チューリッヒ歌劇場 「海賊」

毎年、秋から冬にかけて、日本からぽつりぽつりとゲストがやって来る。それも、プロジェクトを終えたから、とか、仕事の区切りがついたから、という、自分にご褒美の旅行だ。ひとり旅が多い。
こういう人々は、要求度は高いが、何をしたいのか的が絞られていて概ねインディペンデントなので、昼間は放っておいても、適当に遊んでいてくれる。問題は、夜の部の充実度となる。

寒い季節ならば、やはりオペラをお勧めしたいので、むしろプログラムに目を通した後からスケジュールを微調整をすることが多い。

湖畔に佇む、チューリッヒ歌劇場。現在、世界のオペラハウスの中で、最も注目されている歌劇場だ。9月から6月まで、ここで上演されるオペラは極めてレベルが高く、切符を手に入れにくい歌劇場としても知られている。

日本では07年秋に、オーチャードホールで、「椿姫」と「ばらの騎士」を上演した。最高のオペラ歌手がずらっと贅沢に並び、大きな話題になった。

1834年に建てられたアクツィエン劇場が前身。当時スイスに亡命していたリヒャルト・ワーグナーの活躍の場となっていた。今でも、大学にほど近い骨董屋さんには、ワーグナーの楽譜がかなり残っていると聞く。
この劇場は、火災で焼失してしまい、その後、1891年に現在のチューリッヒ歌劇場が建設された。
ワーグナーを始め、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、リヒャルト・シュトラウスなど、錚々たる巨匠を次々と起用し、その評判はヨーロッパ中を席巻したそうだ。

座席数は、1100ほど。外観もインテリアも美しく重厚だが、パリやウィーンの歌劇場と比べれば、とても小さい。まるで、可愛いプリンセスのようだ。

しかし、チューリッヒの地の利と経済力は、ここでも大きく働く。しかも、4つの国語を持ち、英語が普通に通じる国。2つ3つの外国語を喋る人はたくさんいるし、スイス人の友人のなかには、ヨーロッパ中、国境を超える度に言語も変えるという得意技を持つ人もいる。
言葉の壁がないというのは、大きなアドバンテージだ。イタリア、ドイツ、オーストリア、そして、東ヨーロッパ諸国など。プログラムごとに、世界のトップクラスの歌手が堂々と顔を揃える。
この街には、それだけたくさんの才能を集中させる条件が整っている。

現総裁アレキサンダー・ぺレイラ Alexander Pereiraを迎えたのが91年。以来、その陣頭指揮のもと、年々勢いをつけてパワーアップしている。

上演レパートリーは、年間32から35本。そのうち15演目が全く新しい演出になる。シーズン中、新作がほとんど毎月1本以上あるということになるが、これは、オペラの世界でも、通常、まず不可能な頻度だと言われている。

95年に首席指揮者に就任、05年からは、音楽総監督を務めていたフランツ・ウェルザー=メストFranz Welser-Möstは、2010年からウィーン国立歌劇場音楽総監督に就任する。このポジションは、今年6月にイタリア人のダニエル・ガティDaniele Gattiに引き継がれた。

8時開演。コートを預けて、ロビーでパンフレットを手に取る。私たちの席は、2階のバルコニー。好きな場所だ。

プロダクションは、ベルディの「海賊」 Il CorsaroIl。海賊の首領コッラードは、今かなり旬のヴィットリオ・グリゴーロ Vittorio Grigolo。愛人メドーラは、エレーナ・モスク Elena Mosuc。女奴隷グルナーラは、カルメン・ジアンタシオ Carmen Giannattasio。彼女を愛するセイドに、ホアン・ポンス Juan Ponsと、二人のソプラノの間に入るグリゴーロは、まさに適役。

昨年の秋に、チューリヒ中央駅構内をそっくりそのまま使い、通勤帰りの人々や観客も巻き込んで、「椿姫」 La Traviata が上演され、テレビで同時中継された。そこでアルフレードを歌っていたのが、このグリゴーロ。歌はもちろん素晴らしいのだが、インタビューに垣間見えるお茶目な性格が面白く、別のもので聴いてみたいとファンになってしまった。

また、この作品で、日本の若きテナー、北嶋信也さんがセリモ役でチューリッヒ歌劇場にデビューされたが、過日、お話を伺う機会があった。

「共演者にも恵まれましたが、プレミエも緊張せず迎えることができたのは、このチューリッヒ歌劇場の持つ独特の暖かい雰囲気のお陰だと思っています」

北嶋さんの言葉は、そのまま歌劇場の特性を表現しているように思う。

ペレイラ総裁は、しばしば、「ストーリーに忠実であれば、演出家は様々な冒険をしていいと考える」と発言している。

今回の「海賊」は、オペラ座のサポート・メンバーの方々に尋ねても、指揮も歌手も初めての配役であり、しかもあまり上演されないプログラムなので予想がつかない、という答えが多かった。

しかし、日を追うごとに評判が評判を呼び、上演はすべて満席。
特に、舞台一面に水を張り、巨大な鏡に反射をさせる演出の斬新さ、照明の巧さ、テンポの良さが、まったく飽きさせない。驚きや意外性を、次々と展開していく。

インターバルにシャンパングラスを持って、バルコニーに出てみた。ロビーの華やぎは素敵だが、舞台の熱気がそのまま流れ込んでいたので圧倒される。冷たい夜風が、気持ちいい。

6回のカーテンコールで、歌劇場は、さらに大きな興奮に包まれていった。こういう挑戦的でダイナミックな舞台に対して、惜しみない大きな拍手を送る観客の質の高さもまた、この歌劇場の世界における評価なのだろう。

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https://www.opernhaus.ch/en/

“チューリッヒ歌劇場 「海賊」” への4件のフィードバック

  1. keyaki より:

    ヴィットリオ・グリゴーロの才能と声に惹かれて、追っかけ(ネットでですけど)ブログをやってます。よろしかったら、お時間のある時に覗いてください。

    中央駅の椿姫、素晴らしい企画でしたね。私も徹夜でパソコンにかじりついて見ました。
    IL CORSAROも超マイナーなオペラなのに、大成功のようですね。セイドは、ブルゾンではなくてホアン・ポンスです。

  2. Mieko Yagi より:

    追っかけを超えた素晴らしいブログですね。拝読してから、書けばよかったです。お気に入りに登録しました。中央駅の「椿姫」のヴィットリオ・グリゴーロ、最高でしたね。この歌劇場が結構アグレッシブなことをするとは思っていたものの、あの演出を観て、やっぱりダダの街だったと感心しました。私が観たときのIl CorsaroのSeidは、ホアン・ポンスの間違え。プログラムによれば、12月末と1月の上演に、ブルゾンが出演するようです。ご指摘、ありがとうございます。ブログは、訂正いたしました。

  3. keyaki より:

    私もRSSに登録させていただきます。こちらこそ今後ともよろしくお願いします。
    29日と1日にブルゾンというのは知りませんでした。情報ありがとうございます。
    私は20年来のルッジェーロ・ライモンディのファンなのですが、1月1日は、午後が《セビリアの理髪師》でライモンディのドン・バジリオ、夜は、グリゴーロの《IL CORSARO》という私には垂涎もののプログラムなんですね。なんともうらやましい…..
    グリゴーロは、チューリヒには今後数年は、定期的に出演するようですので、ぜひ、ぜひ、ご覧いただいて、記事にしていただければ嬉しいです。
    しかし、ブルゾンは元気ですね。

  4. Mieko Yagi より:

    そうなんです。1月のプログラムは、超ゴージャスです。「セビリアの理髪師」のステージは、建築家のマリオ・ボッタがデザインするそうです。贅沢・・・

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