チューリッヒ湖シルバーコースト側にあるリートベルク美術館 Museum Rietberg は、アジア、南米、オセアニア、アフリカなど「汎ヨーロッパ」の美術に特化した、世界でも珍しい美術館として知られる。
トラムを降り、鉄の門から森の小道を登って行く途中、左手に古いヴィラが点在している。
視界が開ける。一面緑の小高い丘の上に佇む舘が、ヴェーゼンドンク邸。
19世紀半ば、絹貿易商として成功したオットー・ヴェーゼンドンクが建てた優雅なヴィラだ。今は1階がカフェになっている。2階の美術館は、美術館新館、エメラルド色のガラスの現代建築からつながり、最奥の部屋にはスイス各地の仮面のコレクションが並んでいる。
かつて華やかに文化サロンが開かれていたヴェーゼンドンク邸には、多くの芸術家や作家が集まっていた。ヴェーゼンドンクは、とりわけドイツから亡命していたリヒャルト・ワーグナーに親愛を寄せ、彼とその妻に隣りのショーンベルグ邸を住まいとして提供していた。
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リートベルク美術館副館長、カタリーナ・エプレヒトKatarina Epprechtさん。
ある日、私は彼女を訪ねるために、この館の扉を押した。
ワーグナーの部屋は、現在、カタリーナさんのオフィスになっている。バルコニーから、ちょうど隣りのお屋敷の窓が見える。
「ここからワ―グナーは、いつも彼女を眺めていたはずよ」、とカタリーナさんが微笑む。
結局は、妻とも恋人とも別れることになったのだが、スイス時代のワ―グナーとヴェーゼンドンクの妻がサロンで出会い恋に落ちたことは、つとに有名な話だ。
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インタビューの録音を聞いていたら、森の野鳥のさえずりがずっとBGMになって流れていた。
カタリーナさんは、地域の開業医の家庭に育ち、高校時代までは、医学の道に進もうと思っていたという。しかし、大学進学を前にして、何か違う、と思う。その疑問が、後に彼女の好奇心を拡大増殖させていく、ほんの始まりであったとわかるが、医学ではなく、人間の身体を超越したものを学びたいと考え、西洋美術史を専攻する。
やがて、「西洋は狭すぎる」と、アジア、とりわけ日本に興味を持つようになる。
文部省のスカラシップで来日。京都大学で日本美術を学ぶ。あまりにも多くの分野に興味が広がり、博士論文のテーマを絞り切れなかった時、夢と現の間に、長谷川等伯の「松林図」があらわれ導かれたのだと語る。博士論文に等伯を選んだ。
その後、チューリッヒ大学の准教授として、十分に成功しているように周囲から見えたであろうが、しかし、その世界もまた彼女には、狭かった。
キュレーターとしてリートベルク美術館へ移る。まさに適所を得た好奇心は、ますます翼を広げ、数多くの企画展を手がける。同時に大学でビジネス・マネージメントを学ぶ。
2001年、念願であった、長谷川等伯展を実現。かつて彼女を導いた国宝「松林図」を東京国立博物館から迎え、当時、日本でもこれほどの集大成した規模とアイデアはなかった、斬新な等伯展を成功させた。
リートベルク美術館の新館がオープンした2007年、副館長に就任。オープニング企画の「観音展」で、再度一大センセーションを巻き起こす。
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あらゆる学問と芸術に触発されつづけ、自身の内なる世界と外界での活動を連鎖させている、美術館での仕事。スイスを代表する知識人のひとりでもあるカタリーナさんにとって、「ここは狭すぎる」とは、もう思わないのか。
「美術館というのは、人間が有する最高の施設機関だと思います。アートワークとは、我々人間のなしうる最高の仕事です。テクノロジーが時として世界を破壊するのとは、まったくの対極にあるクリエイションです」
人間は、アートによって世界を創造することができる。その展覧の現場である美術館で、ありとあらゆるセクションを統括統合している。企画運営のすべてに関わるこの仕事は、天職。カタリーナさんにとって、美術館というのはパーフェクトな場所なのだ。
次の大きなプロジェクトは、神道。2016年に神道に宿る思想と芸術の展覧会を企画する。日本から現代アートの作家を招き、このリートベルクの森と美術館をつないで欲しいと考えている。
「Hidden Art 神々は、木にいます。神道の芸術は、自然そのものなのです」
アニミズムへ向かう、好奇心。そのような未来へのひとつの指針は、私自身大いに共感するものがある。
写真、ピルミン・ロスリーPirmin Rösli 。現在発売中の「プレシャス」8月号、巻頭グラビア、世界4都市のワーキング・ウーマンが登場するLife is so precious ! に掲載されている。
お手に取っていただければ幸いです。
https://precious.jp/category/precious-magazine
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