鎮魂 マーラー交響曲第9番の日

3月最後の日曜日。前夜からの雨がやまない。
急遽決定された、チューリッヒ歌劇場管弦楽団による東日本大震災チャリティ演奏会が、朝11時からチューリッヒ・トーンハレで開かれた。
普段それほどフォーマルではないマチネも、この日はダークスーツやシックなドレスの方が目に着いた。

開演間際に、舞台脇の扉から走り込んできたペレイラ総裁の顔は、少し蒼白く厳しい。哀悼の辞が続き、その最後に黒に着替えてステージに現れた。

優秀な日本人の音楽家が何人もいるが、今日のオーケストラは日本人以外の奏者で構成されたこと。休憩を挟まないこと。そして、演奏の最後に拍手をしないようにと身体を揺らしながら伝えると、短いスピーチを終えた。

この日の夜上演されるヴェルディの「フェルスタッフ Falstaff」を収録するために、偶然にもNHKのスタッフの方たちが訪れていたそうだ。

主席指揮者、ダニエル・ガッティ Daniele Gatti 。曲は、マーラーGustav Mahlerの最高傑作ともいわれる交響曲第9番。
第4楽章のアダージョは、大きく、ことのほかゆっくり。天に地に祈りつづけるかのような鎮魂が流れる。弦だけで演奏されるこの最終章が徐々にか細く消え入ると、ガッティは、ガクン、と頭を前に落とし指揮棒を下げたそのままの姿勢で止まってしまった。演奏者全員、指揮者を見守っている。

やがて、私たちも無言で席を立ち始めた。

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震災1ヵ月。

各地の教会で、学校で、大小のチャリティー・コンサートがほとんど毎週のように開かれている。

今日は、このトーンハレで、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、チューリッヒ室内管弦楽団、チューリッヒ歌劇場管弦楽団、ヴァイオリニストのユリア・フィッシャー Julia Fisher によるジョイントコンサートが開催された。指揮は、この3楽団をリードするに流石の重鎮、クリストフ・フォン・ドホナーニ Christoph von Dohnányi。

チケット収益は、スイスのNGOグリュックスケッテ Glückskette(幸運の首飾り)の日本支援へ義援金として届けられる。

お亡くなりになられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。

被災者の皆さま どうぞ一日も早く平穏な日常がとり戻せますよう、この地よりでき得る支援を継続させていきたいと思います。

https://www.glueckskette.ch/

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チューリッヒ歌劇場 「真珠採り」

オペラを観に行くとき。しかもいい席が取れている場合ならなおさら、前日、できるだけ睡眠をとるようにする。
チューリッヒ歌劇場のように、1100席という小さな空間では、舞台との距離も遠くない。よほど天井に近い席でなければ、この劇場は音響がいいので、揃いも揃った精鋭の生身の人間の迫力を受け止めるには、こちらもまた、それなりの体力がいるというものだ。

でも、元気と時間に余裕があるときにホームページを覗いて、まだ空いていれば手頃な席を取り、ぶらっと行くというフットワークも、私は結構気に入っている。初日ではなく、プレミアム席でないならば、それほど頑張ったお洒落をしなくても、周囲の方にも失礼ではない。自分で心地良ければそれでいい。そんなふうに、肩に力を入れないでオペラにワープするみたいに、非日常の世界に滑り込んでゆく。

日本から親しい友人がやって来た。芝居通、歌舞伎通だ。もちろん、今回の旅のお目当てのひとつは、オペラ。ラッキーなことに、彼女がやってくる頃、ちょうどビゼーGeorges Bizet の「真珠採りLes pêcheurs de perles」を上演していた。

フランスの芸術家の登竜門「ローマ賞」を受賞し、イタリアからパリへ戻って来たビゼー。25歳のときに書かれた作品だ。それから約10年、「カルメンCarmen」が初演されると間もなく、36歳という若さで病死してしまう。オペラの世界で重要な地位を確立して、これから歴史を変えたであろう才能。もしもその先「カルメン」を超える作品が作られていたらどんなに素晴らしかっただろうと思う。

決して寡作ではないものの、オペラで知られる作品の数が少ないためもあってか、作品の大きさや構成など、「真珠採り」は「カルメン」とよく対比される。
「真珠採り」はビゼーの死後、かなりドラマチックに変遷し、いくつものユニークな演出によって作品がディテールを変えつつ発展し続けているといわれる。

指揮者のカルロ・リッツィCarlo Rizzi は、「カルメン」は、もっと肉感的で血を騒がせるような生命力にあふれたダイナミックなオペラだとしながら、こう語る。

「ビゼーは、『真珠採り』を書いた時代、まだ本格的にデビューしていませんでした。若かったし、その若さゆえの純粋さや透明感が、この作品にあるのだと思います。ストーリーは、シンプルでわかりやすく、いずれの曲も、とにかくメロディーがクリアで大変に美しい」。

19世紀後半のフランス。イタリアオペラの人気がまだまだ優勢であったものの、「フランスのオペラ」が登場し、オペラ界に新しい潮流が生まれてきたエポックだった。

そのような時代背景が、ストーリーに影響を与えているのか。
演出家は、演劇性の高さでことに定評のある、イェンス-ダニエル・ヘルツォーク Jens-Daniel Herzog。やや社会性の強い捉え方をしている。

チューリッヒ歌劇場の舞台美術や照明は、観客をびっくりさせるような仕掛けが組み込まれていることが多いが、今回は、ストーリーのわかりやすさを受けてか、複雑な構造はなかった。

古代のセイロンの浜辺。
舞台は、あまり動かない。初めから、3層に組まれている。
前出のヘルツォークによると、「まず一番下。真珠採りたちが並んでいますが、ここが労働者の象徴。真ん中が、中流階級。そして、荒れ果てた僧院のある一番上の層が、この『真珠採り』の世界のシステムのトップです」。

そのような構成をより明確にするためにも、真珠採りたちは、舞台の上にとどまる。
何十人もの真珠採りが一斉にオレンジ色の手袋をはめた手を動かしながら、終始そこにいるという、塊りの力の奇妙さを引きずっていく。

真珠採りの新しい頭に選ばれたゾルガに、バリトンのフランコ・ポンポーニ Franco Pomponi。
その旧友で、かつては、ゾルガと同じ女性を愛し対立した ナディールに、テノールのハビエル・カマレーナJavier Camarena。

ナディールの恋人だったが、この浜辺に真珠採りたちの安全を祈願するために遣わされる尼僧レイラは、ソプラノのマリン・ハルテリウス Malin Hartelius。

レイラを連れてくるバラモンの高僧ヌーラバットは、バスのパヴェル・ダニルクPavel Daniluk。

尼僧レイラは、ゾルガから一生ヴェールを取らず、真珠採りの安全を祈り続けること、処女であることを誓わされる。

しかし、「あっ、あの人だ」とお互いに気づいてしまったレイラとナディール。

アリア、二重唱、三重唱と、いくつもの有名な曲が次々と歌われる。
旧友との再会、もう争いの種になる恋人は目の前にいないのだからと友情を讃える、ハビエル・カマレーナとフランコ・ポンポーニの二重唱「黄金と花に飾られた神聖な寺院の奥に Au fond du temple saint」は、実に美しい。

一番良く知られているのは、何と言っても ナディールがレイラを想って歌う「耳に残る君の歌声 Je crois entendre encora」。ハビエル・カマレーナは、チューリッヒ歌劇場でも大人気の歌手だが、この歌の最初のフレーズが深く切なく流れると、何ともロマンティックで、ふ~っとどこかに連れて行かれるような柔らかさに包み込まれる。メキシコの方だが、ちょっと東洋的な雰囲気もあり、長く村を離れていた冒険好きな青年の自由を演じ、レイラに熱烈に愛を語る。

尼僧レイラのソプラノは、神々しささえ感じる。指揮者のカルロ・リッツィが何度も強調している旋律の透明感に高貴が織り込まれる。

特に、ヴェールを被って舞台の最上から響き渡る1幕目の最後、「ブラーマの神よ!Brahma, divin Brahma!」から続くアリア「空にさえぎるものなく Dans le ciel sansa voiles」が、素晴らしい。

レイラとナディールが再び愛し合うようになったことは、見張りの教徒からヌーラバットにすぐに伝わり、二人は処刑されることになる。

ナディールを助けて欲しいとゾルガに懇願するレイラ。尼僧が実はレイラだったと知った時に、ゾルガは、愛を告白するが、レイラの気持ちを変えることはできない。嫉妬のあまり、ズルガは二人に死刑を宣告してしまう。

レイラは、「殺されるなら、これを母に届けて欲しい」と真珠の首飾りを差し出す。それは、ゾルガが逃亡していた時に、命がけで彼を助けてくれた少女に渡したもの。

ゾルガは、村に火を放ち、村人が混乱している間に二人を逃がすことにするが、そのシーンの前に歌われる、やはり有名な三重唱、「聖い光よ、すばらしい抱擁よ O lumiere sainte」となると、この3人の歌声が、波のように押し寄せてきては引き返すという繰り返しで、歌劇場にはドラマティックな海が洋々と満ちてゆく。

終盤、村人たちに殺されるゾルガ。光の中へ消えてゆくナディールとレイラ。権力は民衆に倒され、信仰に戸惑いながらも、最後に愛が一番輝くという、物語。ストーリーが理解しやすいので一生懸命字幕を追うこともなく、美しく豊かな歌声をゆっくり楽しむことができる。

その夜はずっと、アリアの旋律が耳の奥でこだましていた。

Photo: © Suzanne Schwiertz

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コンサート・マスターという仕事 チューリッヒ 歌劇場管弦楽団

Photo:© Philip Koschel

チューリッヒ歌劇場で、いつも最初にチェックする席がある。2階右側バルコニーの5番目。なぜ、脇から見たがるのかと聞かれたことがあるが、平土間をすぐ下に、この位置から舞台全体が見渡せ、歌手の表情も近い。
そして、舞台の下、オーケストラピットがそっくり見える。好きな指揮者が登場する日ならなおさら、演奏を観るという楽しみが加わるのだ。

オーケストラに、コンサート・マスターという仕事がある。指揮者が登場して握手する、第一バイオリンの首席奏者。指揮者とオーケストラメンバーの間に座っていて、観客の側には、それほど目立つ存在には映らないが、コンサート・マスターは、演奏を率いる大きな責任を担っている。

このチューリッヒ歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターにインタビューする機会を得た。

ハンナ・ヴァインマイスター Hanna Weinmeister。クラシックのご専門家は、彼女の名前をご存知だろう。
オーストリアのザルツブルグSalzburg出身。28歳のときにチューリッヒ歌劇場のコンサート・マスターのオーディションを受け、就任した。

ペレイラ現総裁は、当時、すでにその手腕を高く評価されていた。今年からウィーン国立歌劇場音楽監督を務めるウェルザー=メストFranz Welser-Möstは、彼女がオーディションを受けた98年、チューリッヒ歌劇場で音楽総監督として活躍していた。

世界中から、数々の歴史あるコンクールで才能を絶賛された音楽家が集まってくる。そのコンサート・マスターのオーディションが、どれほど緊張するものであることか。

チューリッヒ歌劇場管弦楽団のメンバーは、100名を越える。
コンサート・マスターの選考となれば、団員にとっては自分たちの新しいリーダーが選ばれること。当然、多くのメンバーが聴きにやってくる。

書類審査を通過した音楽家が受ける第一次審査では、ステージのカーテンが降ろされたままで演奏を聴くそうだ。誰が弾いているか分からない、と言いきれるかどうかはともかくとして、名前も顔も出てこないということからすると、非常に公平に、純粋に音楽を聴くことになる。

ハンナ・ヴァインマイスターが、オーディションを受けたその日。総指揮者ウェザー=メストは、体調を崩して出席できなかった、とメンバーの方から伺った。

最後の演奏が終わると、ペレイラ総裁は、メストに電話をかけた。
「ハンナ・ヴァインマイスターに決まるが、どうだろうか」。
「もちろん、彼女で結構だ」。

その頃、ヨーロッパ中に名前は知れ渡っていただろうが、そういう、たった二言のやり取りがあったと、今でも語られている。

理論を超えて、言葉を超えて。しかし、数学者と話をしているのではないかと思うほどの明晰さで、専門的な話をこれほどシンプルに語ることができるものかと、その表現力に圧倒された。

指揮者のスピリッツを受け止め、それをあたかもテレパシーのように背後のメンバーに発する。誰もが納得のできるいい演奏をしたいと自分にチャレンジしているステージで、それぞれが放つその日の力を感じ取り、描くイメージの音楽へと、メンバー全員の音を導き演奏にする。それが役割、と言う。

精神世界のように不思議に満ちた、ある種、予兆に近い方向性の出し方。人知を超越した音楽の世界との気高い交信がそこにある。

音楽家特有の淀みなく流れる心地良いフレーズの意味の深淵と、目の前で時折声を立てて笑いながら語る美しい表情とを何度も反復しながら、しみじみとこの女性が天才であることを理解する。

写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。現在発売中の「プレシャス」9月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載されている。

お手に取っていただければ幸いです。

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バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」チューリッヒ・バレエ団

チューリッヒ歌劇場といえば、もちろんオペラで有名であるが、実は、ここに所属するチューリッヒ・バレエ団の舞台は、「ヨーロッパで最も美しいバレエ」と呼ばれている。

オペラの素晴らしい歌手がこの小さな街に集約されるように、バレエもまた、しかり。世界中からエリート中のエリート・ダンサーが集まって来て、プログラムごとに綺羅星のようなスターが登場する。

振付家として有名なハインツ・シュペルリ Heinz Spoerliは、彼自身、ダンサーだった。
96年にチューリッヒ・バレエ団の芸術監督に就任し、以来、斬新でユニークなプロダクションを発表し続けている。

バッハの「ゴールドベルグ変奏曲Goldberg-Variationen」、全てを踊る。
この曲は、グレン・グールドの演奏で最も知られているが、リピートを含めて、2つのアリアと30の変奏曲を弾くと、演奏時間は優に1時間を超える。ダンスとダンスの間に僅かな間があるので、ざっと90分。
それを、まったく休憩を入れずに弾き続けたピアニストは、アレクシー・ボトビノフ Alexy Botvinov。ウクライナ、オデッサ生まれ。
19歳でモスクワのラフマニノフ・ピアノコンクールで優勝して以来、バッハ国際コンクール、クララ・シューマン・コンクールと世界的な評価を不動のものにしてきた。

今回のように、ソロならばなおさら。バレエであっても、彼の演奏を聴くことを楽しみに訪れる人々が多くいる。
シュペリエとは、90年代半ば、バレエ「スツェーネンSzenen」でシューマンを演奏して以降、卓越したハーモニーを生み出すパートナーとなっている。

チューリッヒ・バレエ団のダンサーは、誰もがソリストとして踊る実力を持っている、という精鋭をすぐるレベルの高さを自負する。

圧倒的にファンの多い、イェン・ハン Yen Hanは、繊細な感情表現が深く、美しい。溜息をつくほどのプロポーションから生まれる気品にうっとりとする、アリヤ・タニクパイェヴァ Aliya Tanykpayeva は、インペリアル・ロシア・バレエから移籍。サラ‐ジャンヌ・ブロドベックSarah-Jane Brodbeckは、快活で自由な空気が愛らしい、。

男性では、アルチュール・ババイャンヤン Artur Babajanyan、ブライアン・チャン Bryan Chan、アルマン・グリゴリヤン Arman Grigoryanなど。いずれも、超人的な跳躍力、目を瞠る静止力、天性の敏捷を兼ね備えた俊英たちだ。

最初のアリアが始まると、ゆっくりといくつもの影が動き出す。照明をぐっと落としたステージでは、それぞれのダンサーがそれぞれの音となって、記号を発信しているかのようだ。

舞台装置は、何もない。オーケストラピットにアレクシー・ボトビノフと1台のピアノ。照明、ダンサーの動き、次々と色を変えるレオタード。
足すのではなく、引く。ぎりぎりに削ぎ落とし、この舞台に関わる人間ひとりひとりの内面を引き出していくかのような作品。光と陰が交差する。

「私にとって、ゴールドベルグ変奏曲とは、通り過ぎていく人生そのものなのです」、とシュペルリは語る。男と女が出会い、惹かれあい、結びつく。別離がある。年齢を重ね、だんだんと成熟し、変化していく。そのように、互いに接しながら離れながら、時は過ぎゆく。

30の人生のバリエーションを踊るダンサーたちは、ときには、優雅にせつなく、気高く。また、ときには、アクロバットや体操競技を観ているかのような、「ダンス」で意表を突かれる。計算し尽くされた多様でエキサイティングなシーンが、目眩く目の前に現れては消えてゆく。

途中でソロが入るが、後半3曲、パ・ド・トュが踊られる。それらが何とも上品でしなやかで、夢のようなダンスだった。

ゴールドベルグ変奏曲は、第16変奏の「序曲」で、前半、後半が対比されるが、これをシュペルリは、「まるで孤を描くように」振り付けた。最初のアリアが繰り返されてゆっくりと終息するシーンで、舞台に再び静けさが運び込まれて来る。

不眠症のために演奏されたという逸話さえある長い曲。寝てしまうのではないかと心配だったが、驚かされ通しで、ずっと覚醒してい た。

長年高い評価を得ているプロダクションだと聞いた反面、「レオタードの色とライトがどんどん変わって、ダン サーが出て来て踊って、また次っていう感じ。それだけよ」とは、オペラ座常連の方。面白い。

あれだけのことを、それだけにも見せてしまう、省略。そのクラシックの基本の確かさと昇華。紡ぎだされる宇宙観のようなものが、やはり尋常ではないバレエ団なのだと思う。

Photo: Opernhaus Zürich / ©Peter Schnetz

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“バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」チューリッヒ・バレエ団” への2件のフィードバック

  1. roberto より:

    バレーの2枚目3枚目の画像が斬新で素晴らしいです。
    これをみると是非本物の公演を見たいと思ってしまいます。
    傑作を見せていただいてありがとう。

  2. Mieko Yagi より:

    roberto sama
    いくつか観ていると、ハインツ・シュペルリは、ほんとうに才能あふれる特異な演出家だと思います。あの2枚の写真は、絞り込むまでしばらく考えましたが、最も印象に残っているシーンから選んでみました。
    気に入っていただけて、とてもうれしいです。ありがとうございます。

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愛と平和とストリートパレード 

2カ月ほど前に、チューリッヒでは、ゲイパレードが開催された。各地でお祭りの多い、夏。もうひとつ、ユニークで大規模なフェスがある。

毎年、8月の第2土曜日に開かれる、ストリートパレード Street Parade。

ご本家はベルリンのラブパレードだったが、92年にチューリッヒで始まって以来、年々拡大し、今や、ヨーロッパ最大のテクノ&ダンスのパレードとして知られるようになった。

2004年には、なんと、100万人の来場者を記録。今年は、朝からの大雨が終日続き、寒さにたたられ、引き返した人や家から出ない人などもかなりいたようだ。それでも、この日のために、世界中から60万人が集まった。
ちなみに、チューリッヒの人口は、36万人。

今年のキャッチフレーズは、STILL HAVE A DREAM !
コミュニケーション統括のステファン エプリStefan Epliは、そのステートメントのなかで、マーティン ルサー キング Martin Luther Kingの「I have a dream」を引き、「これは、ストリートパレードが生まれるずっと以前の演説でしたが、18年たっても私たちはまだ同じゴールへと戦い続けています。(中略)ストリートパレードは、愛、平和、自由、そして寛容のためのデモンストレーションなのです」とアピール。時流を反映して、というところだろうか。

オペラ座近くから始まり、ここからチューリッヒ湖に沿って、27台のラブモビール Love Mobieles と呼ばれる度派手なトラックが動いて行く。これが、ストリートパレード名物、移動するステージだ。

スイス、日本、アメリカ、そして、ヨーロッパ各国から集合したカリスマDJが各モビールに乗り込み、アーティストやダンサーが叫んで、踊って、熱いライブを繰り広げる。
レイバー Raversと呼ばれる観客たちも、渾然一体となってモビールとモビールの間をつなぎ、同じく、叫びながら、踊りながら、大音響のなかを進んでいく。

湖対岸へ向かう手前、ハイライトのセンターステージがあるビュルクリ・プラッツ Bürkliplatzに近づくにつれて、クレイジーな興奮が大きく渦巻き、テンションがぐんぐん上がっていった。

普段、チューリッヒの若者を見ていると、礼儀正しく秩序だっているように思うのだが、とにかくこの日は海外勢と一緒になって、ハメを外す。街中いたるところで、朝までパーティが続いた。

ところで、ストリートパレードの見ものは、奇抜なファッション。いや、仮装、と言った方が正しいのだろう。
もっとも、日本のガールズファッションが、パリやミラノに続々と輸出されている昨今。ちょっとやそっとのことでは、日本人は驚かないだろうが、しかし、街中にこういう人々があふれている状態は、かなりヘンではないだろうか。

性別、年齢、職業など、あらゆるボーダーを超越している。老いも若きも、中年も。メタボかどうかなんて気にしない、というストレートなおおらかさには、思わず笑顔で応えてしまう。

カメラを向けると、ほとんど瞬時にポーズを取ってくれる。どこで練習しているのだろう。

一緒に写真を撮ったりして面白かったが、ハマると、クセになりそうだ。

もしかしたら、来年、このなかにいたりして。

 

 

https://www.streetparade.com/en/

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