森へ。

ある日曜日。森へ行くことになった。
チューリッヒは湖がすぐ近くにあるが、街の中心部でさえも、少し歩けば森に入ることができる。森の中を歩いたり、ジョギングしたり。それは、人々の生活の一部になっている。

この日出かけたのは、チューリッヒ湖の沿岸。友達の家の近くに広がる森。
「素晴らしいお天気になってくれたよ」と言って笑いながら、ブロンドのインテリ青年は雨空を見上げる。

長靴を履いた小さな男の子と手をつなぎ、訳のわからないドイツ語の歌を歌いながら枯葉を踏んで、ゆっくりと坂を登る。やがて小道に入ると、鼻先がす~っとする。森の匂いを呼吸する。もっと、深く吸ってみる。無数の木々が、天と地をつないでそそり立つ。

午前中の小雨の蒸気を含んだ空気が、あたり一面にしっとりと満ちている。せせらぎを渡ると、靴底の下に、つるっとした感触がある。大小の石がまばらに広がり、柔らかな苔に覆われている。彼らは、石から石へと軽々と渡り歩く。ときおり小枝が小さな音を立てて砕ける。

今日のお目当ては、森で火を熾すこと。ブラトヴルストBratwurstと呼ばれる、大きなソーセージを焼くこと。

森の中へ散らばり、それぞれが長い枝を探してくる。
山や森の生活とまるで縁のなかった私が、こういう見たことのない場面に唐突に参加すると、どうなるか。
この人たちは、子どものころからずっと自然と一緒に生きて来たんだ、と素直に新鮮な感動を覚えつつ、それと同時に、今ここで何の役にも立たない自分を悟り、黙ってブラトヴルストの番人となる。いや、実際、何をすればいいのか分からないので、ただ、うろうろしているだけなのだ。

ヴィクトリノクスVICTRINOXのアーミーナイフは日本でもお馴染だが、誰もが使い込んだ自分仕様のものを持っている。ポケットから取り出して、慣れた手つきで枝の先を尖らせ串を作っていく。

スイスの子どもたちがソーセージを1本持ってバーベキューへ行く話を聞いたことがあるが、どうやら、これは大人バージョンらしいとわかってくる。

チューリッヒで働く人々の週末が、何らかの形で森と過ごすこのバリエーションだと思っても、多分それほどはずれていない。

この辺りの人の森なのだろうか。
すでに石が組まれている。ここにあるのは、ブナやカラマツ、ポプラなど。太い幹をくべながら、先ほどの尖らせた枝の先に、「自分の」ブラトヴルストを横向きに突き刺す。
縦にした方が食べやすそうな気がするのだが、横がいいのだ、という何か理由があるということか。

皆切り込みの入れ方が違い、これもまた、ずっとうちはこうだった、というような習慣があるのかもしれない。

繰り返すが、自分の分は、自分で焼く。正確に言えば、いろいろ角度を変えたりしながら、焙る。倒木に座り、風と煙の方角を見ながら、燃えさかる火の上に枝を差し出す。

すぐそばに、テーブルになるような大きな石がある。いい色になったら、そこへ持って行く。

ここで、縦ではなく横に刺す理由が何となくわかったのだが、彼らは、これを一度枝から外す。こんがり焼けたブラトヴルストは、もちろん熱い。しかし、それを手でつかんで食べる!!

今の時代に、こんな食べ方が古代のしっぽのように残っているとは。何と、プリミティブで素敵なんだろう。このシチュエーションで手づかみすることは、私にはものすごくカッコよく見える。仲間になった親しみを込めて、彼らの流儀を真似てみる。

熾火の周りに、穏やかで心地の良い時間が流れる。

どこから現れたのか、上気した顔の少年たちがやってきた。

ここは街からそう遠くはないけれど、さらに深い森の奥には、牧童たちの秘密の道がまだあるのだろうか。

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