、しかり。世界中からエリート中のエリート・ダンサーが集まって来て、プログラムごとに綺羅星のようなスターが登場する。
振付家として有名なハインツ・シュペルリ Heinz Spoerliは、彼自身、ダンサーだった。
96年にチューリッヒ・バレエ団の芸術監督に就任し、以来、斬新でユニークなプロダクションを発表し続けている。
バッハの「ゴールドベルグ変奏曲Goldberg-Variationen」、全てを踊る。
この曲は、グレン・グールドの演奏で最も知られているが、リピートを含めて、2つのアリアと30の変奏曲を弾くと、演奏時間は優に1時間を超える。ダンスとダンスの間に僅かな間があるので、ざっと90分。
それを、まったく休憩を入れずに弾き続けたピアニストは、アレクシー・ボトビノフ Alexy Botvinov。ウクライナ、オデッサ生まれ。
19歳でモスクワのラフマニノフ・ピアノコンクールで優勝して以来、バッハ国際コンクール、クララ・シューマン・コンクールと世界的な評価を不動のものにしてきた。
今回のように、ソロならばなおさら。バレエであっても、彼の演奏を聴くことを楽しみに訪れる人々が多くいる。
シュペリエとは、90年代半ば、バレエ「スツェーネンSzenen」でシューマンを演奏して以降、卓越したハーモニーを生み出すパートナーとなっている。
チューリッヒ・バレエ団のダンサーは、誰もがソリストとして踊る実力を持っている、という精鋭をすぐるレベルの高さを自負する。
圧倒的にファンの多い、イェン・ハン Yen Hanは、繊細な感情表現が深く、美しい。溜息をつくほどのプロポーションから生まれる気品にうっとりとする、アリヤ・タニクパイェヴァ Aliya Tanykpayeva は、インペリアル・ロシア・バレエから移籍。サラ‐ジャンヌ・ブロドベックSarah-Jane Brodbeckは、快活で自由な空気が愛らしい、。
男性では、アルチュール・ババイャンヤン Artur Babajanyan、ブライアン・チャン Bryan Chan、アルマン・グリゴリヤン Arman Grigoryanなど。いずれも、超人的な跳躍力、目を瞠る静止力、天性の敏捷を兼ね備えた俊英たちだ。
最初のアリアが始まると、ゆっくりといくつもの影が動き出す。照明をぐっと落としたステージでは、それぞれのダンサーがそれぞれの音となって、記号を発信しているかのようだ。
舞台装置は、何もない。オーケストラピットにアレクシー・ボトビノフと1台のピアノ。照明、ダンサーの動き、次々と色を変えるレオタード。
足すのではなく、引く。ぎりぎりに削ぎ落とし、この舞台に関わる人間ひとりひとりの内面を引き出していくかのような作品。光と陰が交差する。
「私にとって、ゴールドベルグ変奏曲とは、通り過ぎていく人生そのものなのです」、とシュペルリは語る。男と女が出会い、惹かれあい、結びつく。別離がある。年齢を重ね、だんだんと成熟し、変化していく。そのように、互いに接しながら離れながら、時は過ぎゆく。
30の人生のバリエーションを踊るダンサーたちは、ときには、優雅にせつなく、気高く。また、ときには、アクロバットや体操競技を観ているかのような、「ダンス」で意表を突かれる。計算し尽くされた多様でエキサイティングなシーンが、目眩く目の前に現れては消えてゆく。
途中でソロが入るが、後半3曲、パ・ド・トュが踊られる。それらが何とも上品でしなやかで、夢のようなダンスだった。
ゴールドベルグ変奏曲は、第16変奏の「序曲」で、前半、後半が対比されるが、これをシュペルリは、「まるで孤を描くように」振り付けた。最初のアリアが繰り返されてゆっくりと終息するシーンで、舞台に再び静けさが運び込まれて来る。
不眠症のために演奏されたという逸話さえある長い曲。寝てしまうのではないかと心配だったが、驚かされ通しで、ずっと覚醒してい た。
長年高い評価を得ているプロダクションだと聞いた反面、「レオタードの色とライトがどんどん変わって、ダン サーが出て来て踊って、また次っていう感じ。それだけよ」とは、オペラ座常連の方。面白い。
あれだけのことを、それだけにも見せてしまう、省略。そのクラシックの基本の確かさと昇華。紡ぎだされる宇宙観のようなものが、やはり尋常ではないバレエ団なのだと思う。
Photo: Opernhaus Zürich / ©Peter Schnetz
“バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」チューリッヒ・バレエ団” への2件のフィードバック
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バイエラー財団美術館のジェニー・ホルツァー展では、企画意図の一環であるのか、写真撮影が許されている。
話題になった、レンゾ・ピアノの建築とのコラボレーション。ジャコメティ、ピカソ、マックス・エルンスト、そして、ネオンなど屋外広告を表現媒体にした時期もあるアンディー・ウォーホルなど。財団のコレクションのなかからホルツァー自身がキュレーターともなって選んだ、これら作品との対話がここにある。
カタログを買うと、ホルツァーのメッセージがデザインされた、美術館オリジナルのバッグがついてくる。
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チューリッヒからバーゼルまで、直行で1時間弱。アートや時計のフェアでしばしば名前が登場するが、バーゼルは、中世の時代から学芸や文化の中心地として発達してきた古い都市だ。旧市街やライン川沿いに独特の優雅な趣きがある。
バーゼルの国鉄駅は、ネオバロックのファサードを持つ国境の駅。ドイツ、フランス、スイスのボーダーがここで接する。
駅からトラムに乗って、郊外のリーヘンRiehenへ。世界に美しい美術館はたくさんあるが、大きな池にゆったりと水を湛えた、このバイエラー財団美術館の静寂や気品は、美術を鑑賞するための心を穏やかに迎えてくれる。
世界的建築家レンゾ・ピアノ Renzo Pianoの作品。
バイエラーは、丁寧に収集されたコレクションの素晴らしさはもとより、ヨーロッパでも、極めて質の高い企画展を展開することで広く知られる。アート・バーゼルの会場で、毎年、必ず入口から右手、最初のブースを持つのがこの美術館だ。
年を越えて開催されている展覧会 ジェニー・ホルツァー Jenny Holzer。あらためて言うまでもなく、現代の最も有名な作家のひとり。90年のベネチア・ビエンナーレで金の獅子賞を受賞したが、この評価以降、彼女の社会性、政治性が強く、なおかつ詩的な言葉をあふれる波のように伝達していくという制作活動を、より大きなフィールドへと発展させていった。
1950年、アメリカ オハイオ州生まれ。LEDの電光掲示板でフレーズを流すなど、近年は、各都市でプロジェクトを組んで作品を作り上げ、しばしば街を媒体として表現する。
今回の企画展では、チューリッヒでは、旧市街リマト川を見下ろすリンデンホフLindenhofの丘の壁に。バーゼルでは、カテドラル、SBB駅構内、シティホールなど。石畳に、教会の聖母像に光のメッセージが走り続けた。
70年代後半のテキストを含め、80年代以降の彼女の全分野における主要作品で構成。とりわけ、ヨーロッパでは未発表だった作品を含め、近作にフォーカス。LEDのインスタレーションはもちろん、絵画、オブジェなどを展覧する、スイスでは初めての大規模なショーだ。
また、バイエラーならではの思考のしなやかさであるが、ホルツァーの作品と影響し合うという意味で、財団のコレクションから、ジャコメティ A. Giacometti、ピカソ P. Picasso、マレーヴィチ K. Malevich、ベーコン F. Baconといった作家の作品が選ばれ、インスタレーションから移動していく間に、あるいは、同時に、全く異質なアートにも会うことになる。
1月24日まで。
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毎年、秋から冬にかけて、日本からぽつりぽつりとゲストがやって来る。それも、プロジェクトを終えたから、とか、仕事の区切りがついたから、という、自分にご褒美の旅行だ。ひとり旅が多い。
こういう人々は、要求度は高いが、何をしたいのか的が絞られていて概ねインディペンデントなので、昼間は放っておいても、適当に遊んでいてくれる。問題は、夜の部の充実度となる。
寒い季節ならば、やはりオペラをお勧めしたいので、むしろプログラムに目を通した後からスケジュールを微調整をすることが多い。
湖畔に佇む、チューリッヒ歌劇場。現在、世界のオペラハウスの中で、最も注目されている歌劇場だ。9月から6月まで、ここで上演されるオペラは極めてレベルが高く、切符を手に入れにくい歌劇場としても知られている。
日本では07年秋に、オーチャードホールで、「椿姫」と「ばらの騎士」を上演した。最高のオペラ歌手がずらっと贅沢に並び、大きな話題になった。
1834年に建てられたアクツィエン劇場が前身。当時スイスに亡命していたリヒャルト・ワーグナーの活躍の場となっていた。今でも、大学にほど近い骨董屋さんには、ワーグナーの楽譜がかなり残っていると聞く。
この劇場は、火災で焼失してしまい、その後、1891年に現在のチューリッヒ歌劇場が建設された。
ワーグナーを始め、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、リヒャルト・シュトラウスなど、錚々たる巨匠を次々と起用し、その評判はヨーロッパ中を席巻したそうだ。
座席数は、1100ほど。外観もインテリアも美しく重厚だが、パリやウィーンの歌劇場と比べれば、とても小さい。まるで、可愛いプリンセスのようだ。
しかし、チューリッヒの地の利と経済力は、ここでも大きく働く。しかも、4つの国語を持ち、英語が普通に通じる国。2つ3つの外国語を喋る人はたくさんいるし、スイス人の友人のなかには、ヨーロッパ中、国境を超える度に言語も変えるという得意技を持つ人もいる。
言葉の壁がないというのは、大きなアドバンテージだ。イタリア、ドイツ、オーストリア、そして、東ヨーロッパ諸国など。プログラムごとに、世界のトップクラスの歌手が堂々と顔を揃える。
この街には、それだけたくさんの才能を集中させる条件が整っている。
現総裁アレキサンダー・ぺレイラ Alexander Pereiraを迎えたのが91年。以来、その陣頭指揮のもと、年々勢いをつけてパワーアップしている。
上演レパートリーは、年間32から35本。そのうち15演目が全く新しい演出になる。シーズン中、新作がほとんど毎月1本以上あるということになるが、これは、オペラの世界でも、通常、まず不可能な頻度だと言われている。
95年に首席指揮者に就任、05年からは、音楽総監督を務めていたフランツ・ウェルザー=メストFranz Welser-Möstは、2010年からウィーン国立歌劇場音楽総監督に就任する。このポジションは、今年6月にイタリア人のダニエル・ガティDaniele Gattiに引き継がれた。
8時開演。コートを預けて、ロビーでパンフレットを手に取る。私たちの席は、2階のバルコニー。好きな場所だ。
プロダクションは、ベルディの「海賊」 Il CorsaroIl。海賊の首領コッラードは、今かなり旬のヴィットリオ・グリゴーロ Vittorio Grigolo。愛人メドーラは、エレーナ・モスク Elena Mosuc。女奴隷グルナーラは、カルメン・ジアンタシオ Carmen Giannattasio。彼女を愛するセイドに、ホアン・ポンス Juan Ponsと、二人のソプラノの間に入るグリゴーロは、まさに適役。
昨年の秋に、チューリヒ中央駅構内をそっくりそのまま使い、通勤帰りの人々や観客も巻き込んで、「椿姫」 La Traviata が上演され、テレビで同時中継された。そこでアルフレードを歌っていたのが、このグリゴーロ。歌はもちろん素晴らしいのだが、インタビューに垣間見えるお茶目な性格が面白く、別のもので聴いてみたいとファンになってしまった。
また、この作品で、日本の若きテナー、北嶋信也さんがセリモ役でチューリッヒ歌劇場にデビューされたが、過日、お話を伺う機会があった。
「共演者にも恵まれましたが、プレミエも緊張せず迎えることができたのは、このチューリッヒ歌劇場の持つ独特の暖かい雰囲気のお陰だと思っています」
北嶋さんの言葉は、そのまま歌劇場の特性を表現しているように思う。
ペレイラ総裁は、しばしば、「ストーリーに忠実であれば、演出家は様々な冒険をしていいと考える」と発言している。
今回の「海賊」は、オペラ座のサポート・メンバーの方々に尋ねても、指揮も歌手も初めての配役であり、しかもあまり上演されないプログラムなので予想がつかない、という答えが多かった。
しかし、日を追うごとに評判が評判を呼び、上演はすべて満席。
特に、舞台一面に水を張り、巨大な鏡に反射をさせる演出の斬新さ、照明の巧さ、テンポの良さが、まったく飽きさせない。驚きや意外性を、次々と展開していく。
インターバルにシャンパングラスを持って、バルコニーに出てみた。ロビーの華やぎは素敵だが、舞台の熱気がそのまま流れ込んでいたので圧倒される。冷たい夜風が、気持ちいい。
6回のカーテンコールで、歌劇場は、さらに大きな興奮に包まれていった。こういう挑戦的でダイナミックな舞台に対して、惜しみない大きな拍手を送る観客の質の高さもまた、この歌劇場の世界における評価なのだろう。
バレーの2枚目3枚目の画像が斬新で素晴らしいです。
これをみると是非本物の公演を見たいと思ってしまいます。
傑作を見せていただいてありがとう。
roberto sama
いくつか観ていると、ハインツ・シュペルリは、ほんとうに才能あふれる特異な演出家だと思います。あの2枚の写真は、絞り込むまでしばらく考えましたが、最も印象に残っているシーンから選んでみました。
気に入っていただけて、とてもうれしいです。ありがとうございます。